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Everybody feels the same. - 宇多田ヒカルのトレビアン・ボヘミアン スペシャル 2024

小さなことで 胸を痛めて
Everybody feels the same.
Everybody feels the same.
虹色バスで 虹の向こうへ
みんなを乗せて 青空PASSで

「虹色バス」宇多田ヒカル

 先週の水曜日、Spotifyで公開されている宇多田ヒカルの「トレビアン・ボヘミアン スペシャル」を数週間ぶりにきいた。これで多分、3、4回目になると思う。それでまた、前回きいたときと同じところで泣いてしまった。しかも、今回は、あいにくカフェで文章を書いているときだった。テーブルに備え付けられた紙ナプキンを何枚も使わなければならなかった。幸い、座っていたのは窓際のカウンター席で、時代遅れになりつつあるセパレーションも残っていたので、何とか周囲の人に不審に思われずに済んだ。それ以来、これを書くあいだにも、何度かきいたけれどやっぱり同じところで涙が出てきてしまう。
 なんといってもまだきいていない人にはきいて欲しいから、紹介の意味もこめてこれを書いている。先にどの部分か言ってくれという読者の声が聞こえる気がするので先に言ってしまうと、「Beautiful World」のあとのPart 6 の部分(できれば最初からきいてほしいが)。
 少し説明すると、「トレビアン・ボヘミアン」というのは、宇多田ヒカルがデビューした頃にやっていたラジオ番組の名前で、レギュラー番組としては1年ほどで終わったが、その後も何度か節目節目で特番として放送されている。それが今回のベストアルバムの発売にあわせて、また放送された。彼女は、どれだけキャリアを重ねても、ファンやリスナーとの対話を忘れない。そういう人だと、改めて感じさせられた。思えば、あの「人間活動」のさなかでも、ラジオ番組は定期的にやっていたのだった。
 今回の特番でもリスナーからのお便りコーナーを設けていた。その中には、軽めな質問もあれば、真剣な悩みもあった。その真剣な悩みの中でも、とりわけ「重い」内容だったのが、同性の親友に告白してフラれてしまったという大学生からのお便りだった。
 この大学生からの質問が、「フラれてしまいました。どうしたらいいでしょうか」とか、「フラれてしまいました。悲しいです。そんなとき宇多田さんは……」とかいうような凡庸で漠然としたものであれば、私は泣かずに済んだと思う。けれど、その大学生は、「フラれてしました」の後に、「どうしても自分は歪(ゆが)んでいて、歪(いびつ)だと感じます。どんな自分も受け入れるにはどうすればいいでしょうか」と続けた。これは、変な言い方になるが、ちゃんと悩めている人の伝えかたである。多くの人は自分の人生で起きた喜怒哀楽をすぐ一般性に回収させてしまうものだが、この大学生はちゃんと自分ごととして引き受け、引け受けたがゆえの苦しみの中にいる。
 同性に対する恋愛感情や、それに近い感情であれば、宇多田ヒカルはもうとっくに歌ってきている(「ともだち」や「Time」など)。あるいは、昨今の自己肯定感ブームに乗ったわけでは決してないと思うけれど、「自分を信じられなきゃ 何も信じらんない」(「何色でもない花」)や「傷つけられても 自分のせいにしちゃう癖 カッコ悪いからヤメ」「自分のことを癒せるのは 自分だけだと気づいたから」(「PINK BLOOD」)というような、リスナーをエンパワメントするような歌も最近では歌っている。
 メッセージが読まれた神奈川の大学生は、いま挙げたような曲を何度もきくことで、すでにある程度は励まされたり、慰められたりはしてきただろう。宇多田ヒカルの側も、ポップス歌手の使命として、まさに神奈川の大学生のようなリスナーを想定して曲を作っていたことだろう。だが、それでも、同性の親友に振られてしまって、「どうしても自分は歪(ゆが)んでいて、歪(いびつ)だと感じ」、「どんな自分も受け入れるにはどうすればいいでしょうか」と訴えるファンからのお便りは届いてしまう。これは決して宇多田ヒカルの楽曲が頼りないとかそういう話ではなく、個別具体的な人生を生きざるを得ない個人と、大衆を相手にしなければならないポップスとのあいだに不可避に生じるギャップによる。
 この文章をここまで読んでいる人で、まだ放送をきいていない人の中には、そろそろ宇多田ヒカルがどんな返事をしたのか気になっている人が多いと思う。書き起こすかどうか、かなり迷ったが、引用しないと文章として成立しないとわかったので、引用することにした(それに、音源がいつまで公開されるかもわからない)。だが、書き起こして失われるもの——特に、穏やかな声色、間(ま)——が多すぎるので、この文章を読んだからには、ぜひ元の音声をきいていただきたい。
 宇多田ヒカルは先の質問に、声を詰まらせながら、言葉を選びながら、次のように答えた。

 うう同性の親友かあ……。親友はねぇ…、これはすごく勇気が必要だったろうし、残念だったね。
 うーん。私は……、あの、なんだろう。自分……別にさ、こうじゃなきゃいけないってない、と思うのね。別に歪んでても、いいし、逆にそんな真っ直ぐな人なんて気持ち悪いと思うし……、たとえば自分のことが受け入れらんないっていう状態だって、別にいいじゃんって、思うよ。だって、そんな、簡単なことじゃない、じゃん、自分を受け入れるの。だから、「ああ、いま全然自分を受け入れることができてない」っていうことでまた「ああ」って自分を責めないで、それが悪いことだって思わないで、「あ、そういう状態なんだな、いま自分は」っていうぐらいに、ただこう観察して、なんて言うの、感じ取ってあげればいいんじゃないかなあって思う。
 それに、なんていうんだろう。人間てさ、ま、動物、植物、命ってそうなのかもしれないけど、こう……、んー…………こう…、負荷がかかったところが、「そのものをそのものにさせる」っていうかさ、歪んでるとか、へっこんでるとか、なんか伸びちゃってるとか、そういうのが、あなたを作ってて、それが素敵なことなんじゃないかなーって思う。生きてきた証なんだし。
 私は……、こんな風に思えるようになったのほんと割と最近だけど、自分が与えられたものより…、すごく渇望したけど、与えられなかったもの、っていうのが、私を豊かにしてくれたんじゃないかな、って思うようになった、なりました。だから、うん、それはすごい時間かかったけど、うん。だから、ゆがんでてもいいし、自分のことを受け入れらんなくても、ぜんぜんいいと思います。私は。みーたんさんが。うん。なんか、答えになってるかな。

