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《大学入学共通テスト倫理》のための二宮尊徳

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。二宮尊徳(1787~1856)。キーワード:「報徳思想」「勤労」「分度」「推譲」「報徳」「天道・人道」主著『二宮翁夜話』『二宮先生語録』『報徳教林』


これは二宮金次郎像

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昭和初期に模範として小学校に飾られ、その後、だんだんと少なくなっています。私の通っていた小学校には裏庭にひっそりと置かれていました。いまは?

📝二宮尊徳(二宮金次郎)は道徳の教科書界のスターです!

金次郎はなほ幼き身を以て、毎日未明、霧たちこめる山に踏み入りまして、薪をきり、しばを刈り、また夜は、人の寝しづまるまで、縄をなひ草鞋を作りなどして、生計を助け、ひたすら母の心を安んじ、二人の弟を養っておりました。(『高等小学校外修身書 第3編 巻1』(教育資料研究会編、学海指針社〉から引用)

これは明治末の修身の教科書から。貧農出身で、幼時から親孝行で勤勉な二宮尊徳は修身(道徳)の教科書で最もひんぱんに物語られる人物でした。「金次郎はまだ幼い身でもって、毎日夜が明ける前、霧のたちこめる山に踏み入りまして、薪を切って、しばを刈って、また夜は、人が寝しずまる時間まで、縄をない草鞋作りなどをして、生計を助けて、ひたすら母の心を安心させ、二人の弟を養っていました。」が拙訳。

📝道徳教科書界のスター、二宮尊徳の名はダテじゃありません!

金次郎はたった一人で帰って来た。草をはらい、壊れたところを修理し、一人住まいを続けながら日夜家業に励み、力をつくして余剰を生み出し、田畑を買いもどした。このようにありとあらゆる努力で、かつてのあばら家もようやく煙をあげるまでになった。

先生獨り歸り草を拂ひ破損を補理し、獨居して日夜家業を勵み力を盡して有餘を生じ田圃を償ふ。此の如く萬苦を盡て廃家漸煙を擧るに至れり。
(『日本の名著 二宮尊徳』(児玉幸多責任編集、中央公論社)から引用/『報徳記』(富田高慶著、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これは17歳の二宮尊徳。14歳で父を失い、父の亡きあと支えていた母を16歳で失いました。兄弟は別々の家に引き取られ、金次郎も叔父の家に身を寄せます。叔父に恩を返し、土地を買い戻し、なけなしの蓄財を失った状態で祖父伝来の土地のたてなおしに着手します。「ありとあらゆる努力」でたてなおしをはかること、これが生涯変わらない二宮尊徳の「仕法」です。引用は直弟子で婿の富田高慶の書いた伝記『報徳記』から。

金次郎は服部家に着くと、まずこういった。「五年以内で、きっとあなた様の難儀は解消するでしょう。ただし、ありとあらゆることを、わたくしにお任せくださらなければなりません。ほんのわずかでもあなた様のお考えが加わるときは、わたくしの計画は成しとげることはできません(略)」

先生服部氏に至り君の艱苦を除ん事必ず五年の内にあり、然ども内外皆某に任じ玉はじ可なり聊たりとも君の存意を加ふる時は必ず某の微志を遂ることを得ず
(『日本の名著 二宮尊徳』(児玉幸多責任編集、中央公論社)から引用/『報徳記』(富田高慶著、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが32歳の二宮尊徳。一家を再興しつつ、小田原藩の家老服部家にも中間奉公をしています。彼の腕前を聞きつけて服部家の財政再建を任命されています。財政再建の「仕法(計画)」が生涯の仕事となった瞬間です。同じく『報徳記』から。

「(略)どうしてもやむをえなければ、かの地におもむき、その土地の人びとの荒廃の原因や、再建が可能かどうかを確かめてから、御命令を受けるか受けないかを決めましょう。いまからご命令に従うわけにはまいりません」

止む事を得ずんば彼地に至り土地人民衰廢の根元再復成不成の道を熟視し、然後受命の有無を決すべし、今豫め其命に隨こと能はず
(『日本の名著 二宮尊徳』(児玉幸多責任編集、中央公論社)から引用/『報徳記』(富田高慶著、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これは35歳の二宮尊徳。服部家の財政再建の仕法の取り組みが買われて、今度は小田原藩藩主大久保忠真から、分家の領地である「桜町」の財政再建の仕法が命じられます。この引用でも分かりますが、実地の調査、分析に基づいた仕法は、現在のコンサルティングを彷彿させる具体性と優秀性を持っています。同じく『報徳記』から。

領民は毎日耕作に励み、艱難に甘んじ、借金を弁済して、村を復興しようと志し、殊勝・奇特の行ないを立てて、他領の者までがこの事実を聞きおよんで感嘆して涙を流すほどであった。(略)ところが天保十三年(一八四二)、幕府の命が下って、尊徳を普請役格に召し抱えられた。(略)「それでは小田原の仕法は、このときを境にしておしまいになるのですか」

