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やりきったかい:帰還編

ぼちぼち見ていってたバンドリ2期・3期を見終えてしまった。

最後、チュチュが憑き物の落ちたような表情でステージに立ってるのを見て、俺は静かに泣いた。

元オーナー、甘々すぎる。
優劣とか付けないタイプ。
まあやりきったかどうかが重要だからね。

3期始まって満を持して!という感じで今回も出てくるオーナー。
SPACEがなくなったので元が付く。
もはや自分でネタにしていく勢いでやりきったかいと言いまくっていた。
でも肝心な場面ではやりきったかいとは言わない。
言わなくても伝わるからね。
変わってませんね。

今回は別にそんな元オーナーの話をしたいわけではない。

バンドリ1期は、ある意味SPACEという「場所」が主役の話だった、と認識している。
そして2期からはバンドそのものにフォーカスした話になっている。

初めは順番にバンドグループ一つ一つに焦点を当てつつ進んでいくわけだが。
アニメだけだと彼女らのことはよくわからない。
これはもうガルパで履修してくださいというスタイル。
その内ね、その内読みます。

そんなバンドリのことをよく知らない自分にもわかる多分アニメからの新規グループの皆さん、RAS。
いわゆるヒールっぽい立ち位置で出てくるグループなわけだけど。
どのグループでも一貫して描かれているのは、バンドというのは居場所であるということ。
RASも紆余曲折あった結成から時間をかけてそのグループがメンバーの居場所になっていく様子が描かれている。

作中でロックが言っているが、「このメンバーじゃなきゃ駄目」という運命のようなものがあり。
その運命を共にする、文字通りの運命共同体。
それがバンドなのだ、という描き方をしている。

どこかの場所に拠るのではなく、バンドは自らの足で歩んでいく。
翻って、バンドそのものが居場所になる。
それが「場所」を描いた一期から昇華されたテーマになっている。

当然、それはmygoまで貫かれているわけで。
バンドは運命共同体である、というのはまさしく祥子が口にした言葉でもある。

なぜそのような描き方になるのか。
これが仕事としての音楽や学校の部活としての音楽をテーマにしていたなら、全く違う話になる。
バンドリは学生バンドがテーマだが、その多くは学校の外での活動だ。
何らかの義務ではなくただ音楽のために集まった集団だからこそ、彼女達が共にいることの意味を重視しているのだろう。

バンドリはバンドという自由な関係だからこその作劇をしている。
思えばmygoで生まれたドラマ性の多くもそこから起因しているものであった、と感じるし、それは過去作を見ても共通して感じられる。

バンドリという作品の歴史、そこに貫かれてきたテーマ、その一端でも知ることができた。
見てよかった、と思う。

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