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【映画】リトル・フォレスト 冬・春

最後まで母が出て行った理由は分からず。

だがそれでいいほどに、人生について考えられる。



そもそも自由な人生だが、自由に生きるのは難しい。

そんなことを私は感じた。

自分ももう少しやれるのではないか。


アマプラのレビューでかなりくらったものがあったので。


この映画のメインストーリーは、主人公の自治の物語です。 一見、自分で作物を育て、野生の山を登って野生の野菜を手に入れ、自給自足のいい女だと思いますが、親友や後輩が厳しい言葉を言うこともあります。 私はそれを投げています。 最初はこんなにひどいことを言われて不快に感じましたが、ゴールデンウィークの長い休暇が終わり、仕事を再開したとき、「ハァッ」と思いました。 彼女は仕事に安心している。 彼女は、働いている人がより有意義に時間を費やしていると感じ、充実感と達成感に驚いていました。 普段は仕事で忙しいのですが、休みが欲しいと疲れて嘆き悲しむこともありますし、休みの日は何もせずに家をいじりながら客観的に自分を見つめています。 どういうわけか誰も私に答えません。 持っていなくても罪悪感を覚えることがありました。 無駄に一日を過ごした自分自身に。 そのため、仕事が始まるとその日はいつも仕事に専念し、やるしかないし、仕事もお金を稼ぐので、都合のいい言い訳ができます。 それは突然この映画の主人公と同期しました。 彼女の親友である後輩は会社で働き、社会と向き合っています。 しかし、彼女は仕事を得ることができず、実家に一人で住んでいます。 彼女はそこで毎日の自給自足を奪われていますが、彼女は自分が育てた野菜や米を出荷せず、自分で食べるのに十分なだけ育ちます。 彼女にとって、それは現実逃避です。 これを行わないと、ある日、別の日、そして| 通過します。 達成と達成の蓄積。 彼女はそれを手に入れている間、自分が悪いことに気づいていません。 自給自足れをこなすしかないわけで、働くことでお金も発生するわけで、結果自分に都合のいい言い訳ができるわけです。それが、ふとこの映画の主人公とシンクロしたんです。彼女の親友、後輩の男の子は会社に務めて社会と向き合っているんです。だけど彼女だけは仕事に就かず独り実家に住んでいるんです。そこで日々の自給自足に日を奪われるわけで、しかし育てている野菜や米も出荷するわけではなく自分一人が食べるだけの量を育てているだけ。彼女にとってはそれが現実逃避なわけです。これをしなきゃ、あれをしなきゃで一日、また一日と時間が過ぎていく。充実感と達成感の積み重ね。それを得ている間は自分が駄目だと気づかない。自給自足をしている間は変なことを考えなくていい。未来の事も考えなくてもいい。ただ目の前のタスクを一つずつ終わらせることだけ集中することで「自分は駄目じゃない」と安心する。これが自分にとっての仕事でした。自分のやりたい夢を棚に上げて仕事に逃避しているんです。でも、彼女は違いました。この作品の春編で彼女はようやく現実と向き合い、自律します。自分のやるべきこと、やりたいことを見つけて一歩前に進みます。そういう裏テーマ的なことを説明せず映像だけで四季を通して伝えているので久々に良い映画に出会えたなあと思いました。



そーいうことなんだ。

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