監修のこと

はじめに


前回は作品の制作背景、つまり「大人の事情」を含めた社会的状況をできうる限り資料収集して分析しました。今回はもう少しドラマの内側に入って「監修」をキーワードに「どうしてこうなったのか」を考えたいと思います。

1 最近のドラマにおけるLGBTQ+を描写する際の傾向

近年のLGBTQ+を描くドラマや映画は、監修が入っている例が多く見受けられます。たとえば、ドラマでは『女子的生活』(原作あり、NHK、2018年)と『三浦部長、本日付けで女性になります。』(原作あり、NHK、2020年)には、「トランスジェンダー指導」 として西原さつき氏(MtoFのトランスジェンダー)、『俺のスカート、どこ行った?』(原作なし、日本テレビ、2019年)には、「原田のぶおキャラクター監修」としてブルボンヌ氏(女装パフォーマー)が参加しています。

でもよく考えるとこれらはなぜかトランスジェンダーが多い。トランスジェンダーだと外見的あるいは振る舞いなど、映像作品としてはどうしても目にいってしまうので、意識が働くのでしょう。とはいえ、政治的にも社会的にもLGBTQ+という言葉自体がクローズアップされることの多くなった昨今、それだけ制作側も社会的趨勢を把握しながら作っているからだと思います。

一方でゲイを描く場合はそうした監修あるいは監修に準じる位置づけにあたる何かが設定されている場合がとても少ないような気がします。例外的にドラマ『his~恋するつもりなんてなかった~』(原作なし、メ~テレ、2019年)を受ける形で作られた映画『his』(2020年)には弁護士南和行氏(ゲイであることを公表しパートナーと法律事務所を経営)が監修しています。極端な例ですが、映画『バイバイ、ヴァンプ!』(2019年)は同性愛者に対する差別的な表現が批判を浴びて炎上しました(「噛まれると同性愛に目覚める」映画『バイバイ、ヴァンプ!』 高校生が上映停止を求め、署名を始めた理由 同性愛を差別的に描いているとして、多くの批判を集めている。」ハフィントンポスト 2020年02月19日)。当然ながらこの作品に監修はありません。

2 他の作品と比較した上でのS1の特異性

とはいえ、監修という大仰なことを考えなくても、関係者に取材をする、研修を受ける、学習をするなど、丁寧に向き合うことでそれを補うことはできます。OLの制作側には監修やそれに準じるものはありませんでした。脚本を担当した徳尾氏はインタビューにおいて次のように言っています。

ーー牧が直面する悩みに関しては、実際に同性愛カップルの方にリサーチされたりしたのでしょうか。
「いえ、していません。想像の範囲で、こういうケースがあるんじゃないかということを書きました。というのも、LGBTの問題に焦点を当てると、その葛藤は極めてドラマになると思いますが、葛藤の中に笑いが入り込むことでそれ自体を笑っていると誤解が生じるのが嫌だったんです。」
(『CUT』 2018年10月号)

取材をしないことでかえってリスクが上がる可能性もあると思うのですが、ドラマの焦点を葛藤ゆえのせつなさに持っていくのではなく、コメディに集中していくことで問題を回避するという道を選択したのでしょう。

S1シナリオ本を読む限り、大炎上につながりかねない箇所があるとは思えませんが、さじ加減を間違えればどうなったかはわかりません。最初から最後まで読み通して思うのは、徳尾氏もインタビューで言及していた一貫したコメディ路線です。ですがS1がヒットした理由は多くの方がいうように、まるで実在するかのようにドキュメンタリー的な春田と牧の関係性であり、もしシナリオ通りに演じられたとしたら、また異なる結果となっていた可能性はあります。S1公式本では林氏は次のように言っています。

