ボロット第五話「撃破数610万」

目覚めると、僕と白い箱はいつも同じ位置にいた。

変化があった。

動けるのだ。

そう、僕は動けるのだ。

右、左、前、後。

今まで、動こうと思ったことはない。あのぼやっと輝く窓に近づこうと思ったり、僕に近づく白い箱を避けるために、具体的な行動として「動く」という意識を持ったことはなかった。

なぜあの白い箱を避けないのか、とは考えたが、動こうとは思わなかった。何かが近づいてくれば避けるか、後ろに退くか、もしくは咄嗟に手で白い箱が身体にぶつかるのを防ぐはずだ。そう行動するのが当たり前であり、頭の中ではそういった考えうる一連のシナリオは作られていた。しかしそれは過去の経験や知識から、そう行動するのが通常だと、機械的に演繹したに過ぎない。認識した結果、それらシナリオからどれを選択し、次にどう行動すべきかを判断し、実際に行動するというところまでは辿り着いておらず、なんと言えば良いのか、思考と身体が接続していなかったのだ。

でも今は動ける。

あの白い箱の動きはゆっくりとしたものだ。子供が三輪車を乗り回す速度、眠った赤ちゃんを起こさないよう乳母車を押す速度、ケーキを切る時にナイフを引く速度、そんな速度だった。

だからその箱が僕に近づいたとき、僕の思考は取るべき行動群の中から左に動くという行動を選択し、この時、なぜ右でもなく、後ろでもなく、左だったのか、その理由についての考察は後に置いておくとして、まるで最初から決まっていたかのように、僕は病室の白い床を滑るように左へ移動した。

歩く、といった感覚ではなかった。

まさにつるつると滑るだ。歩く時の身体の上下運動や軸足に力を入れる一瞬の溜めはなく、初速度と加速した後が等速の直線的な動き、氷がガラスのテーブルの上を滑るような動き、それが僕の左への移動だ。

ともかく僕はなぜだかわからないが、動けるようになった。まぁ、自分が動けないと考えたこともなかったのだが。動けるのだろうとは思っていたが、動こうと思ったことがなかったのだ。

僕の左方向への移動に対して、白い箱が向きを変えて依然として僕に向かってくることが分かったときには恐怖を感じた。あの箱は僕に狙いを定めて向かってくるのだ。僕とその箱の最短距離を縮めるように、でも僕が逃げるのを察知して、移動速度を上げるようなことはせず、単に向きを僕のいる方向に変えて同じ速度で近づくのだ。

僕は当然のようにその箱から遠ざかるように移動した。

左の次は右だった。右の次は後ろだった。後ろの次は、もう一度左だった。左、後ろ、右、そして前、左、前、右、後ろ、前、左、右、前、後ろ、後ろ、後ろ。

僕は病室の四隅の一つに追い詰められてた。

恐らく、その箱とぶつかると、また最初から目覚めるのだ。

別にゾンビが向かってきて僕を襲う訳でもなく、象が突進してくるでもなく、ぶつかったと言ってもまた次の目覚めが来るだけで、痛いとか怪我をするとか骨折するとか、そういった問題がある訳ではないのだか、動けるようになった今の僕は、なぜか次の目覚めが来るのをとても恐ろしく感じ、この病室にこのまま留まっていたいという気持ちで、ではどうするのか、このままでは白い箱にぶつかってしまう、僕の記憶や知識で考えうる回避行動は何かを早く考える必要があった。

ならこういうのはどうだろう。

テレポーテーション。

僕は超能力者で、離れた場所に瞬間で移動できるのだ。この四隅の一つ、とりあえず地点Aと呼ぼう、からその対角線上にある別の四隅、地点Cと呼ぼう、に移動するのだ。移動方法は、念じたり、呪文を唱えたり、特別な薬を飲んだり、瞬間移動できる道具を使ったり、いろいろある。そのどれかで地点Cに瞬間移動して、この箱を避けるのだ。僕がなぜだか突然動けるようになったように、瞬間移動だってできるようになるかも知れない。漫画だかアニメだか映画だか小説だかで得た知識に、瞬間移動という選択肢は当然存在していた。もちろんそれは現代科学ではまだなし得ないことであるが、だからといってできない訳ではない。

