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(今更だけど)武豊のすごさを考える。

祝★大阪杯優勝。武豊騎手、ジャックドールを絶妙なペースでエスコート。やっぱり武豊はすごい!(2023.4.5記)
祝★有馬記念優勝!ドウデュースで4度目の優勝!!(2023.12.24記)
祝★JRA4500勝達成!(2024.5.12記)



武豊について、(今更だけど)、考える。


ウマ娘のアニメをゆっくり観ている。

今のところ、シリーズ1の第3話まで見終わった。
スペシャルウィークとサイレンススズカの絡みや、モブ的に登場するオグリキャップやヒシアマゾンなど懐かしの名馬(の名をつけられたウマ娘)たちを見ながら、ふと思った。

この設定だと、騎手は出てこないのか、、

スペシャルやスズカの主戦騎手だった武豊も出てこないのか、、

ウマ娘きっかけで競馬に興味を持った人は、ひょっとして競馬場で馬に人が乗っていることに驚くのかもしれない、、

浅田次郎氏の競馬エッセイ「勝負の極意」に書かれていた笑い話で、競馬場に若い女性ファンが増えた時代に、パドックを馬が周回しているのを見て、「ウソ!?こんな狭いところで走るの!?」というものがあったけど、現代はウマ娘きっかけで競馬場に初めてきた人が「ウソ!?馬に人が乗って走るの!?ウマ、かわいそー!」などという笑い話が生まれるかもしれない。


・・いきなり本題から逸れたけど、今日の記事では、リアルスペシャルウィークやリアルサイレンススズカの主戦騎手だった武豊について考えながら書いてみたいと思う。


実績はWikipediaなどにゆずる


武豊の凄まじい実績については改めて紹介は不要かと思う。中央競馬の通算勝利はもちろん、年間リーディングジョッキー獲得回数、獲得賞金、G1勝利数、重賞勝利数などなどあらゆる記録の保持者。同時に、ありとあらゆる記録の最年少記録保持者。

ディープインパクトやウオッカ、キタサンブラックなどあらゆるスターホースとコンビを組み、日本のみならず世界の競馬界にその名は知れ渡っている。


平成三強全てに騎乗し、G1勝利

キャリアを通じてすごいので、キャリアのどこを切り取ってきてもすごい武豊。

個人的に特にすごいと思うのは、スーパークリーク、イナリワン、オグリキャップという「平成三強」と言われるスーパーホース全てに騎乗し、しかもしっかりG1勝利をものにしているという事。(リアルタイムでは見ていない・・残念)。

そして、1969年生まれの武豊はこのときまだ20歳前後。(スーパークリークで菊花賞を勝った時は19歳8ヶ月。)

現在、ちょうど3年目で勢いのあるジョッキーというと、カラテで重賞勝ちのある菅原明、岩田康誠の息子で勝ち鞍の多い岩田望来、ディアンドルなどで重賞勝ちのある団野大成あたりだと思うが、まだG1は未勝利。それどころか、そもそも有力馬への騎乗がほとんどない。ただ、それは当たり前のこと。

この中では、2世ジョッキーということで岩田望来が境遇的には武豊と重なる部分が少しはあるか。他の若手騎手に比べ有力馬への騎乗も比較的多い。
「平成三強」に乗るということは、例えるなら、この岩田望来がクロノジェネシス、コントレイル、ワールドプレミアすべてに乗ってG1を勝つ、みたいなものだろうか。

・・例えが難しい。やはり、「平成三強」各馬と武豊が生み出したドラマと、ただの想像・例えを比べること自体あまり意味がないのかもしれない。

20歳前後で周囲からの信頼を得て一流馬の騎乗を任されている事と、その信頼に結果を出す事で応えている事、このふたつの事実が何ともすごい。
30年前、どのようにしてこの状況は作られたのか、または、武豊はどのようにこの状況を作り出したのか?


出てくるべき人・凛々しき人、武豊

武豊のすごさの源泉を探ろうと、32年前、1989年(平成元年)のNumber(230号)を読み直した。
Numberのバックナンバーの表紙をHPで確認すると、それまで「競馬」特集が組まれダービー馬やレース中の馬群が表紙となることはあっても、「人」が表紙を飾るのはこの号が初めてのようだ。これもまたすごいことだと思う。

230武豊


武豊は騎手となり三年目。この年、武豊は全国リーディングを初めて獲得し、G1ではシャダイカグラで桜花賞、イナリワンで天皇賞・春と宝塚記念、スーパークリークで天皇賞・秋の4勝を挙げている。

