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べてるの家のオンラインマガジン「ホップステップだうん!」 Vol.254

・山きよさん
・続「技法以前」203 向谷地生良 続「神々の沈黙」
・「北のバラバラな日々」(8)笹渕乃梨
・ありす便り~「引越し」と「業務用冷凍庫」~ Moving and afreezer for business use~
・福祉職のための<経営学> 116 向谷地宣明 「神の言葉」
・【マンガ】ぱぴぷぺぽ すずきゆうこ「ピンチはお誘いチャンス!!」


山きよさん

山きよさんは、いろんなところを「お散歩」します。

最近は、べてるのスタッフをふりきって「お散歩」に出かけてスーパーの前に座っているところを、見かけた町の人が心配して助けを求める、ということがありました。
駆けつけたスタッフに「いつもと変わらないので大丈夫です」と紹介された山きよさんでした。

この写真は、また「お散歩」に出かけようとしている山きよさんに向谷地生良さんが声をかけているところです。この後は一緒に部屋へ戻りました。

写真・文:江連麻紀


続「技法以前」203 向谷地生良

続「神々の沈黙」

以前にも紹介しましたが、今から4年前、東京で小説『東京プリズン』などで知られる作家の赤坂真理さんにお会いした時に紹介された本が、ジュリアン・ジェインズ(心理学者)の「神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡」(紀伊国屋書店)でした。この本でジェインズは、残された古文書や古代の洞窟の壁画に描かれた当時の人々の暮らしや文化を物語る遺跡の分析から、私たちにとって当たり前の「意識」の誕生をめぐる壮大な仮説を提唱しています。それは、古代の人たちは、「意識を持たず、神々の声に黙従していた」とする見方を提示し、もっともユニークなのが、前2000年紀より前は「誰もが統合失調症」だったと言っていることです。

私たちの日常の言動や振る舞いは、神の影響のもとに理解され、古代人は、判断や行動の基準を「神はどう考えるか」に置き、その声に聴き従うことを大切にしていたのです。つまり、「私はどう思うか」ではなく、その時代の人々は、何か非日常的な事件に遭遇して、緊急な判断を要するとき、「神々の声」がどうすべきかを「非意識的に告げるのを」(111P)待ったのです。遠い昔、人類が「意識」を持つ前は、「人間の心は、命令を下す『神』と呼ばれる部分と、それに従う『人間』と呼ばれる部分に二分されていた」(109)のであり、「神の声」を聴く賜物を持った人は、大切な役割を持っていたことが想像されます。

前回取り上げた京都の古書店で奇跡的に見つけた私の叔父が綴った日記『聖書・新宝帳』についての続報を書きたいと思います。出版(1985年)されて間もなく、全国に配本(3000部)された本の回収と残った本の廃棄をした私の父親(助五郎氏の弟)や二人の娘も既に他界しているため、当時を知る親戚に電話をかけていろいろと話を聞いてみました。すでに浦河で暮らしていた私は、そのようなトラブルが起きていたことも全く知りませんでしたが、分かったことがあります。それは、誰からともなく「精神分裂病」と言われていた叔父は、33歳の時に患った「大病」による後遺症である言語障害と身体障碍以外、一度も、病院にかかったこともなく、勿論、服薬もしていなかったということです。また、叔父の“神秘体験”と“聴声体験”をめぐる日常のトラブルもなく、あったとすれば、自費出版をめぐるいざこざでした。

そこで思い出したことがあります。私が中学2年生の時でした。青森県十和田市に住んで居た私は、市内の「大七書店」で本棚に「向谷地助五郎」の名前が入った本を見つけたのです。1969年(昭和44年)ごろのことです。おそらく手に取って本を開いて見たと思います。ただ、その記憶しかありません。叔父の日記は、1960年(昭和35年)から1965年(昭和40年)にかけて書かれたものです。ですから、中学生の時に見た本は、この日記である可能性があります。ところが、今回手に入れた日記は、出版が20年後の1985年(昭和60年)になっています。この空白は何を意味するのでしょうか。もしかしたら、叔父は、1969年ごろ(昭和44年)に最初の自費出版を試み、しかし、回収の憂き目にあい、次に二度目の自費出版が1985年(昭和60年)だったという仮説を立てています。

もう一つの謎があります。叔父の本を出版した「五戸地方出版」に連絡を入れたところ、社長さんが、叔父の本を大切に保存していたことがわかり、今回譲っていただきました。そこで、驚いたことがあります。京都の古書店で購入した本『聖書新宝帳』と、社長さんから送っていただいた本『新宝帳』の題名が違っていたことです。この謎の解明もしたいと思います。

最後に、ウクライナへのロシアの侵略を契機に、事実上、第三次世界大戦ははじまっているという言説も聞かれるようになりました。私もそんな気がしています。民主主義、対話を重視するヨーロッパでも、イタリア、フランスで“極右”の政党、政権が力を持ちはじめています。特に、イタリアがムッソリーニを信奉する政党の党首ジョルジャ・メローニが首相になったのは気がかりです。と言うのは、イタリアの精神医療改革をすすめたバザーリアは、医学生だった時に、ムッソリーニの圧政に抵抗するパルチザンとして牢獄に入れられ、戦後に医学生として研修をおこなった精神病院が、それと似ていたことに衝撃を受けて精神医療改革をすすめたという歴史的な経緯があるからです。交流を続けているイタリアの知り合いから、地域精神医療サービスの予算削減や精神科病床の復活を望む声の高まりなどがあり、気になっていましたが、これからも注視する必要があります。

最後に叔父の日記にこんなことが書かれていました。

「人類は、遠い昔より今日迄、たえまなく人類の間に紛争がたえず、人類はその争いのあるたび毎に多大なる苦しみと犠牲の中に生き続けてきたのである。その人類の戦渦のたび毎に受ける苦脳たるや、まさに言語に絶するものがあるのである。何と人間というものの考え、行動というものが神の目から見た場合に、愚かも甚だしいものが深く嘆き、悲しんでおられるものと思うのである。何故に、人類がかくも愚かも甚だしき戦争を、繰り返し繰り返し行い人々を苦脳の中に追い込み、多くの犠牲を払込んでおるのであろうか。私達は、深く考えてみる必要があると思うのである。」

二年間にわたってスマトラなど南方のジャングルでの戦地体験と、一年間の抑留生活をした後、奇跡的に鹿児島港に帰国を果たし、部隊があった広島に戻って見た原爆の惨状に慄然とした経験からはじまった叔父の日記は、その後に起きた神秘体験と共に、今を生きる私の日常とまっすぐにつながっていることを痛感します。

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