民日々業を勵み艱難に安んじ負債を償ひ邑を再復せんと欲し、殊勝奇特の行ひを立て他邦のもの此事を聞に及びては感嘆して涕を流すに至れり。(略)然るに天保十三壬寅幕府の命ありて先生を普請役格に召抱玉ふ。(略)然らば小田原の仕法は此時を境に廢し玉はんか。
(『日本の名著 二宮尊徳』(児玉幸多責任編集、中央公論社)から引用/『報徳記』(富田高慶著、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これは56歳の二宮尊徳。幕府から普請(公共事業)をとりおこなう役に任命されています。貧農から幕府召し抱えの武士へのサクセス・ストーリーと言えますが、尊徳の心をしめていたのは自分が継続中のたてなおしの「仕法」のこと。また、これ以後は着手したさまざまなたてなおしの激務とともに、「大きな政府」の無理解・黙殺とたたかうことになります。引用の『報徳記』の富田高慶が「名君と賢臣」のめぐりあいは難しいと嘆くほどです。ちなみに大久保忠真は名君だったそう。

📝二宮尊徳の再建の仕法の真髄「報徳思想」をチェックしましょう!

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これはネットワークのイメージ画像です。二宮尊徳の『報徳仕法』は「他人のためにある自分」という人間関係のつながりを重要視して、互恵する発想を核としたものです。福住正兄が記録した『二宮翁夜話』から、その『報徳仕法』を、①~④の「四法」としてざっくりまとめます!

大事をなそうと欲すれば、小さな事を怠らず勤めよ

大事をなさんと欲せば、小さなる事を、怠らず勤むべし
(『二宮尊徳 二宮翁夜話』(児玉幸多訳、中央クラシックス)から引用/『二宮翁夜話』(福住正兄筆記、佐々井信太郎校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これは報徳仕法の①「勤労」。ちょっとした時間も仕事に使い、勤勉であること。小さな努力の積み重ねを尊徳は生涯怠ることなく、他人にもすすめました。この「積小為大(せきしょういだい)」が二宮尊徳の仕事のスタンスです。

まず分限を明細に調べ、おまえの家株は田畑が何町何反歩、この作益金何円、うち借金の利子いくらを引いて残り何程、これがおまえの暮らしを立てる一年の天禄である。このほかに取るところもなく、入るところもない。このうちで勤倹を尽して暮しを立て、何程が余財を譲るように勤める

先分限を明細に調べ、汝が家株田畑何町何反歩、此作益金何圓、内借金の利子、何程を引、殘何程なり、是汝が暮すべき、一年の天禄なり、此外に取る處なく、入る處なし、此内にして勤儉を盡して、暮しを立て、何程か餘財を讓る事を勤べし
(『二宮尊徳 二宮翁夜話』(児玉幸多訳、中央クラシックス)から引用/『二宮翁夜話』(福住正兄筆記、佐々井信太郎校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが報徳仕法の②「分度(ぶんど⇒自分の生活の限度を定めること)」。倹約をするための基本的なコツですが、無理のない支出状況で状態で勤労に励むことで「余財」を得る発想です。

鳥獣には今日の物を明日に譲り、今年の物を来年に譲るという道はない。人はそうではない(略)親類・朋友のために譲るのだ。郷里のために譲るのだ。もっともできがたいのは国家のために譲ることだ。

鳥獣には今日の物を明日に讓り、今年の物を來年に讓るの道なし、人は然らず(略)親戚朋友の爲に讓るなり、郷里の爲に讓るなり、猶出來難きは、國家の爲に讓るなり
(『二宮尊徳 二宮翁夜話』(児玉幸多訳、中央クラシックス)から引用/『二宮翁夜話』(福住正兄筆記、佐々井信太郎校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが報徳仕法の③「推譲(すいじょう⇒他にゆずること)」。寸暇を惜しんで労働し、分度を定めて倹約して溜めた余財を他人のために使うというもの。ここが報徳仕法のキモ。①②でみた一人一人の(小さな)善行が、共同体の中の大きな力にまとめられる。このサスティナブル(持続的)な富を、二宮尊徳はたてなおしの資金とします。そうして、共同体が外からの支えなしに自律的に富を生む状態を、たてなおしのゴールに据えています。

すべて世の中は、恩には報いなければならない道理をよくわきまえれば、百事が心のままになるものだ(略)すべて恩を受けたことと考えて、よく報いるときには、世界の物は、実にわが物と同じく、何事も欲するとおり、思うとおりになる

凡て世の中は、恩の報はずばあるべからずの道理を能瓣知すれば、百事心の儘なる者なり(略)恩に報う事を厚く心得れば、何事も思ふままなる物なり
(『二宮尊徳 二宮翁夜話』(児玉幸多訳、中央クラシックス)から引用/『二宮翁夜話』(福住正兄筆記、佐々井信太郎校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが報徳仕法の④「報徳(ほうとく⇒善行を恩返しと考えること)」。①~③の善行も単に「他人のため」と考えれば無理がくる。自分を存在させてくれる他人に対する「自分の」恩返し=自己実現だと考えとことん尽くすという、良心をエンジンとする発想が報徳仕法の根幹にあります。

📝二宮尊徳がストイックな報徳仕法に徹した理由は?

