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ダビスタを忘れていた(競馬歴)

ダビスタ

先日「競馬歴について」という記事を書いたのですが、昔のNumber(351号)を読んでいて「ダビスタ」の記事を発見し、そういえば自分の競馬歴として「ダビスタ」を入れるのを忘れていたな、と思いました。(記事は、当時の最強馬を作った横井さんという方のインタビューでした。)

「ダビスタ」は1991年に最初のタイトルが発売され、以来シリーズ化され、様々なハードでいくつもタイトルが出ています。
自分がやっていたのは、スーパーファミコン版の「ダービースタリオンⅢ」、「ダービースタリオン96」あたりで、1995年〜1996年ぐらいの時期です。

ライバル馬にアグリキャップ、メジロマッコイーン、コウカイテイオーなどいましたね。(今Wikiで調べると96で実名化されたようでした。)

あ、あとスーパークリックもいたな、、イナリワンのダビスタ名はなんだったかなぁ・・

ちょうど競馬にハマった時期

本物の競馬を好きになったのが先か、ダビスタが先だったのか、いまいち思い出せません。ただ、相乗効果のようなもので、本物の競馬が面白いからダビスタにも夢中になったし、ダビスタで仮想のオーナーブリーダーを楽しみつつ本物の競馬にもハマっていったような、、

この時期のスターホースと言ったらなんと言っても三冠馬ナリタブライアン、そして同い年の重賞6連勝牝馬・ヒシアマゾンでしょうか。

ブライアンとアマゾン、そして夢の対決

ただ、ナリタブライアンは94年・3歳時(当時は4歳表記)の圧倒的な強さは、年が明け95年、古馬になってからは故障の為なりを潜めてしまったし、ヒシアマゾンも4歳春に米国遠征に挑んだものの怪我でレース回避と空回り。

今改めて整理してみると、ブライアンとアマゾンの少し前の世代はたしかに個性派・実力派揃い。そして、故障して引退する馬が多かった。ライスシャワーに至っては、レース中の故障で最悪のケースに至ってしまった。

【4世代上】メジロマックイーン・93年秋の天皇賞前に故障、そのまま引退。
【3世代上】トウカイテイオー・93年有馬優勝後現役続行も94年夏に引退。
【2世代上】ミホノブルボン・92年菊花賞後故障、94年1月に引退。ライスシャワー・95年天皇賞春優勝後、6月宝塚記念で競走中止、安楽死。
【1世代上】ビワハヤヒデ・94年秋の天皇賞秋前に故障、そのまま引退。

4つ上のマックイーンとブライアンの直接対決はそもそも現実的ではなかっただろうけど、トウカイテイオーって94年も現役だったんですね。ミホノブルボンも引退発表は94年1月。・・ということは、94年の有馬記念でナリタブライアンやヒシアマゾンと直接対決する可能性もあった。

もちろん、兄であるビワハヤヒデとの対決も現実的だった。

これらの「夢の対決」が次々と霧散してしまい、競馬ブームは踊り場を迎えたのかもしれません。ブライアンの1つ下の世代で三冠候補と言われたフジキセキも、3月の弥生賞の後に屈腱炎で引退と、今思うと、1994年から1995年の春にかけては、競馬ファンに冷や水を浴びせる出来事が多かった。

そんな時だったからこそ、ダビスタだった?

そんな、競馬ファンが「夢の対決」を妄想する機会を次々と奪われた時期に、ダビスタではスターホース達が一同に集結して勝ったり負けたりするさまを楽しめた。

さらに、自分が生産して育成し、自分で考えた勝負服を着た騎手、そして自分で名付けた馬たちがそのレースに参加し、スターホースたちと対戦する。

これは最高の楽しみだったのかもしれませんね。

もっとも自分は、あまり強い馬は作れず、メジロマッコイーンやコウカイテイオーが出てくるとレース前から白旗を上げていましたが、、(笑)


そういえば、ウマ娘も史実を元にストーリーを組み立てつつ、実現しなかった「夢の対決」が見られるストーリーに仕立て上げられているんですよね。そのうち見てみたいと思ってます。

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