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《大学入学共通テスト倫理》のための伊藤仁斎

倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者を一人ずつ簡単にまとめています。伊藤仁斎(1627~1705)。キーワード:「古義学」「仁(愛)」「誠」「忠信」主著『論語古義』『童子問(どうじもん)』『語孟字義(ごもうじぎ)』

これが仁斎

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門人の描いた肖像です。後ろ髪を結んでいるところが、現代の自由で快活な研究者ぽくも見えます。

📝仁斎は朱子学が儒学に展開させた理気論を継承します!

儒者たちの宇宙観・世界観の根本には、まずは『易』があり、それとも結び付いた『大極図説』があった。(略)大きくは、朱子が、理を立てて気を後にする(理先気後)に対して、逆に、仁斎たちは、気を先立てて理を後にする(気先理後)。(黒住真「自然と人為」『岩波講座 日本の思想 第四巻 自然と人為』(苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士編集委員、岩波書店)から引用)

これが儒学の「理気二元論」。宇宙は「理(原理・法則)」と「気(エネルギー)」によってなるという考え。中国宋代の儒学者朱子(朱熹)はこの「理気二元論」を強調し、眼の前の事物や社会の法則をきわめて見ていけば宇宙大の真理をつかめると論じました(「格物致知(かくぶつちち⇒事物の道理をきわめること)」)。仁斎は「気」を重んじる違いはありますが、「理気二元論」の宇宙大の思考を継承していると言えます。仁斎が朱子学の批判者なのも間違いないですが、この点をまず確認しましょう。ちなみに、引用の「仁斎たち」は前後の文脈から「伊藤仁斎と荻生徂徠」を指すと思われます。

📝仁斎は、孔子の『論語』を「宇宙第一の書」と断定しました!

わたくしは断乎として『論語』を、最上至極・宇宙第一の書ときめた

愚断ジテ論語ヲ以テ最上至極、宇宙第一ノ書トスル
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

仁斎の『論語古義』から。こんなに確信をもって一書をリスペクトできるのはすごいです。しかし、この箇所で読めるのはそんなリスペクトだけではありません。儒教・儒学の創始者孔子は「宇宙」については寡黙でした(「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」とか「怪力乱神を語らず」という言い方で、人間の認識を超えたものを論じませんでした)が、朱子学を通過した仁斎にとって『論語』は宇宙大の哲理を描いた書物だったようです。引用はそのことを表明したフレーズです。

📝そんな仁斎の『論語』解釈を覗いてみましょう!

◎まず仁斎の解釈は『論語』×『孟子』です

わたくしは、天の神のおかげで、千年も閑却されてきた学問を『論語』『孟子』の二部の本によって目を開くことができた。

愚天ノ靈ニ頼リ、千載不傳ノ学ヲ語孟二書ニ發明スルヲ得タリ。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

仁斎は『論語』と『孟子』を合わせ読むことで、『論語』に「宇宙大の真理」を読みとります。注目したいのは、ここには千年も無視されてきた価値を発見したと言う、原典を精読して原意をつかむ仁斎の態度です。これが仁斎の「古義学」です。

『論語』はもっぱら教えを説いて、道はそのなかにふくまれている。『孟子』はもっぱら道を説いて教えはそのなかにふくまれる。

論語ハ、專ラ教ヲ言ヒテ、而シテ道其ノ中ニ在リ。孟子ハ、專ラ道ヲ言ヒテ、而シテ教其ノ中ニ在リ。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

儒家のなかで「性善説」を説いた孟子は、人間が善である理由をそもそも世界が「善」であることに求めました。仁斎はこの『孟子』の世界観を『論語』に流し込みます(ここには宇宙論を語り『論語』を説きながら、『論語』自体は宇宙論でないという朱子学の欠点を乗り越えようとする発想が感じられます)。ところで、孔子は修養を説くことで道(正しい世界)に人を導こうとし、孟子は正しい世界を説くことで修養に人を駆り立てようとしたと言いながら、孔子が断然「宇宙第一」という扱いに差があるのは興味深いです。

◎そして、仁斎だけに(?)「仁」が重視されています!

仁は具体的な徳である。

仁ハ實德也。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

儒学で徳目は仁だけではありません(「仁、義、礼、智、信」の五徳or五常です)が、仁斎は「人を愛し思いやること」という仁を「実(具体的)」だと言って尊びます。

そもそも道は一つしかない。五常(仁・義・礼・智・信)をはじめ百行(あらゆる行ない)などその項目は無数に上るけれども、行く先は同じで路がちがうだけ、趣旨は一致していて百の考え方があるだけで、世界の最高の徳である「一」によって世界の万に上る善を統一することができる。

夫レ道ハ一而已。五常百行、至ツテ多端爲リト雖モ、然ルニ同帰ニテ殊塗スルモ、一致ニテ百慮ナリ。天下ノ至一、以テ天下ノ萬善ヲ統ブベシ。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

これが仁斎の「仁」。世界全てが一つの「愛すること」に収斂していく感じのハッピーな世界観が述べられています。ここには、「気」を世界の中心に据えた仁斎の理気二元論がうかがえます。つまり、世界に充ちる気とは「仁」であること。「世界で最高の一つ(天下ノ至一)」とは、このレベルでも用いられているでしょう。

📝以上が仁斎の「仁」です

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「仁」は「人」と「二」に分解できます。人が二人向きあうところに「愛し思いやること」があるというのは素敵な字だと思います。

📝仁斎がこの仁を信じた根拠は「孔子」の生き方です!