「どのジャンルの作品でもそうなんですが、僕はなるべく自分のできる限界まで“想像”でお芝居をしないようにしています。牧を「たぶんこうだろう」という想像で演じるのではなく、自分の中に実感のベースをきちんと作らないとって思って、同性愛者の友人にいろいろ話を聞きました。今回はこういう設定で、こういう生き方をしているんだけど…という話もして、そこでヒントをもらって自分の中に牧のベースを作りました。クランクイン前に圭くんと飲んだ時にその話をしたら、「じゃあ、あとは現場で感じることを大事に、役者同士アクションを起こしてぶつけ合おう」となって。お互いの生の気持ちを感じあいながら、その空気がしっかり映像に出るような作品にしていこうと確認しました。(中略)もう一つ、圭くんと話したことがあって。この作品はコメディ要素が強いですが、人を好きになるということの切なさ、つらい部分が大事に描かれていて、僕たちもそこを大切にして、観てくださる方に届けられるよう作っていこうということを約束しました。」(『土曜ナイトドラマ「おっさんずラブ」公式ブック』文藝春秋、2018年)

そして田中氏はこんなことを言っています。

「単発ドラマの「おっさんずラブ」のお話をいただいたときは、誠実に演らなきゃともちろん思ってはいましたが、やっぱり”コメディ”という認識が強かったんです。でも、連ドラが決まってからはスタンスが変わったし、変えなきゃいけないって思った。だから準備稿の段階から、貴島プロデューサーと瑠東監督と徹底的に話し合いました。春田がなぜ部長と牧に好かれるのか、どうして牧が1話の最後で突然キスをしてくるのか、同棲するきっかけは何なのか、”設定として決まっているから”というのは絶対嫌で、”人物の感情が動いたからそう行動する”物語にして行きたいと。春田という役柄も、周りに流されていく優柔不断な性格だけれど、それでも愛されるキャラクターにしないといけない。そう考えたときに、今回はとにかく「みんなの芝居を絶対に受け切ろう」って決めました。(中略)二人(田中氏と林氏)で飲んだときに、正直に僕の思いをぶつけました。いい意味で台本を無視してほしい、その場で生まれた春田と牧の気持ちに嘘なく届けたいんだ、遣都には”牧”としてその場で生きてほしいんだ、と。遣都はそれでひとつスイッチを入れてくれたと思います。
(『土曜ナイトドラマ「おっさんずラブ」公式ブック』文藝春秋、2018年)

主要キャストらが「想像」を良しとせず、それまでの経験の中でそこにきちんと向き合い、当事者の意をくみ取ったこと、物語の中にリアルな感情を吹き込んで嘘のない気持ちを届けようと、共演者の演技を受け止める関係性を築いたことが、相乗効果を生みだしコメディ路線を微調整できた。その結果視聴者の深い感動をよんだのでしょう。

3 劇場版で「ささいな日常生活」と「親族への挨拶」を描くことの重要性

S1では恋愛の成就が描かれましたが、劇場版では恋愛のその先が描かれることになりました。これが何を意味するかというと「法的秩序への挑戦」という現実的要素が入ってくることになります。もはやコメディ路線だけでは対処しきれないほど大きな挑戦です。自治体レベルのパートナーシップ制度はあっても、日本の現行法の下では法的結婚はできません。異性カップルには当たり前の権利が同性カップルにはありません。法的婚姻関係になれば、遺産相続、保険の受取、パートナーの入院や臨終に際して伴侶として扱われるなど、(養子縁組などの工夫はあるとしても)通常持ちうる権利がありません。

このあたりは現実世界では、同性同士での生活を40年以上続けてきたパートナーの急逝後、亡くなった男性の親族がパートナーの葬儀列席を拒否したばかりか二人で築いた財産をすべて親族が相続したことをめぐる裁判が起きています(「同性パートナー訴訟、請求を棄却 相続や火葬参列認めず、大阪地裁」中日新聞、2020年3月27日)。これはおそらく氷山の一角でしょう。

異性婚者には法的に保障された当たり前の生活が、同性カップルにとってはどれだけ大切か…ささいな日常生活を描くことの重要性がここにあると私は思います。以上のことをふまえると、同性カップルの場合、両親(親族)への挨拶は、彼らを承認する人間関係を構築する行為として、異性婚よりずっと重要な意味を持ちます。それこそ「好きなだけではどうにもならない問題」でしょう。

