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1-1 仮定法という名称をめぐって

この原稿はその名の通り「仮定法とは何か」を明らかにしていくシリーズです。新書1冊分くらい(10万字)を目安に書かれています。現時点で2万5000字までおおよそ完成、草稿段階が20万字超という状況で、完成の目処が立っておりませんが、小出しにしていくことにしました。第1回「仮定法という名称をめぐって」は、およそ5500字です。

翻訳された語としての仮定法

 仮定法というのは、subjunctive mood の訳語です。この subjunctive を語源的に解釈すると、「下に・つながった」という意味になります。従属節において仮定法の動詞が使われ、その節が主節に繋(つな)がれる(もしくは、「接続する」ないし「附属する」)ということを考慮すれば、subjunctive mood は仮定法と訳すのではなく、「接続法」や「附属法」という訳語を当てた方が自然に思えます。
 実際に、明治期に英文法の概念が輸入されたばかりの頃は、「接続法」や「附属法」と呼ばれていました。岡田(2006)によれば、明治23年(1890年)まではこうしたいくつかの用語が併用されていたのですが、翌年以降は「接続法」の訳語で「ほぼ統一」されます。こうした状況が15年続いたのち、『英文典ダイヤグラム』(明治39、西暦1906年)の登場をもって subjunctive の訳語が仮定法と呼ばれることが一般的になっていったといいます。なお、仮定法という訳語自体の初出は明治21年(西暦1888年)に出た石川録太郎訳の『スヰントン氏ニューランゲージレッソンズ直譯』でしたが、出版直後には彼の訳語は市民権を得なかったそうです。

英語でも接続法と訳すべきか

 英語と同じインド=ヨーロッパ語族に属する言語にも、英語の subjunctive moodに対応する語が存在します。例えば、フランス語ではmode subjonctif、スペイン語ではmodo subjuntivoと呼ばれています。これらの用語が日本語におけるフランス語教育やスペイン語教育でいま何と呼ばれているかというと、すべて「接続法」なのです。こうしてみると、英文法にだけ「仮定法」という名前があるのは何かの間違いであって、他の言語と同じように、いまからでも「接続法」にするべきではないかと考えられます。例えば、ヘーゲルの『精神現象学』を完訳しているほどドイツ語にも秀でた牧野紀之氏はブログ上でそのような提案をしていらっしゃいます 。
 こうした提案の前提には、フランス語やスペイン語での接続法が持つ意味と英語の仮定法が持つそれとが同じだと考えているか、あるいは同じではないにせよ、ある程度は重なるはずだという考えがあるのでしょう。しかし、用語が同じだからといって、異なる言語間の文法的概念における類推を許してしまっていいのでしょうか。この点についてまず考えてみます。
 フランス語を例にとりましょう。フランス語の文法(日本で教えられているフランス語文法)には仮定法と呼ばれる文法用語はありません。先にも述べましたが、mode subjonctif は接続法と呼ばれているのでした。フランス語には、この接続法に加えて、条件法 mode conditionnel というのもあります。これらに直説法と命令法を加えて、フランス語には◯◯法と呼ばれるものが4つあるとされています。一方、英語においては、普段はあまり意識されることはないのですが、◯◯法と呼ばれるものが、直説法、仮定法、命令法の3つしかありません。ここでまず気をつけたいのが、 ◯◯法の種類がたくさんあるからといって、それだけフランス語の方が豊かな表現が可能だというわけではない、ということです。文の意味に寄与するのは、◯◯法と呼ばれるものだけではありません。文法規則は、語の並びによるものであったり、動詞の時制であったり、その他にもたくさんの要素が様々に複雑に絡み合っています。なお、本書ではこの「寄与する」という表現をよく使います。これは英語で言うと、contribute に相当するもので、この英単語には「貢献する」という意味もあります。「寄与する」という表現に慣れないようであれば、まずは「貢献する」に置き換えて理解していただくとよいでしょう。
 少しだけ乱暴に言ってしまえば、何語であろうとも、多くの言語のあいだでは、だいたい同じような意味を実現できます。書き言葉をもつ言語において、聖書の翻訳が行き届いていることからも理解できるように、言語で表される内容と、言語の規則である文法は、ある程度独立していると考えられます。もちろん、ニュアンスの違いや言葉の響きから受ける印象といったものはあり、そうしたものは翻訳の中でこぼれ落ちてしまいます。また、言語が変われば物事の認識においても異なってくるという主張がなされることがあり、そうした意見にも妥当性はあります。しかし、新約聖書を何語で読んでいようとも、コリント人への第一の手紙13章について同じように語り合えるという事実には変わりありません。
 改めて、フランス語と英語における◯◯法のひとつである、mode subjonctif(接続法)とsubjunctive mood(仮定法)に注目してみましょう。フランス語のmode subjonctifも英語のsubjunctive moodも本来的には同じ語であるということができます(mode と mood の出てくる順番が異なるのは、英語とフランス語とのあいだの形容詞のかかりかたの違いに起因します。フランス語では名詞を修飾する形容詞は名詞の後に続くことの方が多いのです)。しかし、この「接続法/仮定法」の文法的な概念としての位置付けは、フランス語と英語の言語体系では異なるため、同じものと見なすことはできません。フランス語のmode subjonctifはフランス語の体系のなかでどのようなものか考察される必要があるのであり、英語のsubjunctive moodは英語の体系の中で考察されなければなりません。
 だから、仮にここで、先に挙げたフランス語の4つの◯◯法の中に、条件法というものがあったことを思い出し、英語の仮定法がif節とともに条件文をよく構成することから、もしかして仮定法は条件法と言った方がいいのかもしれないと考えたとしてもそれはあまり意味のないことです。たとえ、英語のsubjunctive moodを仮定法でなく、条件法と言い換えたとしても、あくまで貼られているラベルが切り替わっただけで、直説法、条件法、命令法という3つの◯◯法によって維持されるシステムは変わらないのです。

