解散と解脱

2023/06/29 ー その日は、自分の人生にとって転換点でもあり、青春の終着点でもあったように思われる。

かれこれ5年前の大学3年の冬、深夜一人の研究室でSpotifyで何気なく邦ロックをかけていたら、急に脳天に響く歌声とロックチューンが流れた。気になって検索窓にアーティスト名をぶち込み検索し、のめり込んでいく。そう、それがBiSHとの出会いであった。

配信やYoutubeを見ては、現場に行って曲を聴きたいなぁなんて思っていたが、大学生の時は現場にいくことができなかった。それでも、大学4年の通っていた大学より上位の大学院への受験、保険で受けた就活、大学院の受験勉強中に発災した災害をテーマにした卒業研究、学会発表等様々なシーンでBiSHという脳内麻薬をぶち込んできた。

そして大学院修士1年のGWの5月5日Zepp Osaka Baysideの2daysの初日に行くことができた。フロアからは遠目に見えるBiSHと周りの清掃員にパワーに圧倒された。エネルギッシュさだけで言えば「パンクバンド」そのものであったと思う。

そして、2daysの次の日に発表された大阪城ホールのワンマンに行くこともできた。実家が大阪城ホールの近辺にあるので、幼少期の頃から慣れ親しんできた場所で、推しや溢れる清掃員を見ることができた。特に、森ノ宮から太陽の広場・大阪城ホール・青屋門・大阪砲兵工廠の遺構・追手門・外堀にかけての道は幼稚園に入る前からずっと歩んできた道だったので、そこにIDOL Tシャツを着た清掃員が埋め尽くして天満橋駅に向かう姿を見て感涙した記憶がある。

2019年9月からは研究の関係上、鹿児島で移住した。ほぼ初めての一人暮らしだったので、右も左もわからない、何なら階下のおじいちゃんに至っては、方言が全く聞き取れない環境の中、南岳山頂火口の降灰を浴びつつもがいた。鹿児島にいた2021年3月まではコロナ禍もあり、BiSHの楽曲が自分を勇気づけた。

最初は社会に反抗することがかっこいいとか思っていたダサい自分も、様々な人との出会いを経て少しは社会性を持つことができたのではないかと思う。その一翼を多分BiSHが担ってくれたんじゃないかと思う。

最後のツアーに、あえて行ったことのない沖縄県と高知県をぶち込んでみた。自分の人生の目標である死ぬまでに47都道府県行くという裏テーマがあるためである。

2023/4/22の沖縄2daysの初日に行ってみた。アンコールの掛け声が「アンコール」ではなく「めんそーれ」であったのが印象的だった。2階席だったがホールの中心付近だったのでメンバーの偏りなく見ることができた。2023/4/23の日は沖縄観光すると決めて嘉手納基地の公開イベントに行ったりした。その帰り、某有名清掃員の方が飲み屋にいると呟かれたので、清掃員でないふりをして、飲み屋に紛れ込んでみた。変なやつと思われるとも思ったからだ。10人ほどの集団で彼らはやってきて、盛り上がっていた。飲み屋の店主に、BiSHについてアツイことを語っていらっしゃったのが印象的だった。そういうアツい心を持つ清掃員に支えられたからこそBiSHは日本の音楽シーンを駆け上がることができたんだと思った。

2023/5/20の高知のライブは解散まで1ヶ月程度であったこともあり、沖縄の時より一層、BiSHの6人も清掃員の方々にも熱がこもっていたように思われる。そのせいか、帰りの海鮮居酒屋で一人で飯食ってたりすると、横にたまたまいた清掃員の方に「お疲れ様でした」と挨拶されたり、宿がたまたま同じになった方に「またどこかで」と挨拶したり、何か感傷的にさせられた。

2023/06/29、決戦の時。最初はライブに全く見に入ることができなかった、隣の清掃員が気になったりして集中できなかった。それも人のせいにしてしまっていた。でも、DA DANCEあたりで何かが吹っ切れた。それは多分自意識でがんじがらめになっていた自分を、BiSHの楽曲や清掃員の方々が解き放させてくれたのではないかと思う。集中できないのも人のせいではなく、自分の弱さだと認識させてくれた。解散公演で何か少しだけだけれど、BiSHのおかげで解脱できたんじゃないかと思った。

公演終了後、夜中の12時まで東京ドームに残り続ける清掃員を見続けた。伝説の晴れ女集団だと言われたBiSHも解散した直後、雷様も解散に感涙したのだろうか、ゲリラ豪雨が会場を襲った。1時間もせずに雨は上がったが、路面は濡れ、BiSHの公演を示していたフラッグも濡れ、本当に解散したんだなと思った。一期一会だけど、同じ目的のために後楽園まで5万人が足をはこびほんの一瞬だけど仲間意識が生まれたように思った。公演終了後に普段の生活に帰って、それぞれの生活をまた営む。そうやって、人間は出会いと別れを営んでいるのだと思ってまた、涙が流れた。

特別な日の思い出も、日常のルーティンでかき消されていく。日常のメリットは一定のリズムで生活することで心身を安定させることができるが、デメリットは特別な日の思い出や情景さえも少しずつかき消していくことだと思う。BiSHとともに自分なりに歩んだ5年間をここに書き残すことによって、宝物の日々を少しでも思い返すことができればと思う。

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