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100分の3

最近、ひきこもりがちな作家の私にしてはよく人に会っている。
田舎暮らしでネット販売がメインだと、外に出ないで誰とも会わずに完結する事も多いのだ。

だけど先月からだけでも台湾でのイベントや、今月は東京ビッグサイトで大勢の人に出会い、プライベートでも友人たちと何度か会った。
機会があったからというのもあるが、私は意志を持って出ている。

人と会うこと。
ご縁を大事にしたいのだ。


一年前、招き猫を買った。
有名な招き猫屋さんらしい。
義父がどこからか評判を聞きつけ、商売をしている友人にプレゼントしたところ大繁盛だとお礼を言われたというのだ。

へぇ。
くらいの印象だったけれど、割と近所なので休日にドライブがてら行ってみた。

ちょっとした森だ。
清々しく神々しい森。

御神木みたいな木がたくさんあって、鐘つき堂があって、神社があって。

そこにひときわ賑わう招き猫屋さんがあった。

信じるも信じないもなくて、お正月に神社に行くような自然な気持ちだった。
縁起物家に置いたら気持ちいいだろうね、商売してるから余計にね、くらいの。

そしてたくさんの様々な招き猫の中から私が迷いなく選んだのは、最初に見た瞬間決めた陶器の猫だった。

なんと両面仕上げ。

右手を上げると金運、左手を上げると人を呼ぶ。
招くものが違うらしい。

もう一目でこれだと決めていた私は、説明を聞いても両方兼ね備えてるなんて便利じゃないくらいにしか思わなかった。
そして、誰より一番金運良さそうな招き猫屋さんと楽しくお喋りして、お菓子をもらって、鐘つき堂で鐘を突いて気持ちよく帰って来た。

そしてひとり、玄関で悩むことになる。

どちらを正面にするのか。
どっちでも良さそう、だけど大事だ。

何を一番大事にするか。
陶器の感触、猫の顔。
試されている気さえしてくる。

いや、わかってる。
右手を上げたからといってお金が降ってくるわけじゃないことくらい。
お金は大切、必要だ。
いくらあっても困らない。
でもやっぱり‥

左手を上げる。
人が一番の財産だ。
何よりまずはご縁あってのことだ。
お金は手段であって目的ではない。

別に猫がくれるわけじゃないお金と人のことなのに、それでもちゃんと考えて選んで決めた。

あれ?もしかして。
この行為こそが最大の効果なのでは?

玄関を通るたび、外に出るたび帰るたび、
そこにある気配を目にする。
そして私の心に留まる。
あなたは何を一番大事にしますかと問われてるかのように。
意識に無意識に潜り込む。

縁だ。
そうだ人が大事なんだ。

家を出るときそう思い、帰ってやっぱりそう思う。自然と。

決してスピリチュアルな話ではない。

縁が大事。
それは猫を見ることによって私の意思と無意識の領域に刷り込み呼び起こされる。
これが最大の効果なのではないだろうか。

一般的に人は潜在能力の3%しか発揮できていないと聞く。
その真偽は私にはわからないけれど、もし目の前で100のことが起こっていても把握できるのは3つくらいだろう。目の前にもっと多くのものがあるが、目に入ってるのはほんのいくつかだ。また、多面的な出来事のどこからどちら側を見るかによっても物語は変わる。
これらを意識して見てやろう見てやろうとしている時間なんてそんなにない。
無意識に脳のフィルターにかけてピックアップしたものを見てるのだと思う。
だからイライラした日はイライラすることしか起きないんだ。

だからこうして、毎日玄関を通るたびに私の無意識に刷り込むこの猫が、私に優しい景色を選んで見せてくれているのではないかって。
ご縁はありがたいね、大事だねという部分の景色を。
100ある出来事のうちの、ご縁に恵まれた3つをピックアップしてるのではないかと。

そしてそれこそが最大の効果なのではないかと私は思うんだ。
招き猫に限らず、縁起物とはコントロールし難い無意識を明るい方へ導いてくれる。
目の前で起きている出来事は同じだとしても、ピックアップが変わるんだ。
それって本当に有難いことではないか。


いやもしかしたら、純粋に招き猫の力だって言われたらそうなのかもしれないけど。
どちらにしろ感謝している。
いつも良いご縁を本当にありがとう。

そのうち感謝を伝えにあの森へ行って、またあの気持ちいい鐘ついて来ようかな。

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