ボロット第一話「二度目のハジメマシテ」

なんでそういう形になるのかな?

一瞬一瞬の光がまたたく合間に見える隙間を通じてその形がその形を変え、変えたのちに、また元の形に戻る、その連続が一つの形であって、時の経過とともに変容するその形の全体を捉える難しさを超えたところに、この世界から新しい世界へと飛び立つ者たちの思いは収斂されていった。

昼間。

セミの声。

夏祭り。

子供たち。

大人たち。

とは関係ないところに僕は一人、ただ天井を見つめて、天井と壁の繋がりが一直線になっていることを端から端へと何度も目で確認しながら、窓から入る弱い光でできる影に壁の色がぼんやりと色分けされていて、はっきりと白、黒と区別できない曖昧さを嫌だと感じるのに、でもそれを反芻する間にはそれを受け入れるようになり、静かな部屋の中で時間を時間だと感じている自分を自分だと認識していることを認識していた。

僕がいる部屋は病室だ。

でも病院にあるそれとは違っている。僕の知識が再現する病室と比べると、そこはとても殺風景で、いや、殺風景という言葉は適切でないほど何もない、そしてよほど神経質な建築業者がわずかな狂いもなく施工した不必要なほど正確に精度高く設計された直線でできた四角い箱だ。

僕は目で見る。

何もない部屋でもそれを退屈だと思わせない僕の想像力は、その四角い部屋を観察し、自分の持つ知識と観察結果を対比しながら、観察できなかったことは知識で補い、そこから類推される結果と、考えられる仮定を並べて集合とし、そしてまたその集合を基礎として、さらなる集合を類推し、自分が持っていた知識の修正も行いながら、この部屋が病室であるという結論を導き出していた。

窓。

僕から見て右の壁に設置されている窓という結論に達したその四角い枠から入る光は、この部屋の唯一の明かりであり、壁と天井、そして床を区別するためにギリギリの役割を果たしてくれていた。僕の知識によれば、窓は部屋と外を透明のガラスで繋ぐ役割を持っているが、そこにある窓は、白く光るディスプレイ画面のように、平面的で一様な無機質な光を放つのみで、この四角い病室にいる僕の意識をこの部屋からその部屋の外へと向けさせる役割は果たしていなかった。しかしそれでも尚、「そこの四角い枠は窓である」という結論に僕は達していた。

繰り返される時間

この部屋に来てから僕は何度も何度も目を覚ました。寝ていたわけではないが、つまり寝たという意識や行動や記憶は一切ないのであるが、その時が訪れた時、僕は、起きた、という感覚を持つのであった。寝てはいないが、何度も起きる経験をしたということだ。

目覚めると、膨大な知識と自分が繋がる感覚を覚える。目覚める前は空っぽで、自分自身が一体何者なのかさえ意識しない何もない自分だと認められるものが、その目覚めを契機に、突如、自分を意識し、その病室を認識するに十分な知識を持ち、目を開けて始まる連続的で膨大な観察事象と知識の対照により認識される事項の集合を記憶しつつ、導かれる結論に対して、いわゆる感想というものを感じるのだ。

自分によって認識される自分や病室、窓を含めた周囲の環境やその構造が、以前の目覚めと、今回の目覚めで変化しているかの観測は非常に難しい問題だ。なにせ毎回目覚めるたびに以前の記憶は失われていると思われるからだ。眠るたびに記憶は削除されるのであろうか、それとも、これは考えたくないことだが、以前に目覚め、また今回も目覚め、そういった目覚めの過去の記憶自体が実は作られたものであって、そもそも自分自身には以前の目覚めは存在せず、目覚めた時が最初の一回目の目覚め、ということであろうか。

いずれにせよ、記憶が再現する無数の過去の目覚めと、今回の目覚めは明らかに異なっていたところからこの物語は始まるのである。

つづく

第二話「箱と箱」
https://note.com/bettergin/n/n08b0d0e4b320

ボロット物語 もくじ
https://note.com/bettergin/n/n7e1f02347fba

このお話の朗読動画もご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=R34QpK91lxI


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