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奇遇にも、『道ありき』と『未来からの贈り物』が隣り合わせになりました。

2017/01/31: ブログ記事・転載

三浦綾子氏の小説『道ありき』は、自伝的小説として有名です。著作は既読していませんが、著名な小説の『氷点』は既読しています。

『氷点』は、とても感銘を受けました。まさか拙作『未来からの贈り物』と、三浦綾子氏の著作が隣り合わせに並ぶとは夢にも思いませんでした。

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「1963年に朝日新聞社が、大阪本社創刊85年、東京本社創刊75周年を記念する事業として懸賞小説を募集した時の入選作品である。賞金は当時としては破格の1000万円であり、募集要領には「既成の作家、無名の新人を問わない」とあったが、実際に無名であった三浦の作品が入選したことは大きな話題となった[注 1]。なお、挿絵は福田豊四郎が担当した。継母による継子いじめ、義理の兄妹間の恋愛感情などの大衆的な要素を持つ一方、キリスト教の概念である「原罪」が重要なテーマとして物語の背景にある。続編のテーマは罪に対する「ゆるし」であり、これらのテーマには三浦の宗教的な立場が色濃く反映されている。物語の舞台となった旭川市の外国樹種見本林には、三浦綾子記念文学館があり、本作の資料も数多く展示されている。  出典: 氷点


•1963年の元旦、三浦綾子は懸賞小説を募集する朝日新聞の社告を読み、一晩であらすじを考えたという。最初に書いた部分は、小説では最後に登場する陽子の遺書であった[1]。氷点の題を付けたのは夫の光世であり、彼はまた批評をしたり写しを取ったりして綾子を支えた。原稿を発送したのは、締め切り日の大晦日であった[2]。•主人公の「陽子」の名前は、6歳で早世した綾子の実妹の名から取った[3][4]。•三浦夫妻は賞金を自分たちのために殆ど使わなかった(大半は綾子の入院費用のために実父が作った借金返済と教会への寄付に充てられた)作品がテレビドラマになったのに関わらず、光世が許さずテレビさえ買わなかったという[2]。•新聞紙上の連載が終わりに近付くと、「ヨウコハシンデハナラナイ」という電報が、読者より朝日新聞東京本社に届く[5]。本来、陽子の生死は明らかにされないまま完結する予定だったが、「陽子を生かしてほしい」という要望があまりに多く『続・氷点』が書かれた。  出典: 氷点-逸話

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