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『サガン・疾走する生』の読後感【読書日記】

フランス人作家、フランソワーズ・サガンのデビュー作『悲しみよこんにちわ』は、あまりにも有名です。

もちろん、私も若いころに読んだ記憶があります。

本書は、マリー=ドミニク・ルリエーヴル氏がサガンと親しく交流のあった人々に取材を試み、著名な作家「サガン」の人物像を描いた書籍です。翻訳家の永田千奈氏が翻訳を担当しています。

書籍を通読すると、フランソワーズ・サガンの人物像が浮かび上がってくるほど、丁寧に描かれていることが分かります。

『サガン・疾走する生』を通読して、特に、私に印象を与えた文章を引用したいと思います。

P28(引用文)
「話題性を高めて本を売り出そうと言いだしたのは、ラディゲだった。これまでは、ごく一部の人たちが書物を独占し、だめにしてきた。こんどは広告を使って、やつらに仕返しをする番だ。宣伝広告を忌み嫌う頭の固い人たちには読んで
もらわなくていい。この作品にふさわしい読者こそ、この本が届くようにすべきだというのがラディゲの持論だった」
P189~190(引用文)
よほど健全な精神の持ち主で、なおかつ確固たる今日行くを受けた人でないかぎり、突然、大成功をおさめ生活が変わってしまったら~大衆は勝手に誰かをスターにまつりあげたかと思うと、すぐに飽きてしまう。
やがて大衆は、あんな派手な生活をして、あの人はいったい何様のつもりなのかしらと、思うようになるのだ。
栄光は、繊細な心に容赦なく襲いかかり、心を乱す。
P259(引用文)
「芸術とは、驚きという形で具現されるもの。ふだんは気にもせず、ただ刻々と過ぎていく瞬間をきちんと捉えなおし、ある種の感情を呼び起こす特別な時間に変えること。芸術にとって、リアルかどうか問うても意味がない。
いわゆるリアリズム小説ほど非現実的なものはないし、あんなのは悪夢だ」(『肩越しの回想』)
どうして自分が書いた本について話さなくてはいけない? 自評したり、分析するなんてもってのほか。

「出版されてしまえば、作品は読者の手にゆだねられる。好きなように読んでもらえればいい。誤解があっても、それはそれ。」

この言葉に、思わずうなずいてしまいました。

フランソワーズ・サガンの著作を耽読した経験のある読者には、読む価値のある書籍だと思います。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。これからも、よろしくお願い致します。


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