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もう偏差値だけで優劣決めるのやめようよ

 こんにちは!人の持つ様々な可能性に光を当てる キャリア・アウェイクナーの金澤です。

 私、中学受験経験者でして、子どものときは「偏差値」という数値に一喜一憂しました。受験の世界にこの数値は切っても切れないものになりました。

 今日は、この「偏差値」という数値に頼るのやめませんか、という提言です。

偏差値で人生狂っちゃたまらない

 人生40年も生きていると、いろんな大人と会うわけです。その中でそれなりの割合で「私、そんなに頭良くないんで」ということを言われるんです。話していて聡明な方だなあ、と思う人でも、こういう類のことを言う人は多いんですね。自己肯定感がとっても低い。

 何をもって頭が良くないって言うのかな?と思って、密かに探ってみると、大体の場合は「行っている大学」とか「子どもの時の勉強」が根拠になっています。要するに、「私偏差値低かったんで」ってことでしょう。

 逆のケースもありますね。う〜ん大丈夫かな、話が通じにくいな、と思う人が、聞いてみると偏差値の高い大学を出ていたり、子どもの時に地域で一目置かれていたりするわけです。

 そういう人たちは総じてプライドが高い。そのプライドの拠り所の多くが、「私は偏差値が高かった」ということなんです。

 で、偏差値で人の価値って決まりますか?って言いたいわけです。過去、テストで点数取るという限られたフィールドでは良かったことは事実。でもそれはホントに人の一面しか見えていないですよね。
それなのに、偏差値だけで人間の優劣が、人生が決まっちゃたまりません。だから、自分は頭が良くないって言う人が、根拠を偏差値に求めていたら、こう言います。

 「えっとね、そんなの人としての価値に関係ないから」

人ってもっと多様な性質を持つ生き物

 なんで偏差値がこんなに影響力を持つかって、一言で言えばわかりやすいからなんですよね。違う言い方で言えば数値で目に見えるように表せるから。

 ロールプレイングゲームで、ステータスがいくつかってすごく気にするじゃないですか。このキャラはちからが高いから使えるな、うんのよさが高くても他が弱いからイマイチだな。そうやって好きなキャラ・嫌いなキャラができてくる。RPGの醍醐味の一つと言ってもいいかもしれません。

 偏差値で頭の良し悪し決めるのって、これよりはるかにバランス悪いんですよ。だってステータスが一つしか見えていない。偏差値は高いけど、実は「本質をつかむ力」が低いかもしれない。偏差値は低いけど、実は「チームを組んで協働する力」が高いかもしれない。でもほとんどの力はマスクデータでわかりにくいから、そこを無視して人としての優劣をつけてしまうんですよね。

 顔面偏差値なんて言葉もありますよね。外見というのは万とある性質のたった一つなのに、かっこいいからすごい人。かっこ悪いから認められない。よくわからないですよね。だから自分はかっこ悪いと思って自信を持てない人にも、声を大にして「もっと違うところにも注目しようよ」って言いたい。

 人の性質なんて、ほとんどはマスクデータです。だからこそ難しいし面白いし、コミュニケーションが発生するわけです。その本質を理解しないまま、人としての優劣を偏差値という一つの数値で決めてしまうなんて、あまりに馬鹿げていると思います。

偏差値「も」あるんだって発想

 偏差値という数値にどう向き合えばいいか。偏差値が高いということは、◎×がくっきりつくようなテストで点数が取れるということ。もう少し抽象化すれば、記憶力と、ピンポイントな問いに対してその記憶をアウトプットする力は高いということです。それはそれで立派な力ですし、素晴らしい力です。

 大切なのは、偏差値「だけ」で判断しないということです。偏差値「も」あるけど、他の部分は?という発想で、人を見たり自分を見たりすること。人の性質なんて凸凹してるに決まっているわけですから、偏差値が高くても安心できないし、偏差値が低くても他のいい力を見つければいいだけ。

 この考え方を、世の中の子どもたちにちゃんと届けていきたいと思います。皆さんも、一緒に届けていきませんか。


 茂木先生ももう3年前から同じようなことを仰っていますね:


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