見出し画像

誰にでもある

 人生において、今の自分を作ったある瞬間、ある出来事というものが幾つかあるものだと思う。

 その、自分を形作った経験のうちの一部は、

 特に人に言えないような恥ずかしい出来事でったり
 あるいは言ってはならない事件であったり

 するのであろう。

 私の好きな作家、ジョン・アーヴィングの作品でもそのような顕著な事件がたびたび描かれる。

 彼の作品・・映画でもそうだ。「ホテル・ニューハンプシャー」しかり、「ガープの世界」しかり、「サイダーハウス・ルール」しかり…、である。彼の映画ではそういう人生を淡々と描きながらもそういう顕著な、エグい事件も淡々と描くのが特徴なので特に強烈な印象を抱かせる。


 そう思ったので、みたび「サイダーハウス・ルール」のBlue-rayを見直しつつ、noteで「サイダーハウス」で検索してみた。すると何本も感想を寄せている記事があったので拝読してみたけど、かなり高評価で安心した。けど人によってはその顕著な事件を、わざわざ描くことに嫌悪感を抱く人もいた。
 そういう方は人生に谷というものがなかったのだろうか。または美しいもののみを観たい、という方なのだろうか…。

 以前そのアーヴィングの3作品についてまとめて取り上げ記事にした。

 その際、サイダーハウスルールの前半のあらすじをおよそ書いたが、主人公ホーマーの人生はその後に、激しい出来事が起こる。

 (前半部分もこちらに転記しておく)

サイダーハウス・ルール

 自身も出生直後から親に捨てられて孤児院で育った主人公ホーマーの青春を描いているのだが、孤児院で世話をしてくれる父役の医者の先生、母役の院長先生たちの皆も、また、年長となったので他は全員年下なのだが孤児の子どもたちも、お互いへの愛情と幸せの感情に満ち溢れすぎている。
 何より父役で医者のラーチ先生が良い。幼い頃の若干のんびりした性格のホーマーが「貰われそうにない」とみて、若い頃から自分の技術をホーマーに教え尽くすのだが、その中でお小言が多く、主義も違いホーマーは反感も抱いている。その孤児院では外部から訪れた妊婦の出産と、希望すれば違法なのだが堕胎も行っているのだ。ホーマーはそれだけは手伝えないと意地を張り、その都度先生のお小言を聞く。先生によれば、女性の自由な意思を尊重せよと。その身を守るためにもと。しかしホーマーは納得がいかない。そんな師弟関係であるが、ラーチ先生は明らかに、ホーマーの、全孤児たちの父であった。毎晩、就寝の時間には子どもたちの小さいベッドが並ぶ寝室で本を読み聞かせ(ホーマーも交代で手伝う)、そして消灯の前に必ず言う。
「おやすみ、メーン州の王子たち、ニューイングランドの王たちよ」

 その言葉を聞いて、孤児たちは幸せな気分で眠るのだ。
 孤児院の幼い子供らは、来訪者の夫婦が来るたびに貰われたいと努力して笑顔を作り自分を売り込む。一人が貰われていくのを、皆で幸せをお祈りしつつ見送るが、辛いだろう。重い喘息持ちの子、ファジーは特に先生たちから労られているが、やはり自分の機会はこない。やんちゃな男の子、カーリーも必死に笑顔を作るが選ばれず、選ばれた子を窓から寂しそうに眺めて見送って言った。
 「誰も僕を欲しがらない」
 ホーマーは言う。「それは違うよ、君は一番いい子だから、そう簡単には渡せない。」
 「僕を欲しいって言った人はいるの?」
 「特別じゃなかった」
 二人は手をつないで部屋に戻っていく。
 自分がいつまでも貰われないその悲しい心情が画面から伝わってきて胸に突き刺さる。ホーマーに歳が近いちょっとませた女の子、メアリー・アグネスはとっくに諦めていて、すれた態度をとる。ある日、かっこいいオープンカーで若い、かっこいい男女が孤児院に来ると、子どもたちは見たことのない車に大喜び。そして期待して売り込む。カーリーも売り込む。「僕がいちばんいい子だよ」と。しかしその二人は、訳あって先生のほうに用事があって来たのだ。
 兵役についているウォリーと、その恋人キャンディ。すごく都会的で、態度も洗練されていて、ホーマーはおそらくとても何かを期待したのだろう、見たことのないものを見てきた人たちだと。そして用事が済み帰ろうとする二人にホーマーは連れて行ってくれと提案する。ホーマーの献身的で誠実な態度も二人にすでに気に入られていて、快諾される。孤児院は突然のホーマーとの別れに、騒然とする。ラーチ先生には呆れられるが、ホーマーの心臓のレントゲン写真をもってけと渡される。ホーマーは心臓が弱いとのことでその証明になるのだ。院長先生と、カーリーが見送りに来る。ファジーは病床から見送る。その夜、院長先生は孤児たちの寝室で「ホーマーは家族を見つけたの。幸せを祈りましょう」と説明する…。メアリーは洗面所で悔しがり、密かに泣いた。
(転記終わり)

