いちもじちがい

タイトルが回文にみえるが回文ではない。
そんなことはどうでもいい。

インフルエンザにかかって1日遅れた帰省。
逆に1日だけで済んでラッキーまである。
1人暮らしが風邪を引くと本当に絶望に苛まれる。誰も助けてくれないし、病院に行くのも一苦労である。
だが、そんな孤独な戦いに勝利して新幹線と特急を乗り継ぎ生まれた街へ戻るのである。

ただ、私は一つ心配ごとがある。
いや、心配ごとができた。隣のマダムだ。
隣の人の心配を、ましてや自分より大人の心配をしているとはずいぶん余裕なのかと言われるとそうではないが、いてもたってもいられないのだ。

何がそんなに心配なのか。
彼女が読んでいる本である。
なんの変哲もない旅のガイドなのだが、そこには山口と書かれていた。
山口県といえば本州南部、中国地方にある県である。
今乗っている新幹線が向かっているのは本州北部。全くもって逆の方向である。そして、自分が向かっているのは山形県である。

ここで一つ最悪の仮説が立てられる。
彼女が山形県と山口県を勘違いしていたとしたら。
本当に最悪の事態である。
せっかく準備した旅のススメも
電車のチケットも
予約したであろうホテルも
全て水の泡である。

と、まあここまで考えてはみたが流石に自分でもとてもアホなことを言っている自覚はあるし、きっと彼女も東北や新潟に行った後に山口県に行くのだろう。
むしろうそうでないと困る。

しかし、生きている上で一文字違うことは大きな問題に発展することがある、ということは事実ではないだろうか。
山形県なのか、
山口県なのか。
彼 が 歩いてくのか、
彼 と 歩いて行くのか。
そうめん が いいのか。
そうめん で いいのか。

小さな発音の違いではあるが、それによって自分や相手の行為も感情も大きく変わってくる。
日本語というのはそれほどまで緻密で繊細な言葉であるとも言えるかもしれない。

とにかく今は自分のアホな考察がただのアホな考察で終わることを祈るばかりである。

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