見出し画像

映画『侍の名のもとに ~野球日本代表 侍ジャパンの800日~』

『侍の名のもとに ~野球日本代表侍ジャパンの800日~』
これは、今年の2月に2週間限定で公開されたドキュメンタリー映画だ。
思いのほかとても良かったので、侍ジャパンを応援している野球ファンに是非おすすめしたい!と思い、ここに少しずつ長文をしたためていたのだが、書いている途中で自分が入院してしまった。

退院してみれば映画の公開も終わってしまっていて、世はコロナ騒動でプロ野球どころか東京オリンピックすらストップしてしまう事態に。
完全に公開するタイミングを逃したこの記事は日の目を見ること無く下書き状態のまま眠っていたのであるが、どうやら今月、同映画のDVD&Blu-rayが発売予定で、一部の劇場では4月10日からも公開されるらしいということを知り、では再度掲載してみようかと思った次第。

おすすめ目的の記事と言いつつ映画のネタバレも沢山書いているので、絶対に嫌な方はここでUターンしていただき、もし興味を持って頂けたなら映画のほうも是非ご覧いただければ幸いである。

写真 2020-02-08 13 38 48

『夫に誘われたから』

単にそれだけの理由で観に行った。
もちろんプロ野球は好きだが、当初は正直、普通のドキュメンタリー映像だろうと思っていた。
なので、「テレビの特番とかで良いのでは?」「映画化するほどのことなのか?」と内心思っていたところがあった。
でも、その気持ちは映画が始まってすぐに消し飛んでいった。

まず驚いたのは、試合中のベンチ内やブルペンでのやり取りの映像がかなり多いこと。
そして、関係者以外は非公開になりがちなスタッフの会議シーン、特に代表の選手を選ぶ大事な会議の様子までもそのまま映されていて、
「えっ? こんなとこまで映していいの? 聞いていいの?」
という緊張感が漂う。
普段、選手達がどんな感じでベンチを盛り上げ、試合を戦っているのかという状況が、映像ごしに生々しく感じられるのも良い。
しかし、怖かったのは秋山翔吾選手がデッドボールで怪我をした時の映像。
ピッチャーが投げたボールが足に当たった後もプレーをしていたが、しばらくしてベンチに戻り、さらにその奥の部屋へ移動して足の様子を診察する様子と、スタッフが「秋山さん、骨折してます」とベンチの稲葉監督に報告するまでの一連の会話すらも映している。これもかなり生々しい。

このシーンは、その後どうなったかを知っていても、観ていてかなりしんどい光景だった。
だからこそ、ラストの日本代表が優勝してシャンパンファイトに至るまでのくだりは本当に良かったと思う。

稲葉監督の印象的な言葉は、『良い選手を集めたいというよりも、良いチームを作りたい』ということ。今流行りの言葉で言うなら“One team”というところが近いのかもしれない。
普段はバラバラのチームで活躍している選手達を、1つに集めた時に生まれる相乗効果だったり調和だったり、稲葉監督が期待したのはそういったものではなかったろうか。

「稲葉監督、ロッテの選手も1人くらい侍ジャパンに入れてくれていいんじゃないの?」
ロッテファンとしては、特に深く考えもせずそんなふうに思っていたものだが、あの真剣な会議を見ていたら何も言えなくなる感じはあった。
しかも何より短期決戦で勝つための戦略だ。
まさに『調和』と『狭き門』。そう思えた。
東京オリンピックの時には、さらに登録できる選手数は減ると聞くから、代表選手の選出は本当に大変な作業だ。

会議で稲葉監督が一番に「欲しい」と強く推した松田宣浩選手ことマッチさん。
稲葉監督が『(代表に入ってほしいんだけど)どう?』と声をかけた時のマッチさんからの返答第一声『はい、元気です!』にはシビれたし、育成時代から稲葉監督のイチ押しだったらしい周東君の抜擢と、その成長ぶりには他球団のファンである事とか関係なしに目頭が熱くなるものがあった。
9回のクライマックスで、山崎康晃選手がブルペンに居る時からもう既に聴こえてくる「YASUAKI」コールにも胸が熱くなる。


●監督やスタッフの方を応援するということ。

私にとって稲葉監督は特別な人だ。
私は昔から野球が好きだったわけではない。テレビは一家に1台だったあの頃、野球中継のせいで親とチャンネル権争いを経験した世代であり、野球は長いしいつ終わるかわからないのでむしろ嫌いなスポーツだった。
その気持ちが徐々に変わってきたのは、高校時代になって自分の学校の野球部の試合を応援する機会が増えた頃からだろうか。
地方球場で観るその試合は、TVの小さい画面に投手と打者ばかりが長時間映るスポーツとはまるで違うものだと初めて知った(昔は埼玉に住んでいたので長い間、西武ライオンズファンだったりもした)。

