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あるものを見る、って?

6年以上、引き寄せとか何だとかかんだとか、とにかくインプットをたくさんしてきた。
まあまあ長いね。
アウトプットは少なめで、インプットばかりしていたから、いつでも頭の中は大渋滞。
知識の大渋滞。
情報を入れすぎて、動けなくなったり、飛び出して彷徨っている感じだった。


不足を見ない。
あるを見る。
っていうフレーズ。
これ、ものすごく簡単に聞こえるのに、とってもとっても難しかった。
不足しか見てない、と言っても過言ではないくらい不足ばっかり見て心配したり不安になったりイラついたりしていたし。

でもこの「あるを見る」と言うのが自分の中で腹落ちすると、どれだけ「不足感」で過ごしていたかがわかる。
1時間で良いからさ。
自分の思考に意識を向けてみるの。
まさかの不足感だらけで絶望するのよ。
それも、全然不足じゃないよね?
っていう事までも、不足と捉えてるから救いようがないのよ。

あるを見る、とは?

知識を全部取りしようと躍起になってた頃の私はそれがわからなかった。
目の前の「ある」を見るということが。
あるよ、で、何よ?
そりゃありがたいけど、何なのよ。
見えてるよ、見えてるってば!
あるを見れば不足は解消されるんでしょ?
ありがたく思ってるわよ!
って、いつもいつも斜めから見ていた。

全然素直じゃないから、あるを見る がわからない。

深呼吸しよう。
しようか。
それ、それよ。
それなのよ!
ほら、息が吸えている!
それがあるってことよ。
そこに気付くのよ。
気付くだけよ。
極端な話だけれど。
今、この瞬間に照準を合わせると、「ある」しか見えなくなる。
「ない(不足)」は見えないの。

ここで厄介なのが
・不足を手放せば
・あるを見れば
・既にある
っていうフレーズ。

これを理解しよう、と思って沼にはまるとさあ大変。
アタマで考えれば考えるほど見えなくなる。
しかもね
〇〇すれば願望が叶う
をね、くっつけちゃうから余計見えなくなる。
そこに何ものせないで。
そこじゃないってあの頃の私に声高に叫びたい。

あの頃は到底信じられなかったけれど、この「あるを見る」に気付き続けて純粋に【じゅうぶんあるなあ】って思うだけで良いのかーとなって。

そんなことやって何になるの?
何にもならなきゃやらないの?
それを手放して。
何かになろうとする、何かを得ようとする、何かを叶えようとする。
それは【行動】すればいいだけ。
そうじゃなくて、今ここにあるものにフォーカスすると、どれだけ豊かなのかがバッチリわかる。
それだけを感じる。

それだけ。
あるを見るって、こんなにシンプル。

さ、今日も私の細胞たちに感謝して、寝よ。

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