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孤独の中にあっても

最近、家族について考えます。

私は子供の頃から非常に孤独でした。
親とまともにコミュニケーションが取れずにいましたので、自分自身を支えるために本を読んだり星の観察をしたりして過ごしていました。
また、今も孤独であることには変わらず、最早戸籍上の家族は「環境」くらいに思ってしまうことがあります。
具体的な感情を持つことが難しい対象ということです。

恐らく、多くの方が家族とは「自分を守り支えてくれるもの」として捉えているとは思いますが、私にとって家族とは「乗り越えるもの」でした。
それほど苛烈な状況で今日まで生きて来ました。

しかし、だからと言って誰かを憎んでいるとか、そういうことではなく。
ただ、「乗り越えた」という現実に淡々と向かい合い、淡々と日々をこなす。
今はそういうフェイズに入っているかと思います。

こんな感じですから、生きていて一人で涙を流してしまうこともあります。
ファミレスで一人で食べていても涙が流れてしまって、ハンドタオルで涙を押さえてしまうこともあるのです。

温かみを感じる家族というのが分からない私は、欠陥人間かもしれないです。
でも、不良品なりに人の方を向いて行ければと思っています。

カトリックの「朝の祈り」に以下のような文があります。

周りの人のことを考えて生きる喜びを見出させて下さい

誰かのことを考え、その人の幸せのためにはどうすれば良いのか、そのように考えて頑張って生きられる自分になりたいです。
そんな真心を身に付けたい。

心が一人ぼっちで寂しいことも多いですけど、寂しさを抱えた人間はたくさんいます。
今の日本にはそんな人だらけではないかと思うほどなのです。
だから、自分ばかりが一人ぼっちだと嘆いたりしないで、周りの人たちに優しさを配って行けるような、そんな強さを身に付けられるように霊的に鍛錬して行こうと思います。

心の隙間を埋めようと、方向違いの行動をとる方も多いと思いますが、私は道を見誤らないように祈りながら生きて行きます。

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