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冬期限定ボンボンショコラ事件を読んだ

小鳩くんが……事故に遭った……。

入院生活はとても大変そうだった。
なぜ彼がこんな目に……と何度も思った。

そしてなぜ彼が撥ねられたのかという理由が小説を通して論理的に紐解かれていく。

「なぜ」とは思ったがそれは理不尽さに対してであって。
確固とした理由が存在すると「そうか……」と閉口せざるを得なくなる。

いや、その上で小鳩くんが遭った目は理不尽であるとは思う。
ただ小鳩くんは必ずしもそうとは思えなかったみたいだった。

物語を俯瞰する立場にいる一読者の自分としては、中学時代の小鳩くんのことはそれほど悪いように思っていない。

別に彼のしたことが悪くないと言うわけではない。
ただ小鳩くんは彼が自分で卑下してるほど悪い人間ではない。

小佐内さんを庇ったこと。
小鳩くんはこのことについてどうにか合理的な理由を付けようとしている。
合理的というか、善意からの行動ではなくあくまで自分本意での行動だったのだという風に。

小鳩くんにとって小佐内さんはそれほど大事な人間ではない、と当人は思っているだろう。
つまり、自分の命と天秤にかけて救わなければならないほど親しい間柄ではないと。
また、それが人間の自然な考え方だ、とも思っているかもしれない。
自分より優先して他人を助けるなんてことは、特別な理由でもない限りあり得ない話だと。

けれど実際のところ、小鳩くんが小佐内さんを庇ったのはそれほど不自然なこととは思わない。
自動車が突っ込んできたときに咄嗟に隣にいる女子を庇う、その行いのどこが不自然だろうか。
目の前で赤ん坊が井戸に落ちそうになっていたら、誰であろうと思わず手を差し伸べる。それと同じくらい自然な反応ではないか。

単純な性善説と性悪説の話だ。
性善説と性悪説は互いを否定するようなものではない。どちらも人間の本性でありそういった二面性を抱えるのが人間だと言える。
小鳩くんにもそうした自然な善意がある。ただそれだけのことと言えばそうなのだ。

だが、小鳩くんはそんな自らの善意を無視している。
それが現在の小鳩くんに根差している問題だと言える。

思えば小鳩くんはそういう屈折した高校生だった。
小鳩くんに比べれば小佐内さんはずっと自然に生きている。自らの欲求に忠実であるとも言える。
何せ小市民の誓いを真っ先に破ったのは小佐内さんの方だ。
一方で可愛い後輩に対しては損得に関わらずそれなりに手助けをしてあげるのも小佐内さんだった。(巴里マカロン好きです)
そんな小佐内さんに対して小鳩くんは内省的であり、常に自分に向けて鬱屈した感情を抱えていたように思えてならない。

その理由も冬期限定ボンボンショコラ事件を読めばわかる。
中学時代の小鳩くんの失敗は大きいものだった。だから自分の本質ごと過去を否定しようとしていた。
たとえその本質に少しの善意が含まれていたとしても。

小鳩くんは自身を自らの虚栄心を満たそうとするだけの浅ましい人間だと思い込んでいた。
だが本人にも自覚できないほどの薄い薄い善意。人間本性的な自然かつ幼い善意があった。
その自然な善意が自らの失敗によって否定されたからこそ、小鳩くんは傷付いた。そして善意を自覚するより先にそれを忘却しようとした。

そのような態度が高校時代の小鳩くんを形作っていた。
だが少なくとも、その人間本性的な善意があったからこそ小佐内さんは助けられた。

だから、小鳩くんは自分が卑下するほど悪い人間ではない。
誰かを傷付けたが誰かを助けたし、小鳩くん自身も傷付いている。精神的にも身体的にも。
彼があとどれくらい歳を経れば自らを認められるのかはわからないが。いつかはそうなってほしいと願ってしまう。

でも、まあ。

それはともかく。

小鳩くんが小佐内さんを庇ったのは人間本性的な善意だと言い放ったものの。

それだけで済む単純な話ではないかもしれない。

もしかしたら。

つまり。

いや、やめておこう。

小鳩くんは死にそうな目に遭ったんだ。

これ以上深く考えるべきじゃないんだ。

でも、あの書き方は。小鳩くんはやっぱり小佐内さんと出会ってよかったんじゃないかと思うに足るほどのものがあった。

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