subjunctive mood と仮定法

 話が少しややこしくなってきたので、改めて確認します。私たちがここで直面している問題は、subjunctive mood(仮定法)の翻訳に関わることと言えます。subjunctive の語源に注目すれば、「接続」の文法規則に関する側面が際立ち、subjunctive mood によって表される内容に注目すれば、しばしばifを伴うことから、「条件」や「仮定」などの意味の側面が際立つ。どちらに注目するかによって、翻訳も異なりうるということを上で見たばかりです。こうした訳語の問題については、あくまで訳語の問題に過ぎないと言ってしまうもできます。それはたとえば、love のことを「愛」と訳すか「恋」と訳すか「恋愛」と訳すか迷うことはあるにせよ、結局それは「ラヴ(love)」と元の語をカタカナで表現してしまえば片付いてしまう、というようなことが翻訳に関してはままある。
 というわけで、この項では翻訳の問題をおいて、仮定法の翻訳以前の言葉である subjunctive mood として言われているものが何であるかを見ていきます。英語圏で書かれた英文法書を紐解いてみましょう。今回参照したのは、トムソン&マーティネット(Thomson & Martinet)による“A Practical English Grammar”と、スワン(Swan)による“Practical English Usage”(ともにオックスフォード大学出版局)です。この2冊はネイティブの英語教師が英語を教える際にも参照されたり、一歩進んだ英語学習者のより深い理解のために用いられたりする、英語で書かれた英語についての本としては定番のものです。
 さて、実際にこれらの本を見てみると、subjunctive mood として扱われているものは、私たちが知るよりものよりも、だいぶ限られたものであるという印象を受けます。トムソン&マーティネットの方から見ていきます。第28章に“The Subjunctives”とあります。“The Subjunctives”となっているように、subjunctiveと書いてあるだけで、mood についての言及はこの本にはないのですが、ひとまずここをあたります。この章は4つの節から成ります。最初に、仮定法現在形は不定詞と同じ形で仮定法過去形はbeを除いて通常の過去形と同じ形であるという、形態上の基本的な特徴が述べられていて、続く3つの節は仮定法現在形、仮定法過去形の使用場面についての説明となっています。仮定法現在形は、感嘆文を表す場合、詩において願望や譲歩を表現する場合、 commandやdemandなどのある特定のグループの後に続くthat中で使われる場合において使用され、仮定法過去形は、as if、as though, it is time のあとに使われる。以上、これだけ。仮定法過去が非現実過去unreal pastとしても知られていることについての言及もありますが、主として動詞の形に関わることを話題にしていることがわかります。
次にSwanを読むと、こちらはsubjunctiveとして標題がつけられています。冒頭は“What is the subjunctive?”と題され、単なる形についての言及でなく、subjunctiveの定義がなされようとしています。引用します。なお、引用は原著第3版からの拙訳によります。