彼らの「結婚」や「家族になること」を考えると当たり前の日常生活の描写や両親(親族)への挨拶と承認は必要だと思うのですが…監修や事前学習は転ばぬ先の杖になったかもしれません。もし異性カップルだったとしたらS2的なシリーズの展開はありえなかったのではないかというご意見も目にしましたが、そこも含めどうしても異性愛中心的な展開の仕方が見えてきてしまいます。

4 おわりに

S2制作の発表以降、制作側の声を聞く機会はぐっと減りました。どうしてこうなってしまったのか、私はやっぱり知りたくて資料を探し、最近やっといわゆる業界誌に掲載されていたのを見つけました。すでに知っていることもありましたが、次のような発言は私の知る限りS2以降これまで見なかったものです。

「最近は、視聴環境が多様化していて、ドラマのあり方もかなり変化していると思います。が、作品づくりに関して言うと、あまり気にしてもしょうがないのかなとも思います。純粋に「自分も一視聴者として、見たいドラマか」「見て面白いと思えるドラマか」を考えるしかない。ドラマづくりに正解はなく、あくまで自分の中での基準で、これが面白いんだと突き進むしかない。「バズる企画」とか「視聴率を取れる企画」というのは存在しないと思いますし、存在するのなら教えてほしい(笑)。来週発売の『ジャンプ』を楽しみに待つ高校生みたいな気持ちでドラマを楽しんでもらえたらと思って、いつも制作に臨んでいます。」
(貴島彩理「ダメな人でも頑張りたくなる作品を」『民放』2020年3月)

「いま、私がつくりたいドラマ」という特集の中にありました。記事に添えられた写真が、S2のメインビジュアルだったことや冊子の発売時期から想定すると、S2を経ての感想でしょう。ここが重要なポイントです。S2を制作した後でもこうした心境であるのなら、監修や事前学習などは本当に必要なかったんだなと思い至りました。「自分の中での基準でこれが面白い」と思うものを作るのが放送業界の常套なのだろうか?と思ったので、この特集の他のプロデューサーの意見も読みました。たとえばこういう見解がありました。

「テレビドラマは時代に寄り添うものだと思っています。なので、自分が作りたいものだけでなく、多くの視聴者が「いま何を求めているのか」を並行して考えられるようにしています。政治や貧富の格差への怒り、LGBTQ+への理解、震災の教訓、あるいは恋愛のHOW TO、底抜けに明るい笑いなど、半年違えば視聴者が求めるものもガラッと変わる世の中。ある種、先を読みながら(ここが面白いところ!)企画を立てることが大事だと考えます。(中略)
プロデューサーには、視聴者をアッと驚かせる喜びもありますが、作品が視聴者に受け入れられ、時代にマッチしたと思える喜びは、何ものにも代えがたいものです。その意味では、『何食べ』ほど企画が時代にマッチした作品はこれまで作ったことがありません。まだまだ息の長いコンテンツになると思っています。」
阿部真士「受け手の“いま”に寄り添いたい」『民放』2020年3月

すでにお気づきかと思いますが、『きのう何食べた?』(テレビ東京、2019、2020年)のプロデューサーです。同じ制作側でもまったく異なる考え方です。広い視野を持って先読みしつつ、インパクトよりも時代に寄り添った作品を作ることに喜びを覚える方です。一方で地に足のついたマーケティングもできる、豊富な経験を積んだバランスの良いプロフェッショナルであることも分かります。

違い自体は決して悪いことではなく、どちらが正しいというのでもないのでしょう。ただ貴島氏がさきほどの談話で語ったように「「バズる企画」とか「視聴率を取れる企画」というのは存在しないと思いますし、存在するのなら教えてほしい(笑)」と言うのであれば、よく耳を澄まして他者の声を聞き(それこそ「冷徹なマーケティング」でかまいませんから)、その声に寄り添ってほしかったですね…

願わくは、さまざまな経験を積んで、異なる者の声に耳を傾けられるプロデューサーに成長してほしいと思います。

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