こんな想像は意味がなかった。

当たり前だが、瞬間移動はできなかった。

じゃあ何ができたのか。

驚かないで聞いてほしい。いや、僕は驚いたのだが。

それは、「ビーム」だ。

古くは殺人光線として知られる、指向性のエネルギーを照射して対象物を破壊する「ビーム」。

瞬間移動と大差ない非現実的な、ビーム。

僕はビームが打てる。

おい、ふざけているのか。

いや待て、この病室と言い、窓から鳴っていた意味不明な音と言い、突如現れた白い箱と言い、僕がいるこの環境の全てが非現実的とも言える。

僕は病室で寝ている患者だと思っていた。白い病室、窓から入る光、無味乾燥な壁、退屈な時間、それが僕の置かれている状況だと思っていた。親や家族、友達などは見舞いには来なかったが、みんな忙しいのだろうと考えていた。看護師や医者が診察に来ないのも同じだ。僕は重病ではないので心配はないのだ。実際、身体のどこかが悪いという感じもしなかったし、不安はなかった。じっと壁や天井、窓を見つめ、色々な思考をしているだけで楽しかった。過去の記憶や知識の反芻も退屈しのぎになった。僕は病室のベッドで寝ているだけで幸せだった。それが永遠に続くと思っていた。目覚めは何度かあったが、特に変化もなく、いつも最初から始まる新鮮さとそこから始まるのに昔から時間が続いているような親しみがあった。余計な飾りや家具や機器がない病室も気に入っていた。直線と直線と直線が直行し、それらが作る直角でできた接点も気に入っていた。窓の外は見られない分、いろんな世界を想像、いや頭の中で創造する楽しみを僕に与えてくれた。窓の外にはあらゆる可能性があったのだ。それこそ瞬間移動やビームだって存在し得た、僕の頭の中では。

そういった自己完結型の世界、自分の思考の範囲を超える物が存在しない世界、つまり自分だけの世界、何物をも想像し創造し得る世界、思考のみが唯一絶対的な世界。箱理論だって、僕の創造上の産物だ。その理論は観察結果と矛盾はなく、気持ちよかった。

でも今は違う。

自由な世界から、束縛された世界に突如変わったのだ。

僕は白い箱に追い詰められ、それから逃げ、そしてなぜかビームを打てるようになった。僕の意識は、この病室に留まりたい、箱とぶつかりたくない、新しい目覚めなどうんざりだ、という考えに支配されてしまった。

もう自由はないのだ。

もう白いキャンパスはないのだ。

納期や予算といった足枷をはめられた事業者のように、僕は制約の中で行動することを強いられている。逃げ出せない病室の壁、近づく箱、移動とビームしか手段のない僕、常に迫られる決断と行動。

箱から逃げるという目的。それにどんな意味があるのか分からないが、目的ができたあとは、ルールに従って目的を達するよう行動せざるを得ない。ベッドに横たわり、果てしなく長く、どのようにでもできる思考という世界から、壁と箱という物理的な制約がある世界に落ちてしまった。逃げるか、いやもう移動できる場所はない、ここは四隅の一つ地点Aなのだ。

ならばこのビームか。

ビームであの箱を破壊できるのか。

何を考えているのだ僕は。ビームで破壊などと。滑稽すぎる。

しかしもう手段はない。

最初に発射したビームは壁に当たったか、通り抜けたか分からないが、まばゆい光の線を作って、まさにビームの発射音である「ビーーーー」という音とともに、光というわりにはのろまな速度で、僕の身体から発射され、僕が見ている方向にまっすぐ伸びていき、そして消えた。

このビームであの箱を破壊できるのか。

箱はもう目の前だ。あと5秒もすれば僕に触れる。そして僕はまた目覚めるのだろう。瞬間移動も叶わない。移動しても追いつかれる。ジャンプはどうだ、ジャンプはできるか、いやできない。ジャンプはできない。この地面から僕の身体は離れそうもない。エアーホッケーのように床の上を滑るだけなのだ。

ビームを撃つのか?どういう世界なんだ、ビームなどと。ビームで箱を破壊する?お子様のアニメじゃないんだ。しかしもう、もう時間はない。もうぶつかる。撃つしかない。ビームを。ビームを、あの箱に向かって撃つ。地点Aにいる僕は、地点Aに向かってくる箱を、地点Cの方向に向かって、なぜか発射できるようになったビームを撃つのだ。

う、撃とう。撃ってみよう。

操縦桿の人差し指に触れるところに配置されたボタンを押す感覚で、白い箱に狙いを定め、僕はビームを放った。

ビームは外れた。

目覚めた。

僕は地点Aと地点Cの間にいる。いつもこの場所で目覚める。そしてまたあの箱が僕に向かってくる。

・・・ビーム。発射できるようだ。試しに壁に向かって放ってみたら、白い一筋の光が長く伸び、そしてすっと消えた。壁は特に壊れたりはしていないが、このビームであの箱を破壊できる確信がある。それは僕が目覚めた瞬間に僕はすでにボロットであるように、この世界ではビームで箱を破壊できることになっているのだ。そういう決まりなのだ。