 いくつかの言語には subjunctiveと呼ばれる特殊な動詞の形がある。それらは非現実的な状況——可能性としてあることや、そうあって欲しいと思うことや、想像上のこと——について言及するのに特に用いられる。古い英語においては、 subjunctive は存在した。しかし、近代以降の英語では、ほとんど消えてしまい、should, wouldなどの法助動詞、または過去形の特殊な使用、あるいは通常の動詞の形によって置き換わることとなった。いまや英語においてはわずかな subjunctive の形が残るばかりである。she see, he haveのような三人称単数が主語でも -sのつかない場合や、I beやhe wereなどの例外的なbe動詞の形がそれである。ifの後のI/he/she/it wereを除いて、それらの動詞の形はまれである。(p.559)

 ここでも、トムソン&マーティネット同様に、形についての言及と非現実という意味に関わる記述がされています。その後の記述は多かれ少なかれトムソン&マーティネットと同じような紹介がなされているため、省略します。
 さて、これまでの説明を読んだ読者は次のようにお思いではないでしょうか。仮定法というのはifから始まる文ではないのか? そう、学校文法において、仮定法の文といえば、次の節で紹介するように、ifから始まる文であることがほとんどであると言えます。しかし、ここまでにsubjunctiveとifについての直截的な言及がありません。なぜなら、subjunctiveにとってifは必ずしも必要な要素ではないからです。subjunctiveというのは、何より「動詞の形」について与えられた名前なのです。

どのように進むべきか

 この後で扱われるべきこととして、ここで大きく分けて2つ提示することができます。ひとつは、いま日本で行われている英文法教育において仮定法の名で呼ばれているものが何であるかを明らかにすること。これが続く第2節の内容です。そしてもうひとつは、◯◯法と呼ばれているものの根本的なところ、つまり「単なる動詞の形」に立ち返ってみることです。実は、これまで「◯◯法」と書いてきたものは、正確な表現をするのなら、単に「法」と訳される文法用語のmood のことである。この「法」は、「方法」や「法律」や「法則」で使われている「法」とは関係のない「法」で、「時制」と同じ文法用語の一種で、動詞の形態の変化(活用)をつかさどるものです。英語史的な背景も参照しつつ、第3節では、本来的にはあるとされる、仮定法の内実に迫っていきます。
 次の節に移る前に一言。仮定法というのは間違っても、「仮定の話をするから仮定法」というような説明で済まされるものではありません。これまでに仮定法と訳されている subjunctive mood が他の訳語を取りうることを紹介したのは、実のところこの安直な説明では仮定法について説明したことにはならないことを示しておきたかったからでもあるのです。

本節の参考文献


直接言及したもののみ掲げます。まとまった一覧はフォーマットを整えた上で章が終わるごとに掲げる予定です。

- 岡田和子「江戸および明治期の洋語学における文法用語の比較研究 : 和蘭語・英語・独逸語をめぐって」(筑波大学博士論文、2006)https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/44961#.YF00ZmSmNqs
https://blog.goo.ne.jp/maxikon2006/e/3206d63bafcbbdd9acc8904d1aad9c9d
- Michael Swan “Practical English Usage” Third Edition(Oxford University Press, 2005)
- A. J. Thomson, A. V. Martinet “Practical English Grammar” Fourth edition(Oxford University Press, 1986)

※ Swan文献について。原著第3版を使用したのは筆者の手持ちがこれのみであることによります。最新版は、第4版まで出ており、邦訳もすでにあります。近所の図書館には邦訳が揃っていたので、邦訳第3版と第4版を念の為確認しました。第3版から第4版へは、事項がアルファベット順から文法単元ごとの整理になるという大きな変更がなされておりましたが、少なくとも引用部に関しては subjunctives(仮定法)についての記述に第3版(pp. 910-911)と第4版(p. 498)で違いはありませんでした。

(以上15枚/計15枚)

次回は8月になるかもしれません。そんなに需要があるとも思えんので、とりあえずはゆっくりとでも問題ないでしょう。

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