聖人(孔子)の心は、天地自然の心そのものであり、誠実そのものでいつわりがなく、どのような行為もすべて仁から出ぬものはない。

聖人ノ心ハ、即チ天地ノ心、至誠無妄、住クトコロ仁ニ非ザル無シ。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

またもや孔子リスペクトですが、聖人と世界とを重ね合わせる発想に注目しましょう。

人間が善に向かうのを望まれる夫子(せんせい)の心は、天地が万物をあまねくめぐみを施して、一物もすてないようなものだというのである。

其ノ人ノ善ニ入ラムヲ欲スルノ心、猶ホ天地ノ萬物ニ徧クヲ一物モ棄テザルガゴトキナリ。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用、ただしルビをパーレンで示す改変をした/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

世界に諸物が同居していること。その現実を仁斎は「天地の仁(愛)」と捉えています。そして、具体的な現実をよりよくするために、たゆまなく人を教化した孔子の姿勢に「一物」も排除しない愛を見いだしています。孔子によって世界を知り、世界によって孔子を知ろうとした仁斎独特の発想から、愛の貫通した世界が記述されています。

📝仁愛の理想を言語化した記述を読みましょう!

王道は仁をもって根本とする。世の中でただの一人でも安んじて生活できない者がいるようでは仁とはいえない。ただの一物でも無事に生きていけないようでは仁といえない。

蓋シ王道ハ仁ヲ以テ本ト爲ス。一夫其ノ所ヲ得ザルモ仁ニ非ザルナリ。一物其ノ生ヲ遂ゲザルモ仁ニ非ザルナリ。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『論語古義 巻1~10』(伊藤仁斎(維禎)述、六盟館)から引用、ただし書き下し文に改変した)

仁斎が孔子の心をつかむことでこの理想をつかんだことを貴重だと感じます。つまり、現実の人間と向きあうリアルを通過しているがゆえに、この理想が仁斎の中でリアルに捉えられている。そんな不思議なリアルさが仁斎の古義学を魅力的にしていると思います。

📝最後に、仁斎の宇宙観と社会観を『童子問』で見ます!

唯天地は一大活物、物を生じて物に生ぜられず(略)夫れ心は、活物なり。學は活法なり。(伊藤仁斎『童子問』(清水茂校注、岩波文庫)から引用、ただし、ルビを略した)

これが仁斎の「活物」。「ただ天地は一つの大きな動的な存在であり、物を生じさせて物によって生じることはできない(略)そもそも心は、動的な存在である。儒学はその動的な存在を動的に捉える方法である」が拙訳。動的にある世界と、動的にあるがままの心と学問とを肯定する。リアルで自由な世界観がうかがえる記述です。

『誠実さがなければ、なにかをしたところで、しなかったのと同じだ』(略)というのである。忠信を、仁を行なう下地とするのは、当然ではないか。

『誠ならざれば物無し』と。忠信を仁を行うの地と爲ること、亦宜ならずや。
(『日本の名著 伊藤仁斎』(貝塚茂樹責任編集、中央公論社)から引用/『童子問』(伊藤仁斎著、清水茂校注、岩波文庫)から引用、ただしルビは略した)

これが仁斎の「誠」と「忠信」。人や世界の仁へ「誠(いつわりない心)」で向かっていく大切さと、その大切さは「忠(真心をもつこと)」と「信(現実に他人に真心を伝えること)」がベースに出来あがっていることを述べています。道徳的ないい話です。

あとは小ネタを!

江戸前期の儒学者伊藤仁斎。彼の私塾「古義堂」に入門し、教えを受けた学生の1人に『忠臣蔵』の大石内蔵助(大石良雄)がいる。「古義堂」はこの後伊藤家の家業となる私塾ですが、江戸から離れた京都の町人が説いた学問である点で体制から自由な雰囲気があったようです。仁斎の人徳も高く、塾自体も上下の差なく儒学にはげんだそうです。

江戸の儒学者伊藤仁斎は「人の外に道無く、道の外に人無し」と説いた。「人を離れた道理はないし、道理を離れて人は存在できない」がその大意。そんな風に、生きた個に即した世界と社会の原理があることに信頼を寄せていた。


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