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「観察」が足りない!

 今回はFCとは直接には関係のない話です。

 今回の記事では、私に「観察」の意味を教えてくれた本を紹介したいと思います。

 それは『ファーブル昆虫記』です。

 昆虫学者のファーブル先生が、シデムシという、ちょっとマイナーな虫の生態をひも解く章があるのですが、その中にとても印象的なエピソードがありました。

 ある学者がある実験をして「シデムシには知性がある!」という報告をしたのです。

 それは、こんな「実験」でした。

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 学者はまず、地面に棒を立てて「エサ」を吊るしました。

 シデムシは死んだ小動物の死体を地面に埋めて食料にするという一風変わった生態を持っています。こういった虫などのおかげで、自然界では動物の死体が分解されていくわけですね。

 さて、しかしエサは地面から少し離れており、シデムシたちには届きません。(オレンジの丸がシデムシ)

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 するとシデムシたちはその場で穴を掘り……。

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 なんと棒を倒して餌をゲットしたのです!
 なんて賢いのでしょう!!

 しかし、この報告を読んだファーブル先生は「そんな行動のできる昆虫なんて今まで見たことないぞ」と怪しく思います。

 そこで同じ実験を行ってみることにしました。

 するとどうでしょう。

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 ちゃんと同じことが起こったのです!

 ……が、ここで「わぁ本当だ!」となって終わらないのがファーブル先生のすごいところ。

 ファーブル先生は実験の「条件」を少し変えてみました。

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 棒を斜めにしてエサを吊るしたのです。

 するとシデムシたちはどうしたでしょう。

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 そう、「エサのすぐ下」を掘り始めたのです!
 これでは棒は倒れません。

 つまり最初の「実験」では、

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 シデムシたちは「エサの真下にたまたま棒があった」から、そこを掘ったに過ぎなかったのです。
 棒が倒れたのは偶然でした。
 「知性の証明」ではなかったのです。

 このエピソードは私に衝撃を与えました。

 「本当」に見えたことが本当だとは限らない。
 真実を見抜くためには、一つのパターンの実験で満足するのではなく、少しずつ条件を変えて実験を重ねなくてはならない。

 まさに「実験と観察の基本」をファーブル先生は私に教えてくれました。『ファーブル昆虫記』には、このように細かく条件を変えて何度も何度も実験と観察を繰り返す話がたくさん出てきます。

 私が今回伝えたいのはこういうことです。

 「本当に見えたから」で満足してはいけない。
 いつもそこには『錯覚』が潜んでいるのだから。

 ……続きはまたその内。