ボロット第六話「ぴんまり;」

「この世界に、こんまり〜;」

僕が目覚めたときにそこにいたそのピンクのぬいぐるみは、僕の箱理論が否定される事実に僕が直面し、飾り気のない病室がカラフルな子供部屋になったことに戸惑っているまでの一瞬の思考過程を終えたちょうどその時に、その第一声を発した。

第一声から第二声まで間が置かれることはなかった。

「へ〜、君がボロットまりか〜。
 とても主人公とは呼べない姿まりね!」

なぜかそのピンクのぬいぐるみは僕の名前を知っていた。
僕が目覚めたと同時に自分の名前がボロットであることがこの世界において絶対的な真であること、その知識が初めから与えられていることと同様に、そのピンクのぬいぐるみは僕が誰かを尋ねることもなく、当然のように僕の名前を知っていたのだ。

なら逆も真ではないだろうか。

つまりそのピンクのぬいぐるみの名前もあらかじめ与えられており、僕の知識にその名前が書き込まれており、僕はその名前を聞くまでもなく知っているのではないか。

しかし果たしてそうではなかった。

全くわからない。

そのピンクのぬいぐるみが一体何者なのか、何故急に僕の前に現れたのか、依然の白い箱とそのピンクは同じものなのか、なぜ人間が解する言葉を使えるのか、疑問は多くあるが、一つとしてその答えを僕は僕の記憶から見つけることはできなかった。

ピンクが発した二番目に言った事についても考えてみよう。

考察すべきポイントは『主人公』と『姿』だ。

僕を主人公だとそのピンクは言った。僕は主人公なのだろうか、この世界の。それはワクワクする話だ。確かにこの部屋の中には僕とそのピンクしかいないし、そのピンクはどう見ても主人公の脇役、お助けキャラ的な立ち位置にいる存在に見える。この世界がこの部屋で完結しているなら、僕はもっとも主人公に近い位置にいると言える。僕は主人公と特別視されたことが嬉しかった。

姿についてはこれまでも自分が直方体かどうかについて考察したことがある。しかし自分で自分の姿を見られなかったから、自分がどんな姿かは分からない。自分の記憶によれば、僕は小学6年生の男の子だ。両親もいる。事故か病気で僕はこの病室に運ばれ入院しているのだ。まぁ、その記憶は目の前の事実に照らし合わせると、偽、と結論づけるしかないのではあるが。

この僕が主人公にはふさわしくない姿をしていると言うのだろうか。

意味がわからないので、そのピンクに聞いてみることにした。

「どういう意味?」

「意味まり?;」

「僕が主人公とか、姿が『っぽく』ないとか、なんで?」

「”ぴんまり;”は知っているまりよ!;」

「教えて!」

「何をまり?どの部分を知りたいのまり?;」

「僕は主人公と呼べない姿だとか言ってたじゃん!」

「困ったまりね・・・;」

ストップ。

なんなんだ、このピンクは・・・。ぴんまり;って言ったか。このぬいぐるみの名前なのだろうか。とにかく会話にならない。知っているとか言っておきながら、何を知りたいのか聞いてくるし、困ったと言って結局答えない。こちらの言葉は通じているようだが、言ったことの意味を理解していないのか、頭が空っぽなのか、会話が前に進まない。オウムと会話しているような気分だ。

ぴんまり;と名乗るそのピンクはもぞもぞと、今となっては病室ではなく子供部屋の中を、這うように動き回っている。手足が見えないが、身体をよじりながら移動しているのだろうか。その動きはデタラメのようでいて、何か意思があるようにも見える。そう、空気中に浮遊する微粒子の振る舞いに似ている。ブラウン運動と呼ばれる動きだ。

この部屋には何もない。天井、壁、床、そして窓のみだ。動き回っても何も見つからない。

「おい、ぴんまり;
 君は何か探しているのか?
 なんでそんなに動き回っている?」

「それなりに生きているからまり;」

「そりゃそうだが、そういうことを聞きたいんじゃない。
 何か探しているのか?」

「え?;」

「はぁ?」

「どうしたまりか〜?;」

二回目のストップ。

無駄だ。こいつとの会話は無駄だ。一回目で分かってはいたが、二回目で確信した。生きてはいるらしいが、会話からそれ以上の情報が得られない。

しばらく様子を見よう。以前のように白い箱に追い回される状況ではないのだ。ここに座って、ぴんまり;の動きを観察していよう。会話は成立しなくても、僕の観察力と思考力で何か答えが出るはずだ。

