べてるの家のオンラインマガジン「ホップステップだうん!」 Vol.253
・最近の浦河
・続「技法以前」202 向谷地生良「神々の沈黙」
・日高線ウォーク
・「無理やり精神病院に閉じ込められている人は、もし外にでたらあんなことしたいとか、こんなことをしたいってたくさんの希望を持って入ってるんですよね」 亀井英俊
・伊藤知之の「50代も全力疾走」 第42回 ピアサポートの当事者研究
・福祉職のための<経営学> 115 向谷地宣明「ケアのゆくえ2」
・【マンガ】ぱぴぷぺぽ すずきゆうこ「オレ 何だっけ?」
最近の浦河。
ミスターべてること、きよしさん。
先日「パピプペポ状態」になって、「お、これは入院になるのか…」となりましたが、仲間に助けられて踏みとどまりました。
10月1日・2日に浦河町総合文化会館のふれあいホールにて、浦河町民芸術祭が開催されています。べてるのメンバーたちの刺繍・さをり織り・絵など、グッズチームとアート部の作品たちが展示されています。お近くの方はぜひご覧ください。
続「技法以前」202 向谷地生良
「神々の沈黙」
「前2000年紀より前は、誰もが統合失調症だった」というセンセーショナルな仮説を明らかにした心理学者ジュリアン・ジェインズが著した『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』(紀伊国屋書店)において、著者は、古代の人たちの描いた壁画やさまざまな文化的遺跡を研究することを通じて、古代人には「自らの意思がなく、何よりも自由意思という概念がなかった」ということを明らかにしています。
では、どうやって暮らしを成り立たせていたのか、それに対して、ジェインズは、彼らは「神々が命じるとおりに生きるのである」と語っています。つまり、「遠い昔、人間の心は、命令を下す『神』と呼ばれる部分と、それに従う『人間』と呼ばれる部分に二分されていた」のです。その意味で、古代人の中では、「神の意志」を語ることが出来る人は、重要な立場にあったことが想像されます。著者は、現代において「統合失調症」とされた人たちは、古代人の「二分心」の名残りを持った人として説明しています。
先月のことです。全国、五千か所の古書店をつないだ「古書店ネット」で古書を検索していると一冊の本が目に止まりました。その本は「向谷地助五郎著『聖書 新宝帳』」でした。「向谷地助五郎」という著者は、紛れもなく私の名前「生良」の名づけ親である叔父(故人)でした。
叔父は、青森県百石町(現在のおいらせ町)で、食料品や雑貨の問屋を祖母や奥さんと経営し、私と同年代の二人の娘を育てていました。しかし、私の叔父のイメージは、ほとんど店に立つこともなく、離れで静かに本を読み、書き物をしている姿でした。話したこともありません。私は、ドキドキしながら京都の古書店からさっそく本を取り寄せ読みました。
それは、昭和35年から昭和40年にかけて綴られた叔父の日記でした。そこには、小学校5年生の時に校庭に、鉄棒を設置する時に“穴を掘る作業”に従事した際に、助五郎少年は死を意識したと綴っています。
「やがて、私の番に穴掘りの順番が来たのである。私は、早速シャベルを持って、一生懸命穴を掘り出したのである。その時、私の脳裡の中にふと考えさせられる事があった。それは何でありましょうか。それは、死という事であった。自分は現在、この様に一生懸命穴を掘っておるけれども、何時かは必ず死して、この様に土の中に埋まされてしまうという事であった。私は、限りなくその事が、私の心に大きな衝撃を与え、人生というものの、あまりに無残 であり、悲哀に満ちたものであるかをつくづく考えさせられたのである。何時かは自分も必ず誰かに、穴を掘られて此の土の中に埋もれる時期が来るんだと思った時、もうあたり一面真暗闇になった。何と悲しい事であろうか。何とかして死に致らない方法はないだろうかと次の瞬間考えさせられるのであった。」
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