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《大学入学共通テスト倫理》のための中江兆民

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。中江兆民(1847~1901)。キーワード:「東洋のルソー」「恩賜(おんし)的民権」「恢復(かいふく)的民権」主著『民約訳解(みんやくやくかい)』『三酔人経綸(さんすいじんけいりん)問答』『一年有半』『続一年有半』

これが中江兆民です。

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少年の頃は読書好きでおとなしかったそうですが、奇抜な行動が物語られた、民衆から愛された文化人です。

📝中江兆民は『社会契約論』を訳し「東洋のルソー」と呼ばれました!

民約ができると、そこで土地が国に変わり、人びとは人民に変わる。人民というものは、多数の意志が結びあって一体をなすものである。(略)全員の意志を意志とする。

民約已に成る。是に於いてか、地、変じて邦と為り、人、変じて民と為る。民なる者は、衆意の相い結びて体を成す者なり。(略)衆意を以て意と為す。
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民全集 1』(松本三之介・松沢弘陽・溝口雄三・松永昌三・井田進也編集、岩波書店)から引用、ルビは全て略した)

これが兆民の『民約訳解』。ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』の翻訳です。ルソーのフランス語の名文を薫り高い漢文に翻訳しており、漢文調すぎるルソーの当て字「婁騒(ルソー)」なども翻訳史に残るインパクトです。『社会契約論』のフランス系人権思想を紹介して、植木枝盛と並んで「自由民権思想」の主導的な担い手となっています。

📝中江兆民は、ある意味で本家のルソー以上に「衆意」の人です!

全員が集まって約束をつくり、国家を建てるのが、いわゆる民約である。(略)民約は精神のようなもので、法律はちょうど意志のようなものだというのである。思うに、精神がそなわって意志が出てくるのである。

衆あい会して約を立て、以て邦国を創むるは、所謂る民約なり。(略)「民約は猶お精神のごときなり、律例は猶お意思のごときなり」と。蓋し精神備りて意思出づ。
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民全集 1』(松本三之介・松沢弘陽・溝口雄三・松永昌三・井田進也編集、岩波書店)から引用、ルビは全て略した)

これは同じ『民約訳解』で、兆民が加えた解説部分。国家の要に「衆意」があると説いています。

アメリカでは、政治の大権はまさに全国民の手の中にある(略)もしこの大地の上に、安楽国というべきものがはたしてあるとすれば、それはこのアメリカ合衆国にほかならない

米利堅に於ては政事の大権ㇵ正に全國民の手裡に在り(略)若し此大塊上果て楽國なるものありとせㇵ他に非すして箇の北米合衆國なり
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民集 明治文學全集13』(林茂編、筑摩書房)から引用)

国民が政治家の動向をチェックし、「衆意」が生きているアメリカを大絶賛しています。これは「選挙人目ざまし」から。

📝『三酔人経綸問答』でも「衆意」の働きで「民権」を2つに分けます!

恩賜の民権とでも言うべきものがあります。上から恵みを与えられるものです。(略)上から恵みが与えられるものだから、その分量の多少は、こちらが勝手に決めることができません。

一種恩賜的の民權と稱す可き者有り上より惠みて之を興ふる者なり(略)恩賜的の民權は上より惠興するか故に其分量の多寡ㇵ我れの得て定むる所に非さるなり
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民集 明治文學全集13』(林茂編、筑摩書房)から引用)

これが中江兆民の「恩賜的民権」&『三酔人経綸問答』。日本の上からの革命が、衆意としては大満足なレベルにないことを指摘しています。

📝価値的に「恢復的民権」>「恩賜的民権」ですが、両方肯定します!