僕は手を床についてゆっくりと腰を下ろした。

その時、僕は自分の手を見たのだ。その手は、小学6年生のほっそりとした、それでいてはち切れんばかりの元気で丸々としたそれではなく、黒い一本の線であった。床についた手から伸びる黒い線は、手首と思しきところでくにゃっと曲がり、そこから肩に向けてスーっと一本の線が引かれ、僕の身体に繋がっていた。最初はそれが自分の手や腕とは理解できなかった。なんか線があるな、邪魔だな、としか思わなかった。しかし自分の意思と連動して動くその線を見るに、それが自分の腕であることを再認識するのに時間はかからなかった。

この黒い線は僕の腕だ。

両腕。両足。腰。胴体。自分の目で確認できるところはことごとく黒い線でできている。腰や胴体はヨレヨレの線でできた四角形だ。四角形と言っても箱理論に出てくる直方体のような美しいフォルムではない。子供が描いた落書きに近い。

これはとんでもないことだ。僕は人間じゃないという結論になるではないか。人間じゃないものがどうして話したり、考えたりできるのだ。確かに動物にだって脳はある。食べ物を探したり、天敵から逃げたり、子供を作ったりする。人間と動物の差は、人間と無機物、例えば公園に転がっている石との差に比べればほとんど違いはないと言って良い。しかし僕のこの思考は人間であるが故にできることだ。知識、経験、観測を入力とし、論理的思考によって出力される次の行動。そのメカニズムが高度に発達し、人類がこれまで得た膨大な研究成果を活用できるのは人間だけのはずだ。

しかしどうだろう。僕の身体は人間ではない。この黒い線からなる身体では、動物だとも言えない。良く言えば漫画のキャラクター、実際は子供の落書きに近い。これが僕だと言うのだろうか。これがボロットなのか。僕は一体なんなんだ。

これまで高度な思考体として自信を持っていた自分が崩れてしまう、そういう不安でぐらっと身体が揺らぎ、今の自分を否定する自分が自分の過去を振り返って、一体何が問題だったのか、なぜこんな事態になったのか、自分を責めている自分を客観的に見ている自分と、その自分がまさに自我が崩壊しつつある自分そのものであるという恐怖がない混ぜとなり、多階層で形成される防御壁に大きな穴がぽっかり空いて、僕は、一体どうしたら良いのか分からなくなってしまった。

いつの間にか僕は立ち上がり、周囲を目的もなく歩いていた。それはまるで、ぴんまり;のブラウン運動に近い動きに似ていた。それはつまりぴんまり;も実は高度な思考体であるという意識を持っていたが、自分がピンクのぬいぐるみと知って、動揺しているということであろうか。

僕は窓の前に来た。

そう。僕は意識には上らなかったが、どうしても確かめたいことがあり、無意識に窓に向かっていたのだ。僕は自分の顔を見たかった。窓に映る僕の顔を。どんな顔なのか。人間の顔なのか、いやこの黒い線からなる身体から推察すると、人間とは考えられない。とは言え、ならどんな顔なのか、全く想像がつかない。へのへのもへじの落書きか、スマイルマークのような顔か、一体どんな顔なのか。

顔は僕に残った希望だった。顔が人間らしいものであれば、知的生命体、高度な意識体として妥当な範囲内の顔であれば、僕は自分が何者かを見失うことなく、今まで通りのボロットとして生きていくことができる。

でも、もし、窓に映る僕の顔が、僕が期待するものと違っていた場合、それを見た僕はどうなってしまうのか。僕は僕ではなくなってしまう。僕でなくなった僕は何になるのか。そもそも僕が僕であることが、全ての思考の大前提ではないのか。僕がいて、僕が思考する、そこが全ての思考の出発点なのだ。この子供部屋も、床をうろつき回るぴんまり;も、僕が観測するからこそ、そこにいるのだ。僕が僕でないなら、この思考する僕は何者なのか。

ゆっくりと顔をあげる。僕の顔は正面の窓のガラスに映り込み、その影像を僕は見とめるはずだ。そこに映るのはどんな姿なのか。主人公に似つかわしくない姿なのか。

かなと。

かなとは思っていた。

そうかなと。

人間ではなかった。僕の顔は人間ではない。

それは丸い縦方向に長い楕円に十字に線が入ったマネキンのような顔であった。目もなく、鼻もなく、口もない。耳もない。髪の毛もない。眉毛もない。黒い線で丸を描き、縦と横に線を引いただけののっぺりとした顔。