 その続きを少し書き記したい。

 そしてたどり着いたそこ、サイダーハウス、つまりホーマーが身を寄せることになったりんご果樹園では、季節労働者として黒人たちや、移民たちが季節ごとに住み込みで働きに来ていて、ホーマーもその一員として衣食住を、白人であるが共にする。ボスは黒人のミスターローズだ。しかし実質は娘のミス・ローズでもあるようだ。

 そこでホーマーの周囲で起きてはならない事件…が起こる。激しい嫌悪感と怒り。罪悪感が交差する。ホーマーは何をすれば良いか、悩む。自分にはできることがあると分かっているから、悩む。しかしついに決断する。孤児院で学んだこと、ラーチ先生の教えが結実する時、映画で最高に勇ましいホーマーの姿が拝める…。

 その後も大変な出来事は続くが、その中でも最も悪役だった男も、時にはとても正しいことを堂々ということがある。視聴者としては一瞬、⁉️となりそうなタイミングでだ。しかし徐々に理解していく。これがアーヴィング、人は単純ではなく、その一面だけで表されるのではないのだ。

 そこが映画の一貫性というものをあえて維持していない象徴である。もともと人々の、また人の人生の多様な側面を描く作品であるから、観る人によっては「一貫性がない駄作」なのかもしれないが、私はそうは思わない。

 それが人生だと思うから。

物事は複雑系

 私はなにについても、「シンプルが良い」と主張する人をとくに疑ってかかる。うっかり私の前でそんなことを言おうものなら、その人の知性をも疑い、また攻撃してしまうことがある。立派な人でもそう言うことがあり、困っている。
 ことさら人間においては、人生においては、その生きるためのノウハウについては、ものごとはシンプルでは無いのだ。たくさんの複雑な事項がからまって要素ができており、その集合であるからとても複雑なのだ。単純な人は(と、単純と決めつけるのも良くないが)、脳内で複雑なこと、3つのことを同時に考えることも難しいようで、といっても脳の意識は真に同時に考えることなどは出来ないから同時並行的に(すなわち切り替えながら)考える、ということも難しいようで、そのような問題に当たったときは賢ぶって要約したがり、また一部を切り捨てて考え、そこから陳家な結論を導き出す。そうしてまた望まぬ結果になり、人々を呆れさせる。

 脱線した、そんな話しはどうでもよかった😓

私を形作ったもの

 私にはもの心ついた時から多くの人々、すなわち両親と3人の兄妹に囲まれて、その影響は多くあったが、彼ら抜きにとりわけ母に連れまわされていた時の記憶ばかりが比較的明確に残っている。その時誰がどんな人と居たか(名前までは思い出せなかったり)、何を話していたかが思い出せる。読者よ、女の子の1・2歳、幼少の記憶力をなめるでないぞ。
 若い頃からそのことが不思議といつも思い起こされ、それは何か淡いもやのような曖昧なビジョンなんだけど、それは決して目を凝らしてはいけない、ような…。常にそんなものが視界の片隅にあったままで成長させられたのだった。

