女風ダークアカデミア クレオパトラの夢 11話
「こんな千鳥格子はどうかしら?」
渡されたジャケットを手に取ってみると、浅い黄土色に細かくて濃い茶色の模様が規則的に生地に織られている。パッと目にはわからないが、近づいてよく見ると、茶色二色のグラデーションだけでなく、その模様が数段ごとにオレンジ色に変わっていて、十字の格子を描くようになり、さりげなくチェックの模様が施されている。素朴で無骨な織物ではあるけども、細かいところにさりげない味付けがされていて、これは料理にも通ずるところがあるなと思って、ビストロ料理があたまに浮かんだ。ちょっと寒さが残る春の夜、今夜はポトフでも作ってみようかな?
「このオレンジ色の格子の部分が隠れたアクセントになってるのがいいですね」
僕はオレンジ色の格子状の部分を指でなぞってみた。
「若いからちょっと明るめの色のほうがいいのかなって思って、明るいブラウンを勧めたのよ、オレンジ色もさりげなく入っていて素敵でしょ?試着してみて」
女性の言葉に僕は素直にうなずいて、試着のためウルトラライトダウンとパーカーを脱ぐと、女性は何も言わずにそれら受け取ってくれて、ロンT一枚の僕の袖を通しやすいように千鳥格子のジャケットを広げてくれた。「すいません」と軽く会釈をして右腕を袖に通す。古着独特のちょっとホコリっぽい香りがしないのが好印象で、そのまま左腕を入れてみる。この部屋の角にある楕円の木製のアンティークの姿見の前に誘導されて自分の全身を見たら,袖は長くもなく短くもなく丁度いい感じだ。胸のポケット内にある小さなタグを見ると「midiam 40」と書かれていた。身長178センチの僕は英国ではちょうどミディアムで、40というのは多分胸囲のことなんだろうと理解した。ちょっと胸を張って姿見で自分の横の姿を見ると、若干胸板が足りない気がしたが、インナーでセーターでも着ればごまかせるんじゃないかと思った。それから後ろ姿を見ると、ジャケットの丈もちょっとお尻が隠れるくらいで丁度いい。アンティークの姿見に自分の姿を映す、その行為そのものが非日常な感じがして、僕の妄想がさらに膨らんでいく。このジャケットを着て同じような柄のハンチングをかぶって、庭にあるガゼボの下、ベンチに座ってウエッジウッドかオールドノリタケのティーカップで紅茶を啜りながら気ままに読書をする午後のひと時が脳裏に浮かんで消えていった。
「よく見る伝統的な柄ですが、何で千鳥なんですか?」
「英国ではハウンドトゥースと呼ばれていて、まぁ狩猟犬の歯って意味だけど、この小さな模様が狩猟犬の歯に似ているからそう呼ばれているみたいで、日本では千鳥が羽を羽ばたかせて飛んでいるように見えるので千鳥格子。私には両方ともピンとこないんだけどね・・・」
生地の模様に顔を近づけて、目を凝らしてみたが、太い羊毛でざっくりと編まれたツイードでは、形がぼんやりと見えるだけで、この模様が犬の歯にも鳥が羽ばたいているようにも見えやしない。もしもデジタルで描かれた同じ模様があるのだとしたら、はっきりとわかって印象もまた変わるのかもしれないが。
「ちなみに、この千鳥格子の柄をさらに極細にしてを大き目のチェックに発展させたのがグレンチェックね、私のこのハンチングと同じ柄」
女性はハンチングの短いツバを右手の指で軽くもち上げてニコっと笑うと、ハンガーラックからグレーと黒のチェック柄のジャケットを取り出して僕に見せた。スーツにも同じ柄があるのを見たことがある。
「そして、もう一つ典型的な柄があって、あれどこかな?」
女性はハンガーラックを見渡して、ちょっと離れたところにあるジャケットを一つ取り出して持ってきた。
「そしてこのギザギザ模様の山型の連続している柄がヘリンボーン。ニシンの骨って意味ね」
これは千鳥格子やハウンドトゥースよりもわかりやすい。たしかにニシンの骨と言われても納得はできる。グレンチェックや千鳥格子よりももっと原始的で素朴、そして野性味を感じる。
「年配の渋い男性が着倒した古いヘリンボーンのツイードのジャケットを着こなしているのを見ると、私的にはイタリア製のブランドのスーツを隙なく着こなしている男性よりもよっぽど魅力的に見えたりするわ」
「なんとなくですが納得します。ヘリンボーンには男臭い感じがする。俳優で言うとジョージ・クルーニーとか・・・」
「言われてみるとたしかにそうね。私はアンタッチャブルのショーンコネリーかな。なかなか日本人にはハードルが高い柄かもしれない」
そう言われて日本人でヘリンボーン柄を身に着けている男を想像してみる。
「こういう柄を身に着けてる日本人のイメージは金八先生かな?」
頭をフル回転して、絞り出した僕の答えは武田鉄矢だった。
「金八先生ね・・・」
女性はくすっと笑って、笑顔まましばらく無言になった。
僕はまだ見ぬスコットランド北部の風景をイメージしてみる。ゆるくなだらかなワインディングロードを僕は古いローバーミニで走っていて、丘陵地帯を放牧された牛や羊がのんびりと草を食んでいる。道はやがて静かな湖の横を通り過ぎてしばらく行くと、険しい渓谷が見えてくる。谷を越えると小さな町がみえてきた。夕暮れ時、寒風が吹きすさぶなか、町外れにある寂れた木造のウイスキーの蒸留所で働く男達が帰宅を急ぐときに、ハリスツイードのジャケットの襟を立てて寒さをしのいでいる。そんな風景か僕の脳裏に浮かんでは消えていった。
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