恩賜の民権の分量がどんなに少なくとも、その実質は回復の民権とちっとも違わないのですから、われわれ人民たるものは、これをちゃんと守り、大切に扱って(略)養ってやるならば(略)かの回復の民権と肩を並べるようになる

縦令恩賜的民權の量如何に寡少なるも其本質は恢復的民權と少も異ならさるか故に吾儕人民たる者善く護持し善く珍重し(略)養ふときㇵ(略)彼の恢復的の民權と肩を並ふるに至る
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民集 明治文學全集13』(林茂編、筑摩書房)から引用)

これが中江兆民の「恢復の民権(衆意で回復された自然な民権)」。道徳、教育、学問によって「恩賜的民権」⇒「恢復的民権」のレベルで民権を拡張していこうと主張します。これも『三酔人経綸問答』。この書は進歩的知識人の「洋学紳士」と、国政を憂う革命キャラの「豪傑の客」の演説を聞いて、中江の名をもじった「南海先生」が両者の論を「どちらも役に立たない」と断じる展開です。「衆意」に合わせた中庸さが大事というまとめ(オチ)がきれいにきまっていて、面白い文章です。

📝中江兆民は衆意で議員に選ばれ、すぐ辞職し、事業家となりました!

わたしが事業に従事すると、利益は他人がとってしまい、借金はわたしがかぶることになっており、あげくのはてに裁判、弁護士、執達吏、公売などがつぎつぎにおこってきて、それでしまいになる。

余の事業に於けるや、臝利は則ち他人之を取り、損失は則ち余之に任じ、其末や裁判、瓣護士、執達吏、公賣等續々と生起し來りて後已む
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民集 明治文學全集13』(林茂編、筑摩書房)から引用)

国会開設時に衆議院議員になりますが、半年で辞表を書き、その後たくさんの事業に手を出します。トホホな感じですが、この文章はけっして愚痴ではなく、著述家・思想家であることの自負をユーモアとともに語っています。これは『一年有半』から。

📝中江兆民の『一年有半』と『続一年有半』は、

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中江兆民が、医師から余命宣告を受けた年数を名づけています。診断は喉頭がん。以後は闘病しながら社会に対する時論と哲学をあらわします。静かな、しかし気迫のこもったこれらの文章を読みましょう。(画像は2歳年上の今尾景年の描いた掛軸「海辺老松」です。『一年有半』執筆時に兆民が「大浜海岸」の近くに住んでいたようなので海岸の絵を選んでみました。)

一年半。諸君は短いというだろうが、わたしは悠久だと言おう。もし短いと言いたいなら、十年も短いし五十年も短い。

一年半、諸君は短促なりと曰はん、余は極て悠久なりと曰ふ、若し短と曰はんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民集 明治文學全集13』(林茂編、筑摩書房)から引用)

これは『一年有半』から。自分の人生に対する述懐です。これからすべきことがあるという手応えと、世界を観ずることにおいて無限のひろがりをもつという想念の深さを感じます。ちなみに、この書は「わが日本、古より今にいたるまで哲学なし」という日本批判と、いま「思考」する価値を説いています。

身体は本体である。精神はその働き、つまり作用である。身体が死すれば精魂は即時になくなるのである。

軀殻は本體で有る、精神は之れが働らき卽ち作用で有る、軀殻が死すれば精魂は卽時に滅ぶるので有る
(『日本の名著 36 中江兆民』(河野健二責任編集、中央公論社)から引用/『中江兆民集 明治文學全集13』(林茂編、筑摩書房)から引用)

これは『続一年有半』から。率直な時論が中心の前作に対して、こちらはより哲学的です。自分の命が尽きようとする瞬間も、唯物論的に哲理をみつめる気迫を感じます。『続一年有半』はこんな自省の強さを感じさせる著作で、最良の日本的思考であると思います。

後は小ネタを!

中江兆民は16歳でできたばかりの「文武館」に入学する。この土佐の藩校は、土佐勤王党が敵対視した吉田東洋の藩政改革の一つとして作られた。少年期を幕末の土佐藩に生きて、長崎で坂本竜馬に会ったことがある中江兆民です。

中江兆民が55歳で没した翌年、愛弟子の幸徳秋水は伝記を書く。彼は「緒言」に「ここに描いたのはただ、かつて私が見た先生だけ、いまも私が見ている先生だけだ」という内容を記す。深いかなしみが感じられる。岩波文庫で読める『兆民先生』は哀悼のこもった名文です。「描く所何物ぞ。傳記か、傳記に非ず、評論か、評論に非ず、弔辞か、弔辞に非ず。唯だ予が曾て見たる所の先生のみ、予が今見つゝある所の先生のみ。予が無限の悲しみのみ。予が無窮の恨みのみ。」が原文です。


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