しつこいようだけど、このとき弱冠20歳。

この頃、各媒体はこぞって武豊で特集を組み、その中で武豊は多様な業界の著名人と対談したり、また、著名人が武豊を評してものを書いている。

このNumber230号では、写真家の英隆ハナブサ・リュウが以下のように武豊を評している。

彼には「贅肉」がない。
無駄なものがない。からだつきのことだけをいっているのではない。例えば、彼のことばは、ことばどおりでそれ以上でもそれ以下でもないように思える。
寡黙でもなく、おしゃべりでもない。無理をしていない。気負いがない。自然にふるまっている。自然体でいる、ということになるのだろうか。
日本にもいよいよ出てくるべきひとが出てきたと私には感じられた。以前いわれていた、新人類というようなことばでは括れないようなひとが。

同じ号で、作詞家の阿木燿子は以下のように武豊を評している。

対談している途中で「ああ、この人ならトップを走っていても何の不思議もないな」って納得できました。
その理由の第一には、なにか一つの「道」をやり通すことのできる資質を持っているということが挙げられると思います。剣の達人とか武術の達人のように、一つのことをするために生まれるべくして生まれてきたような雰囲気のある人ですね。
そして何よりも驚いたことは、年齢が親子ほども違うのに、大人であるこちらが馬鹿なこと言えないような、物事の本質を一瞬で見抜いてしまうような才能を持っていることですね。
人の話を海綿体のように吸い込んで、良いものだけを選択できる能力があるんです。
私はこういう言葉は使いたくないんだけれど、ほんとうに今の社会では珍しく凛々しい人です。

“出てくるべき人が出てきた””今の社会では珍しい”という評価から、どうやら騎手として、という前に、ひとりの人間として非常に珍しいタイプだったことが読み取れる。

このNumberの記事の中で、武豊は「(理想と思えるレースを出来るようになるのは)28歳。根拠はないけど、そんな気がします。」と言っているように、技術的な伸びしろはまだまだ大きかったに違いない。3年目なんだから当たり前ではあるが。

◆技術的にはまだ足りない部分はある。
◆ただ、G1で勝ち負けできる馬に乗せても恥ずかしくない技術は備えている。
◆そして、技術的な部分とは別に、「期待」を寄せたくなるオーラを持っている。

・・まとめると、3年目・弱冠20歳の武豊に一流馬の騎乗依頼が集まったのには、これらの理由があったのではないだろうか。
騎手という職業は、素人考えであるが、経験を積めば積むほど技術的には向上できるチャンスが多い仕事だと思う。武豊もそういう意味で、3年目の時点ではまだ技術的には物足りない部分はあっただろうが、それを補って余りある人間的な魅力を兼ね備えており、その人間力という点では「早熟」と形容もできるほど、若くして完成されていたのではないかと、想像する。


「令和」の武豊への「期待」

今年の5月発売のダービー特集号のNumber1027号では、「武豊の4000勝騎乗論。」というコンテンツで登場した武豊。

ウマい豊

今年のダービーはディープモンスターに騎乗。単勝23.7倍で16着に敗退。
かつてよりも、たしかに勝てるチャンスのある馬への騎乗は減っていると思う。
しかし、武豊の名前が載っている馬柱を見て競馬をやってきたファンとしては、ダービーにもう一回勝って欲しいし、日本競馬の悲願である凱旋門賞にもチャレンジし続けて欲しい。(密かに、ディープボンドはキズナの仔でもあるし、武豊騎乗が実現しないか期待していたが、クリスチャン・デムーロに決まったようだ。)

これからは、若い時にとりまくった「最年少記録」とは逆に、「最年長記録」をとりまくって欲しい。


おまけ

Number230号には、「ユタカがライバル」というコンテンツがあり、今は調教師として実績を積んでいる松永幹夫、角田晃一、来年厩舎を開業予定の蛯名正義、落馬事故で早逝してしまった岡潤一郎、そしていまだ現役の柴田善臣の若き日の姿と、武豊に対するおのおのの気持ちが綴られている。

230幹夫
230岡・角田・蛯名
230柴田善

当たり前だが、この時点で武豊に白旗をあげるような騎手はいなかった。
しかし、この中でのちに武豊に追いつける騎手はいなかった。
そして、ここには載っていないがのちにデビューする藤田伸二、後藤浩輝、福永祐一なども追いつくことはできなかった。

また別の記事で、武豊たちとライバルの関係性から見える武豊のすごさを書いてみたい。


<その後、”いまいちど武豊のすごさ”について記事を書いてみました。>

よければこちらもご覧ください・・。

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