これは僕じゃない。

これは僕じゃない。

こんなんじゃない。僕はこんなんじゃない。

僕は小学6年生の男の子だろ。人間なんだ。思考ができ、話が通じる人間。天井が青、壁が茶色、床が緑、僕の高度な思考が認識することによって記述され、記憶され、理解されることにより存在が認められるこの子供部屋。それは人間にしかできないことなんだ。いや、正確に言えば人間以上の思考力を有する知的生命体によってしかなし得ないことなんだ。高度な生物によって認識されることによってこの世界は存在し得ているのだ。僕は高度な生物なんだ。

じゃあ、何か。この目の前のマネキン、これは人間以上の高度な思考力を持つ知的生命体、いや生命にはとても見えない、なんと表現すれば良いか、宇宙人?いや、そういうものでもない。棒人間?まぁ、まさにそういう姿ではある。あえて言えばボロット。これは個人名としての名称ではない。概念としてのボロットだ。思考する棒人間たち(複数いる場合だが)の総意体としての『ボロット』だ。

自分の顔を見て、少し落ち着いてきた。マネキン状の顔はショックではあった。しかし思考をする主体である自分自信を客観的に視認したことで、思考する僕であるボロットと、物理的存在であるボロットという黒い線でできた身体がリンクされた、僕は考えるボロットという自己認識を持てるに至った。

であれば、元に戻ろう。

手を床についてゆっくり腰を下ろそう。あのピンクのぬいぐるみぴんまり;でもゆっくり観察しようではないか。僕は何も変わっていない。周りの環境は、あの白い病室の頃から随分変わったが、僕は思考するボロットとして存在し続けている。そこが出発点だ。

あのぴんまり;という生物、動くぬいぐるみとしか考えられない。話すのは驚きだったが、会話にならないから、知的レベルは低い生き物なのであろう。観察によって、あの生き物の正体もいずれ分かるはずだ。

ぴんまり;を観察しようと、周りを見渡すものの、子供部屋からぴんまり;がいなくなっていた。

ちょっと待て。

四方茶色の壁で囲まれていたこの子供部屋、唯一ある窓、その窓のある壁から向かって右側の壁に、白いドアを発見した。

この部屋から出られるのか?

この部屋が世界の全てではない。その外があるのだ。ドアは外への入口だ。いや出口か。

ドアは閉まっている。ドアノブはちょうど僕の胸の高さの位置にあり、あのピンクモンスターでは手が(あればだが)届かないだろう。あのピンクはどうやって部屋から出たのか。

僕はドアに向かった。

ちょっと怖かった。

外に出ることで、今いる世界からまた環境が変わってしまうかも知れないという未知への恐怖だ。

ドアの外は想像もつかない。この子供部屋が一体どこにあるのか。僕が住んでいる一軒家の二階にあるのか、それとも僕が入院している病院の中にあるのか。

ドアを開ければ答えは出る。

僕はドアノブに手をかけた。

黒い単純な線でできた手を、ドアノブの周りぐるりと巻きつけ、ドアノブのツルツルとした金属と僕の黒い線が、しっかりと摩擦で互いに力を作用しあえる状態であることを確認し、僕はドアノブを回し、ゆっくりと手を手前に引いてドアを開けた。

そこにあるのは「無」だった。

宇宙のように真っ暗で、しかし星が一つもない、真っ黒で広大な空間。部屋を出た先の廊下も、天井も、床もない、空もなければ、外の街並みもない、地平線もなく、足を一歩踏み出せが、そこは無限に続く深淵な黒い空間。果てがないので奥行きや距離も感じられない、完全な無。

この黒い空間は僕を引き寄せようとしているのか。僕は頭がぼうっとして、自分がやろうとしていることをコントロールできなかった。そう、僕はドアを開けた先の黒い空間に向かって歩きだしたのだ。これは僕の意思じゃない。こんなことをするはずがない。その先に待つのは死だ。

子供部屋から身体が完全に外に出たところで、僕はまた目覚め、目の前にはぴんまり;がいた。

つづく

ボロット第七話:「E後ノかがやき」
https://note.com/bettergin/n/n2eb167728507

ボロット物語 もくじ
https://note.com/bettergin/n/n7e1f02347fba

Youtubeでこの小説を朗読しています!是非ご視聴ください。
https://www.youtube.com/watch?v=xkgIYyrhWGE

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