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べてるアーカイブ35th(4) 「分裂病は友達が増える病気」

20年くらい前に社員研修で来た企業に向けた川村先生のお話。
写真は松本寛さんです。

川村
昨日、アルコール依存症の人たちの「AA」という自助グループのセミナーに帯広の方に行ってきました。そこでも話したのですが、病気の人をどう治すかというよりも、自分たちのほうの問題、患者さんと治療者である私たちがいるとすれば、以前は間違いなく、病気の人たちの病気の問題、生活や人間関係、さまざまな症状といったいろいろな問題点にやっぱり目がいっていた。それは治療と考えれば当然のことなんでしょうけれども、なぜか浦河というところは、もちろん治したいということも考えなかったわけではないですが、精神病の人たちがまがりなりにも幸せを感じて生きていくということに必要な条件があるとすれば、我々がこういう現在にいたる活動を始めた時期というのは、たいへん条件が悪かったなと、いま思えば。

いまでこそ、精神病だと名乗る人たちは当たり前のようにいますけれども、当時は誰から見ても「あの人精神病だよね」という若い人でも、言わないで黙っていればバレないでいるだろうと。 精神病であることが誰かに知られるということは生きにくい、特に田舎であればあるほど暮らしにくいという。そういう状況はまだまだ日本中にあるのかもしれません。例えば日赤の7病棟に入院しているとか、入院したことがある人のことを「7病棟あがり」と言ったりする。精神科が、何かからかいの、軽蔑の材料にされるということは、精神病の人たちの責任ではないと今は思っていますが、当時は何かそういう言葉に対して反論のしようがないというか、言われっぱなしでしたね。

精神科って何するところなんだろうと。友達で精神科にかかる、精神病になる、そういう人生、そういう暮らし、どんなことにどう取り組めばいいのか。答えが、こういう捉え方や考え方があるね、ということが残念ながらなかった時代だったんです。だから、ひたすら症状にだけ注目し、とにかく症状が減ること、健常者に近づくこと、病気でない人に近づくこと、それがあたかも治療の成果のように思われていた。正直に思うと、そんなことがどれほどのことになるんだろうかというですね。いま外来に通ってくる人がですね、「先生、私からすっかり病気をとったりしないでね」と。「私、病気を全部とられたら、どうしていいかわからない。私には幻聴も大事です。分裂病、治さないでください」と言ったりする。

何年前でしょうか、製薬会社のみなさんにお話させていただいたときに、松本寛君が「あまり治しすぎる薬をつくらないでくれ」っていう挨拶をして、爆笑だったということがありました。松本君はね、本気で言ったんですよ。ジョークで言ったのではないんです。会社の方は、受け止め方は素人ですからジョークとして聞くしかないだろうなというのはありましたけれど、彼は本当の意味で、精神病のすべてを治されたら困る、そんな単純なことを望んでいないという。我々は、普段ここで精神病に出会った結果、もちろんマイナスもあったかもしれないけれど、逆に言えば予想だにしないかたちでの「恵み」といったらいいのでしょうか、「実り」があったというエピソードはたくさん残っているわけです。

この松本君が分裂病と言われていた時代に、分裂病はどういう病気かと聞くと、「友達が増える病気です」と定義をしたんです。分裂病体験を語り続けていたときに、同じ分裂病の人がたくさんいることを知ったし、彼の話を聞いて声をかけてくれたり握手をしたりする人もいた。松本くんの経験はすごいと褒めてくれる人もいるし、結果的に知り合いが増えていって、3枚だった年賀状が60枚に増えた。これは、彼は病気のおかげだと。病気になった、自分に分裂病があるから、友達が増えたという。そういう受け止め方をしたわけですよね。彼の受け止め方は、私たちに大いなる希望を与えたなと思うのです。

「分裂病は友達が増える病気」という解釈を、私たちが否定する必要はどこにあるだろうかという。それは、彼の実体験からきています。彼の言う分裂病の定義と比べて、医者の分裂病の定義は非常に貧困ですね。みんな分裂病を告知ができない。統合失調症になって、ずいぶん言いやすくなって、話をするようになっているようですけれども、分裂病の時代には、言葉が非常に誤解を与える病気ですが、誤解を与える恐れを乗り越えるだけの、分裂病の解釈に対して圧倒的な重みというのを体験者である松本寛が語ったという、この功績は永遠に不滅ですよ、浦河ではね。

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