だいすきだった友人と、お寿司屋さんのこと

外出自粛が叫ばれるようになって約ひと月、あんなにも人で溢れていた渋谷の街は、わずかに通勤する人々と忙しなく自転車を漕いでいるUber Eatsの配達のひとがまばらにいる程度で、どこもお店がやっておらず閑散としている。


気軽に人と会えなくなって、飲食店にも行けなくなって。
SNS上では、テイクアウトに切り替えるお店や通販を始めるお店、耐えられなくて閉店するお店などさまざま散見されて、日に日に深刻さを増していく様子が伺える。

仕事柄、ファッション雑誌を読む時間が増えたのだけれど、5月号6月号はオリンピック開催を見越して「東京の街」を特集しているものも多く、このお店もこのお店も行ってみたいなあ、と思いGoogle Mapにひとつ、またひとつとフラグが増えてゆく。

(本当にひどい方向音痴なんだよね、と言っていたら友人が「フラグ(want to go)を立てるといいですよ、行ったお店は♡(favorite place)になって。すると地図見る機会が増えて、ちょっと慣れるかも!」なんて教えてくれて、それ以来行ってみたいお店と行ったことのあるお店はクリップするようにしている。)

少し前には、「美味しいものを食べる会」に誘ってもらったりして、ここのプリン食べに行きたい、ここのパフェ食べに行くときはわたしも呼んでね、なんて言い合っていたのに、どこも行けなくなってしまった。

果たして、これらのお店は自粛明けに残っているだろうか。
なんてことを考えていると、ふと思い出す一軒のお店があった。


2011年9月、ちょうど東日本大震災から半年経った時に連れて行ってもらった、気仙沼のお寿司やさん。(まだガラケーだったので、データは残っていない)

震災当日がちょうど高校の卒業式だったわたしは大学生になっていて、大学で最初に仲良くなったのが、仙台出身の女の子だった。

一目惚れ、というのが正しい表現なのかはわからないけれど、とにかく人がごった返している中で(文学部はひと学年1000人以上いる)一人パーマを当てていて、洗練された美人がいて、絶対この人と仲良くなりたい…と思って、仲良くなりに行ったのだった。


一回生の夏休み、彼女の実家に遊びに行かせてもらうことになった。震災からちょうど半年、彼女の実家は高台にあって無事だったものの、当たり前だけど電車も全ては動いていないし、ビルの上に車はのったままだし、復興なんてまだまだだったように思う。

彼女の母親が車を出してくれて、震災の現場が今どうなっているのか案内してくれた。そんな中で立ち寄ったのが、気仙沼のお寿司屋さん。海の近くだったにも関わらず、流されることなくどうにか生き残ったのだと言う。そして、半年経った今お店の営業を再開していて、わたしたちはそこでお寿司をご馳走になった。

こうやって、生き残れた人もいるんだ…と知った。
そしてね、海のそばで取れる新鮮なお魚って、本当に美味しいの。


社会人になって、彼女とは少しずつ歯車がズレて合わなくなって、(というより、ことばが”わからなく”なってしまって)疎遠になってしまったのだけれど、わたしの預かり知らぬところで勝手に幸せに生きていて欲しいなとおもう。

なんだか、今の状況は震災とはまた違うけれども、この状況が長く続くと同じように残れるお店とそうでないお店が出てくるんだろうな…行きたいお店をたくさんクリップしているので、喪が明けたら巡るのつきあってね。


「やっと会えるね、いつにする?」って早く言えますように。


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