 母と共に乗る、家には無い車で父では無い男の運転により、街道を走っている時に母から言われた。「妹は、ここの病院で生まれたのよ、」窓の外の病院を指して。

 妹だけ、違う地方での出産だったということだ。

 ある日もその男の車で、夕暮れ、その地域の山道を通過する途中、車を止めて林に囲まれた山中にて車の外で母とその男が何かをしていた記憶。

 その時何をしていたかは大人になってから分かった。

 また少し成長し引っ越しもして、交友関係も変わり、父も知る、母の趣味の着物の購入先である、母の友人であるという男性と何度もあった商談の往訪。

 …という名の逢引きだった。それにはその人の息子さんという私より少しだけ年上で優しい少年とその間遊ばされるという(趣味が近くまんざらでもなかったのだが)記憶は少し私にも甘酸っぱく残っている。

 おかげで今も実家の桐たんすにはたくさんの高価な着物が一度も羽織られること無く眠っている。

 また私自身の話でも強烈なものが残っている。

 まだ幼稚園児程度のころ、兄たちに連れられ子供だけで灯台のある海に行き、岩場で潮干狩りをしていたところ夕方になりいつの間にか潮が満ちていて(この説明の用語は今だからそう表現している)、危うく戻れなくなり初めて死を覚悟したこと。それが原因で本当に海と水が苦手になったので私は全く泳げない。

 それからもいろいろあるが端折って小学校高学年の頃。私は小学生のうちに2回引っ越していたのだがそこに、最初の小学校で同級生で(1・2年生の頃)近所だったちょい不良の男子も引っ越してきて再開し、かれはだいぶん無口になっていたけど、こっそり仲良くなり、一緒に放課後よくゲーセンなどに行きなどした。彼はお母さんが病気で入院しており、いつも家では一人らしく寂しそうだった。そして何やらよく分からなかったのだけどある日は、ゲーセンではなくてそのお母さんの入院している病院にお見舞いに連れられ、紹介された。私はよく分からず挨拶をしたのだけど、あれは何だったのか、ずっと考えてた。

 中学になるとクラスも同じではなかったし恥ずかしかったのか、もう見なくなってしまって同じ学校にいたかどうかすら分からない。

 その他、妹とやたら喧嘩して負けたこと、その妹も兄に一方的に殴られた負けていたこと(私は恐怖ですくむのみ)、その兄も父といがみ合っていてある日はとっくみあいの大げんかして怖かったこと。
 飼っていた猫が死んだこと、川に落ちた猫を私が呆然としていると妹が川に飛び込み助けたこと。
 宗教家の家系でもあるのでしょっちゅう宗教行事に連れられたこと、そこで周りの大人が皆号泣するので良い子の私も泣いたふりをしたこと、なども強烈な記憶として残っている。

 他にも、この告白を書こうというnote記事にもやはり書けないような出来事はまだ、2・3ある…。

誰にでもあること

 私が確認したいのは、このような自分を形成する原因となった出来事は、とてもショッキングなものもあれば、静かな記憶だがよく考えれば心に強く残った出来事など様々だが、きっと誰にでもあるのだろう、ということだ。

 それを教えて下さい、と烏滸がましく言いたいのではなくて、アーヴィングの作品がそうであるように、よく考えてみると太宰治などの私小説もそうであるように、それによって作品が豊かに、興味深くなっているように、そのような心中穏やかで無い事柄がある人生はとても幸せばかりでは無いと総合的に言えるけれども、少なくとも、自分の人生を多彩に色づかせ、深いものにしているし、それらが尾を引いていまだに自分の生活あるいは性格に影響して不幸を継続させているものもあるけれど、それが今の自分であるからには、それらは必要であったことは、

 否定しない。そう思うのである。

P.S.

 この文章、長くなったのでChatGptに要約できないか頼んだところ、このような提案をされた。

…詰まらん。なので却下した。w

betalayertale 2023年8月11日

4900文字

楽しい哀しいベタの小品集 代表作は「メリーバッドエンドアンドリドル」に集めてます