人道は天道とは異なるもので、譲道から成り立つものだ(略)人道は自然のものではなく、作為のものである

夫人道は天道とは異にして、讓道より立つ物なり(略)人道は自然にあらず、作爲の物なる
(『二宮尊徳 二宮翁夜話』(児玉幸多訳、中央クラシックス)から引用/『二宮翁夜話』(福住正兄筆記、佐々井信太郎校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これが二宮尊徳の「天道・人道」。二宮尊徳が報徳仕法に徹した理由㈠は、「世界大のレベルで捉えた人事の意味」です。すぐれた農夫として自然をリアルに観察し、また神道・仏道・儒学の説く教えも学び、そこから恵みを感謝すべき「天道」と、互恵を根幹とする「人道」の意味を力強く説きました。広い哲学的な世界観でもあります。「三才報徳金毛録」では宗教的なレベルでその思想を広げています。

広い世界も、己といい、我というものを一つその中に置いて見ると、世界の道理は、その己に隔てられ、見えるところは半分になるものだ(略)取り捨てて広く見れば、借りた物は返さなくてはならない道理が明らかに見え、盗むということは悪事であることも明らかにわかるのだ。それゆえ、己という私物を取り捨てる工夫が第一だ。

廣き世界も己と云ひ、我と云ふ私物を一つ中に置て見る時は、世界の道理は其の己に隔てられて、其の見る所は皆半になるなり(略)取り捨て、廣く見る時は、借りたる物は返さねばならぬと云道理が明らかに見え、盗むと云事は惡事なる事も明らかに分るなり。故に此己と云私物を取り捨るの工夫が専一なり
(『二宮尊徳 二宮翁夜話』(児玉幸多訳、中央クラシックス)から引用/『二宮翁夜話』(福住正兄筆記、佐々井信太郎校訂、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

二宮尊徳が報徳仕法に徹した理由㈡は「自分を捨てる覚悟」です。㈠と同じ広い哲学的世界観から真理の手応えを語っていますが、ここの「自分を捨てる」行為は二宮尊徳の過去の人生に不可避な覚悟でした。たとえば父を失って母を支えた2年間がそれです。我欲を捨てて他人を支え、懸命に生きたがゆえに誰かを幸福にできる。そんな《真理》を尊徳は幼い頃に得た人物です。

📝最後に、二宮尊徳の最も好きなエピソードを引用します!

金次郎は父の病後の外出を案じ、帰宅の遅いことを心配して、戸口まで出て待っていた。利右衛門は医者の言葉に感激して、手の舞い足の踏むところを知らずといった様子で帰ってきた。
「どうしてそんなに喜んでいらっしゃるのですか」と金次郎は出迎えてたずねた。

先生病後の歩行を案じ、其歸路の遅きを憂ひ門に出てこれを待つ。利右衛門醫の義言を悦び兩手を舞して歩行す。先生迎て曰何の故に悦び玉ふこと此の如くなるや。
(『日本の名著 二宮尊徳』(児玉幸多責任編集、中央公論社)から引用/『報徳記』(富田高慶著、岩波文庫)から引用、ただしルビは全て略した)

これは『報徳記』冒頭のエピソード。利右衛門は田畑を売って二両という治療費を払おうとするが、医師は「金持ちになったら」とそれを返した(でも一両は利右衛門が受け取らせた)。父が喜ぶのは「これでお前たちを育てることができる」から。金次郎たちへの愛情とともに、自分を捨てる無償の行いが活路をひらくという人道に金次郎の目を開かせた出来事と言えるでしょう。ところで、二宮尊徳はこのあとすぐ亡くなる父に「報徳」していたのかもしれない。教えや心を受け継ぐ以上に、自分の恩返しで父とつながろうとした。この不可能な恩返しに取り組んだからこそ、あれだけ力を発し、人心を動かし報徳運動につながったのではと考えました。

後は小ネタを!

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勤労・倹約のひと二宮尊徳。彼が徹底すべきことを説いた道歌(教えの歌)がこれ。「飯と汁と木綿の着物が身を助ける、それ以上のぜいたくは私を苦労させるだけだ」が拙訳。

二宮尊徳は日記の最後に「私の書簡を見てほしい、そして私の日記も見てほしい。おずおずとおそるおそる深い淵をのぞくように、薄い氷の上をわたるように生きてきたことを見いだすだろう」と書いた。他人の幸福の実現にかける心はこういうものなんだろうと思う。(『日本の名著 二宮尊徳』(児玉幸多責任編集、中央公論社)から引用しました。)


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