よし、あの箱を狙おう。今度は間合いも大きい。時間もある。一回外れたって、何度かやれば当たるだろう。角度を少しづつ調整していけばいずれは当たるのだ。

一発目。外れ。

二発目。ちょっと右に外れた。

三発目。おしい。少し上だ。

四発目。おいおい、床に当たってしまった。

五発目、そう五発目だ、それが起こったのは五発目だ。

ビームが当たった箱は、全く同じ大きさ、同じ形、そして同じ色の二つの箱に分裂した。細胞分裂のように、1個が2個に増えたのだ。二つに分かれた箱は、尚も僕に近づいてくる。僕は地点Aの方向に移動するしかなかった。二つの箱は方向を変え、速度を変えずにまたも僕に向かってくる。

ビーム、六発目。当たり。

案の定、ビームが当たった箱はまたも二つに分離した。箱は合計三個になった。いよいよ追い詰められた。箱が三個ではひょいっと箱の横を通り過ぎて、地点Cに逃げるということもできない。この狭い病室では箱が三個では密すぎるのだ。三密なのだ。

ビーム、七発目。当たり。箱は四個になった。これだけ近いと当てるのも簡単だ。しかし箱を増やしてどうするんだ。逃げにくくなるだけではないか。しかし他にどうしようもない。右手にある地点Bや左手にある地点Dにはまだ箱に衝突せずに移動できるスペースはある。しかしいずれ追い詰められてしまう。

結局また目覚めに戻るのか。

そしてそれはその通りになった。

僕は目覚め、箱に僕は追いかけられる。

これは地獄だ。果てしなく繰り返される出来事、何度も何度も同じことの繰り返し、逃げてはビームを放ち、そしてぶつかる、それだけだ。それだけを何百万回も繰り返している。もう思考を楽しむ余裕はない。機械的に、反射的に行動しているだけだ。このループから逃げ出せない。詰みだ。

という訳でもなさそうだ。

どうしたんだろう。目覚めた時、ビームの色が変わった。今までは白く眩しい光線だったのが、水色の輪っかに変わったのだ。発射すると、最初は輪ゴムほどの小さい水色の輪っかが、進むにつれて徐々に輪を広げ、浮き輪の大きさになったくらいで、何かを包み込むような形で消えた。

それだけではない。

あの白い箱はもういない。

代わりに、なんと表現すれば良いのか、いや何から説明すれば良いのか、そう最初に説明すべきことはこれだ。箱理論は破綻したということだ。この世界は全て立方体でできているという理論、それが破綻した。病室も、窓も、箱もすべて立方体という観測から得られた理論、箱理論。それが破綻した。つまり立方体ではないものがこの世界に存在したのだ。今まで、地点Aと地点Cの中間で目覚めた僕の目の前に出現していた白い箱がいた位置に、直方体でもなく、白くもないものがいるのだ。

それはピンク色のほわほわした毛に覆われた、西瓜より一回り大きい、丸くてクッションのように柔らかい、コロコロした、生物だろうか、何かマスコットキャラクターのような可愛さを持っている、うさぎのような目と、三日月状の口、そして丸い尻尾、そんなものが目の前にいて、僕に近づいてくるのだ。

それはビームで破壊するようなものではない。

あの白い箱は僕の認識の間違いであって、本当はこのピンクのぬいぐるみ的な生物だったのかも知れない。白い箱だと非常に不気味であったが、このピンクのぬいぐるみなら怖くはない。ビームで当てて悪いことをした気分だ。

もう一つ、変わったことがある。

あの白い病室は、天井が青、壁が茶色、床が緑のペンキで塗られていた。ムラもなく、原色でくっきり均質に色分けされていた。窓は相変わらずボワっとした光を放つのみで変化はなかった。密閉された出口のない部屋である。が、もう病室のような無味乾燥な感じはしない。僕の知識にある部屋とは大分印象が違うし、人工的で機械が設計したかのような正確さに温かみはない。しかしここがどこかと聞かれれば、子供部屋と答えるだろうか。目の前のピンクのぬいぐるみと、カラフルな部屋の組み合わせがそう感じさせる。

そのぬいぐるみが僕にしゃべりかけてきたときには、僕はいよいよ違う世界に迷い込んだのだと思うしかなかった。

つづく

ボロット第六話「ぴんまり;」
https://note.com/bettergin/n/n96b8d5d92002

ボロット物語 もくじ
https://note.com/bettergin/n/n7e1f02347fba

Youtubeでこの小説を朗読しています!是非ご視聴ください。
https://www.youtube.com/watch?v=1YEHIOhhxVk




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