宇多田ヒカルのトレビアン・ボヘミアンスペシャル 2024 (on Spotify), 48:49-51:11

 細い解説はやめておこう。こういうふうに自分の作品の受け手と向かい合った人を、『'89』における橋本治を唯一の例外として私は他に知らない。大袈裟だと言われかねないかもしれないが、宇多田ヒカルはここで、相談者の「みーたん」さんのことはもちろん、この世の何人かの命を救うくらいのことはしている。そのことを想像すると、どういうわけか泣いてしまう。直接の励ましから始まって、ちょっと教訓的なことをいって、でも最後には、「ぜんぜんいいと思います。私は。みーたんさんが。」と一対一の関係に戻ってくる感じ。これをマスメディアという舞台でできてしまうのは、稀有なことだと思う。
 個人的には、こういうとすごく馬鹿みたいだが、「言葉にできることってまだあるんだな」と思った。その上で、どうしてこういう言葉——他者への共感とそれに基づく深みのある言葉、のようなもの——を発せられるんだろうと考えてみると、昨年にYouTubeで配信された「40代はいろいろ」の最後らへんで彼女が語っていたことを思い出した。そのとき、宇多田ヒカルは、自分には幅広い層のファンがいることが誇りに思っていると述べたあとに次のように語った。

 私、人間が、みんな、おんなじだって思うの。自分がその証明になっている気がして嬉しいの。いろんな国とか、背景からきてる人、いろんな環境で育ったり、境遇の人とか、いろんな年代を生きてきた、いろんな時代を生きてきた人が、こんだけ多く、まあ、私だけじゃなくて、いろんなミュージシャンとかアーティストとかいろいろそうなんだけど、こう……〔そういった人たち〕が、同じ私が発する何かに反応してくれるってことは、私がずっと持ってる信念の、「人間が感じる感情はみんな同じ」〔ということの証明になっている気がする〕。
 きっかけとか出来事とかがちがっても、いろんな人生があっても、根本でみんなが感じるものっていうのは、ホントもう、みんな同じだってホント思うの。だから、それを、その気持ちを忘れずに、これからもやっていきたいなと思います。

40 Dai-Wa-Iroiro♫ archive | Hikaru Utada, 59:18-1:00:16 (〔〕の中は筆者が独断で補った部分)

 「人間が感じる感情はみんな同じ」という彼女の信念は、すでに「虹色バス」で歌われている。冒頭で引用した部分は、2番のサビからだが、「Everybody feels the same.」(=「人間が感じる感情はみんな同じ」。直訳すれば「誰もがその同じことを感じる」)のフレーズは曲の終わりで、また何度も何度も繰り返して歌われる。ちなみに、この「虹色バス」は、宇多田ヒカルが「人間活動」期間に入る前に出した最後のオリジナルアルバム『Heart Station』の最後の曲として収められている(Bonus Trackは除く)。
 『Heart Station』がリリースされたのは、2008年3月。そこからさらに月日は経って、ますます多様性が大事だとか、個性の尊重が大切だと叫ばれる時代に、このメッセージは反動的に聞こえるかもしれないし、ファシズムじゃんみたいに批判することもできるだろう。だから、宇多田ヒカルが昨年の誕生日記念のイベントで、「人間が感じる感情はみんな同じ」と言い切ったとき、私は少し意外に思うとともに強く胸を打たれた。他人を簡単に「サイコパス」呼ばわりしたり、「親ガチャ」議論に代表されるある種の決定論が流行ったりと、他人もまた同じ人であるという当たり前のことが忘れられがちな時代ではあると思う。だが、「Everybody feels the same.」というところを起点にしないと、何も始まらないのでは、という気がする。
 少し話を戻して、さっき、「個別具体的な人生を生きざるを得ない個人と、大衆を相手にしなければならないポップスとのあいだに不可避に生じるギャップ」とは書いたものの、宇多田ヒカルの活動を追っていると、先のラジオ番組上での返答のように、そうしたものすら乗り越えて受け手に届く何かがある、という印象をどうしても受ける。それが文学的なものなのか、あるいはいっそ宗教的なものなのか、もしくはそれさえも音楽的なものなのかはわからないけれど、彼女の中でしっかりと掴まれている「Everybody feels the same.」の感覚であることは確かなのだろう。
 番組中では楽曲を含め他にもいいところがたくさんあるのでぜひきいてみて欲しい。そもそも私が泣いてしまったのは、引用した相談の直前の相談に対する回答にかなり影響されている。他にも、出産を控える女性からの悩みに対するアドバイスも、「親であること」について考えさせられる内容になっている。
 最後に。今回、数週間ぶりに番組をきくきっかけになったのが、ライブチケットの当選だった。私自身も救われたことがある身なので、会場では直接感謝の言葉を届けたい。


5月中旬執筆開始、6月16日完成・公開
宇多田さんの健康を祈りつつ

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