それから何年か経ち、実況付きでパワフルな感じの某野球ゲームを面白がって遊ぶ程度には野球を好きになってきたので、初めて自分でチケットを買って神宮球場へ野球を観に行った。
確か外野指定の最前列から2番目位の席だったと思う。

球場に着いてみれば、当時のスワローズの外野席はガラガラで、わざわざ指定席を取らなくても良かったかな、なんて思っていたその矢先。
外野フェンス越しの手の届きそうな所に現れたのが、ライトを守っていたスワローズ時代の稲葉さんだった。テレビでしか見たことがなかった人が、目の前に、いた。
その試合は負けたけど、その稲葉さんのヒットだけは見ることが出来た。
守備に戻る時はベンチから外野まで全力で走り、ファンからの声援に帽子を脱いで深々とお辞儀をした。
その時の光景が忘れられなくて、それから暇を見つけては千葉から電車に乗って神宮に通うようになった。
神宮の外野席から野球を観るという楽しさを教えてくれたのは、間違いなく稲葉さんや当時の外野手の方々だった。

だから稲葉さんがスワローズから北海道の日本ハムファイターズに移籍された時は凄く辛かったけれど、ファイターズ時代の稲葉さんもとても輝いていたので、自分もとても嬉しかった。
きっと新庄さんの影響も大きかったのだろう。

先日旅立たれた、故・野村克也監督が息子の克則さんの試合を観に行った時に、その試合で見つけた選手が稲葉さんだと何かの本で読んだことがある。
そして、新庄さんは言うまでもなく阪神タイガースの野村監督時代に一番活躍したスター選手だ。稲葉さんと新庄さんの2人は、力強くて不思議な縁だと思う。
さらに、稲葉さんが今では侍ジャパンの監督だ。嬉しくないわけがない。


その昔、神宮球場で負けが込んでくると
「おおい、小谷、なんとかせえ!!」
…などと、近くの席でコーチに野次りはじめるオジサンがいたりして、なんでコーチに野次るんだろう、プレーするのは選手だろうに、と思ったものだが、今ならわかる気がする。
その野次のオジサン達はつまり、そのコーチの現役時代を知っているわけだ、と。
(※神宮球場はブルペンがグラウンド内にあり、選手やコーチが観客の近くで準備をしている。)

自分が足しげく神宮球場に通っていた頃の選手たちが、今やあちこちで監督やコーチになっている。
自分がにわかファンだった頃は現役の選手のことしか知らなかったが、あれから何年も時が経って、選手だけでなく監督やコーチに知っている顔が増え、何かお願いしたり応援したりする気持ちが、ようやくわかったのである。
「あいつなら、きっとあの選手をなんとかしてくれる」
そう言う信頼感なのだと。

自分自身も野球を見始めてからだいぶ年月が経ち、歳も重ねた今となっては、現役の選手があっという間に2代目になり、まるで己の子供達のような世代感覚に変わってきたことに気づくのだ。
今の日本代表で言えば、アップルパンチの外崎修汰選手、今や押しも押されもせぬ侍JAPANのクローザーとなった山崎康晃選手なども、ドラフト会議の中継から特集番組『お母さんありがとう』まで観ているのだから、もうそんな気分になっても仕方ないではないか。
推しのライバル球団の選手だろうと何だろうと、勝手に親や親戚のような気持ちでつい観てしまうのだから、「あの子達を選んだからにはうまく使ってあげて欲しい」などと、この映画を観ながらでも監督やコーチに願ってしまう。それはきっと球場全体から捧げられる祈りのようなものだ。

画像1

今でも年に何度かは電車に乗って神宮に行くが、千葉で結婚した縁もあり、現在は自宅から1番近いマリンスタジアムに夫婦で観戦に通うことが増えた。だから今回の映画もいつものように2人で足を運んだわけだ。

その時に、とても良い光景に出会えた。

上映シアター入口に掲示してある「侍JAPAN」のポスター。
そこに、マリーンズの野球帽をかぶった少年と野球のユニフォームを着た少し背の高い少年が2人並んで、そして母親と思われる、これまたマリーンズ帽をかぶった女性が仲良く記念撮影していた。
私達夫婦は、それをとても頼もしい気持ちで眺めながらシアターの中へと入っていった。

いつかきっと、マリーンズの選手になって侍の1人になってくれよー?

…なんて
心の中で思いながら。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?