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「ふれるというのは、むずかしい状態です」

冬の空気がすきだ。
ピリピリするほど張り詰めた寒さで朝を満たしている、静謐な空気がすき。

わたしにとって、2番目に苦手な「早起き」。
今日は仕事のため、やむをえず5時過ぎに身体を叩き起こし、眠い目をこすりながら家を出た。
6時台の空は紫からオレンジにかけて美しいグラデーションを見せていて、空は表情豊かだなあ、なんて思う。


冬になると、絶対に読み返したくなるだいすきな一冊がある。

真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。
それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよ、といつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思いだしている。光を数える。夜のなかの、光をかぞえる。雨が降っているわけでもないのに濡れたようにふるえる信号機の赤。つらなる街灯。走り去ってゆく車のランプ。窓のあかり。帰ってきた人、あるいはこれからどこかへゆく人の手のなかの携帯電話。真夜中は、なぜこんなにきれいなんですか。真夜中はどうしてこんなに輝いているんですか。どうして真夜中には、光しかないのですか。
(中略)
昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。
そうですね、三束さん。なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。


川上未映子さんの『すべて真夜中の恋人たち』
わたしの、いちばん、すきな本。
とにかく、文体がすきなのだ。ひらがなとカタカナの、絶妙なバランスが。


▼あらすじ
入江冬子は、人と言葉を交わすことにさえ自信が持てない。誰もいない部屋で黙々と校正の仕事をする。そんな日々の中で、三束さんに出会う。三束さんに会うとき、常にお酒を飲んで緊張を紛らわせながら、言葉を交わす。

この主人公の入江冬子が、すこしずつ自分の感情に向き合って、顧みて、どうしようもなくなって、整理して、自覚して、という過程に、ひとつひとつ丁寧に言葉が積み重ねられていくところに、胸がきゅっとなる。

わたしから見ても、この女は自分の感情にも他人の感情にも非常に鈍感で、流されるままに意志なく動いている、という印象を受ける。

初めて読んだ大学生の頃、ああこれはわたしみたいだな、と思ったものだった。

次に、入江冬子の対極みたいなキャラクターとして、聖という強烈な女が出てくるのだけれど、彼女の言うことは言い得て妙で、読むたびにすこし落ち込んでしまう。

「だからあれでしょ。そういうのが好きなんでしょ。楽なのが」

「楽なのが好きなんじゃないの?他人にはあんまりかかわらないで、自分だけで完結する方法っていうか。そういうのが好きなんでしょ」

「要するに、我が身が可愛いのよ」

「わたしはべつにそれが悪いって言ってるんじゃないわよ?ただ、そういうメンタリティでしょっていう話。自分から何もーできないのか、しないのか、そんなの知ったことじゃないけれど、自分の気持ちを伝えたり、動いたり、他人とかかわってゆくのって、まあすごく面倒で大変なことじゃない?誤解されるのはうっとうしいし、わかってもらえないのは悲しいし、傷つくこともあるだろうし。でもそういうのを回避して、何もしないで、自分だけで完結して生きていれば、少なくとも自分だけは無傷でいれるでしょ?あなたはそういうのが好きなんじゃないの?」

「自分以外の誰かをべつに何かを求めない代わりに、自分にも誰からも求めさせないっていうかね。まあそうやって生きていければ、それは楽なんじゃないの?」

当時、どちらかというと自己主張が強い聖よりも、冬子の方に感情移入していた。聖みたいに強く生きられればいいけれど、自分の意志を伝えることや自己主張して嫌われることを酷く恐れていたし、たいして伝えたい気持ちもなかったから。

歳を重ねるにつれて、だんだん聖の気持ちが分かるようになってきた今でも、この一連のセリフは鋭く刺さる。未だに人と仲良くなることは得意ではないし、いちばん伝えたいことは伝えられない。(表面上のつきあいばかり得意になってしまう、踏み込むことが得意ではない上に簡単に踏み込ませないので、ふわっと知り合い、みたいな人ばかりが増えてしまう…)

この歳になっても、すこしは意志をはっきり持てるようになってもなお、冬子に感情移入してしまうのは、人と言葉を交わすことを恐れている部分が拭えないからなのかもしれなかった。

「コミュニケーションを研究している人は、自分のコミュニケーションがうまくいっていないからコミュニケーションのことを研究しようと思うんだよ。うまくいってたら、そもそもそこに悩んでいなければ、別に研究しようと思わないでしょ」とゼミの教授が言っていたとおりで、わたしはずっとずっとうまくいっていない対人コミュニケーションについて考え続けている。

要するに、聖は冬子が非常に「受け身」であり、それが「楽」している、と言っているのだ。まるで、わたしのことみたいじゃない?「受け身の改善」と「甘えの改善」は永遠の課題だなあ。マインドの問題だし。


そんな作品の中で、いちばんすきなフレーズはこれ。

「ふれるというのは、むずかしい状態です。ふれているということは、それ以上は近づくことができない距離を同時に示していることにもなるから」

冬子の想い人である三束さんが、冬子にくれる言葉の一つなのだけど。前後合わせてとても美しい表現なので、ぜひ読んでみてください。
ストーリーが、というよりとにかく表現がうつくしい作品。


P.S.
作中に一度だけ登場するレストランのお店の名前が、「ヌレセパ」というのも、いいな。たぶん中途半端な関係を何人とも続けている聖の、あるいは冬子から三束さんへの、隠されたメッセージなのでしょう。


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