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大きい夢は必要ない

「あなたの夢は何ですか。」
「あなたは何がやりたいですか。」

その質問に、返す言葉が見つからず、黙る。
相手はじっと、こちらの答えを待っている。
けれど、自分の心の中に、その答えがないのだ。

私のやりたいことって、何だろう?
私の夢って、何だろう?
夢がない私の人生って、なんてつまらないんだろう。
私、生きている意味あるのかな?

そんなことを、考えた。
いくら考えても考えても、やりたいことが自分の中に見つからない。

その時の私は、自分で自分の気持ちを大切にしていなかった。

相手の反応をうかがうことに必死だった。
自分の回答が、相手にとっての正解であるかどうかのほうが、私には大切だったのだ。
自分のやりたいことは、自分の心の宝箱にしか見つからないのに。

それが、2020年。
突如として訪れた自分一人だけの時間によって、意図せず自分の心と向き合い続けることになる。

コロナの影響で、突如として仕事が減った。
その影響で、週に一回、もしくは二回の出勤。
ほぼ毎日が、自分の自由時間。
仕事がない時間に何をするか、急に自分自身でカスタマイズすることが求められた。
何もせず、ただ漠然と日々を過ごすのが怖かった。
何もしない時間は、その時の私にとって恐怖だった。
ネットで調べて、自分が興味を持ったことを気の向くままにやってみた。

独りだから、誰に遠慮することもない。他者にとっての正解を考えなくていい環境で、ただただ己の興味の赴くままに。

そうすると、あれれ?

いつの間にか、これやってみたいな。
あれやってみたいな。
が、自分の中から生まれてきた。

ささいなことだ。

「今日は、この場所に行ってみよう。」
「今日は、この本を読んでみよう。」
「今日は、これをやってみよう。」

その積み重ね。
小さい行動を積み重ねて、自分の心に尋ねていくうちに、継続してやりたいことが見つかった。

私の場合は、文章を紡ぐことだった。

文章を書く、ということは現代の日本社会においては、基本的に誰にでもできる。
そんなに大きな夢じゃないかもしれない。
でも、文章を書き続けられたら、ワクワクするな。

そして実際に始めてみた。
始めてみたら、その延長線上で次のやりたいことが見つかった。

実は夢って、そういうことなんじゃないかって、最近思うのだ。

大きい夢なんて、必要ない。
誰にはばかることなく、自分の気持ちに正直に。
自分がやっていて心地よいことをすることで、何か次の【やりたいこと】、【目標】が見えてくる。

【目標】ができたら、その【目標】達成のために行動をする。
【目標】達成のために行動をしていくうちに、また次の【やってみたいこと】がひょこっと顔を出す。

【夢】=【目標または、やってみたいこと】
最近、そう考えるようになった。

【自分がやってみたいこと】を追いかけ、行動する日々は結構楽しい。
少なからず、夢がない私の人生って、なんてつまらないんだろう。私、生きている意味あるのかな?と、自問自答することはなくなった。

ちょっとしたことでいい。
あなたがやってみたいことは、何ですか。
あなたの心と相談して、やってみよう。

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