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《大学入学共通テスト倫理》のためのカール・グスタフ・ユング

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・学者などを一人ずつ簡単にまとめています。カール・グスタフ・ユング(1875~1961)。キーワード:「集合的無意識」「元型」「分析心理学」「シャドー」「アニマ・アニムス」「グレートマザー」「内向型・外向型」主著『自我と無意識の関係』『心理学と錬金術』

前列右がユングです!

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これはフロイトのアメリカ講演の一枚。この1908年のアメリカ講演は精神分析学者のグループにとって世界デビュー的な位置づけをもつもの。その記念写真で、講演の企画者スタンレー・ホールをフロイトと両脇ではさんでいるのがスイスの学者ユングそのひとです。彼がフロイトに次ぐ第一の実力者的なポジションにいることが示唆されています。この時点でのユングは精神分析界の期待の星でしょう!(ちなみに、中央のスタンレー・ホールはアメリカの心理学の草分け的存在。ドイツ語の「疾風怒濤」を借りて青年期の激動をたとえたことでも知られています。)

📝ユングは「連想実験」でフロイト精神分析を名アシストしています!

「連想実験における反応時間の分布」という私の論文においてとくに証明したように、いわゆる強い感情を伴うコンプレックスは実験においては特徴的な乱れによって表わされ、コンプレックスの存在やその性質と思われるものはまさにこれらの乱れから認識できる。(『連想実験』(C. G. ユング著、林道義訳、みすず書房)p54から引用)

これがユングの「連想実験」。精神分析のチューリッヒ・グループのめざましい成果です。ユングは一連の単語のリストを用意して被験者に「連想するもの」を訊ねるテストを行いました。すると他の単語群よりも返答が遅かったり、連想関係がうまく作れなかったりなどの「乱れ」が生じる単語があることを見つけます。そして、これらの単語が個人的なコンプレックスと関係すると考えられるという実験結果を得ました(つまり、無意識下での抑圧があることを証明しています!)。臨床とその理論だった精神分析に科学的証明の光を当てるような試みだと言えるでしょう!

📝輝ける期待の星ユングは早速フロイトとは別の道に進みます!

個人的無意識の内容をなすものが個々人が生きてゆくうちに獲得されたものであるのに対し、集合的無意識の内容は恒常的にかつ先験的に存在している元型である。(『ユング・コレクション4 アイオーン』(C・G・ユング/M・L・フォン・フランツ著、野田倬訳、人文書院)p21から引用、ただし「個人的無意識」「集合的無意識」「元型」の傍点を略)

これがユングの「集合的無意識(普遍的無意識)」その1。ユングは無意識を個人の背景だけでなく、人類が共通する背景があるという立場に立ちます。これはフロイトとは非和解的な立場で、2人は別々の道を歩むことになります。フロイトはユング(そしてアドラー)が「精神分析」の名を用いることに反対しました。そこでユングは自身の学を「分析心理学」と名乗ります。フロイトやユングやアドラーの精神分析学を総称したい場合は「深層心理学」ということが多い気がします。

📝ユングの「集合的無意識」のスケールがやばいです!

集合的無意識は、多くの経験の沈殿として、同時に経験のア・プリオーリとして、幾千万年に亙って形成されてきた一世界像である。(略)それらの形象を人間の心は繰り返しくりかえし新たに賦活する。(『無意識の心理』(C・G・ユング著、高橋義孝訳、人文書院)p157から引用)

これがユングの「集合的無意識(普遍的無意識)」その2。ユングは「集合的無意識」の中に超歴史的な広がり(言葉以前の時代や出来事をも記した広がり)があるとみなします(遺伝で伝わるのか?)。この「幾千万年」の世界像と大きさと比べたら、最長100年程度しか生きない一個人の意識+個人的無意識の内容は芥子粒みたいな大きさでしょう! 「アプリオリ(先験的)」「賦活(ふかつ・活力を与えること)」

📝このLvの無意識は「元型」イメージとしてしか意識に浮上しません!

心は象徴を作りだすが、その象徴の基礎は無意識な元型であり象徴の現象形は、意識が獲得した観念から出てくるのである。(『変容の象徴(上)』(C. G. ユング著、野村美紀子訳、ちくま学芸文庫)p450から引用)

これがユングの「元型(アーキタイプス)」その1。世の中にある無数の象徴(たとえば母なるイメージとか)は実は個人の体験以上の意味の広がりがある。そしてこの全ての象徴が「無意識な元型」の意味を現実にもたらそうとして観念化したものだと扱います。もし象徴に「人間が意図したサイン」以上の奥深さを感じるならば、意外と共感できる話なのかもしれません。

元型的なイメージは、恐ろしいほどのダイナミックな力をもつので、理性で処理することは不可能です。(『分析心理学』(ユング著、小川捷之訳、みすず書房)p266から引用)

これがユングの「元型(アーキタイプス)」その2。象徴の中に含まれている「元型」はそれとまともに向き合えば、個人の枠を壊すような力があるとされます(そしてその個人が集団を一つに扇動するような狂熱すら宿す場合もあるとされます)。こんな「恐ろしいほどのダイナミック」さは、意識が「幾千万年」Lvの人類の共通遺産と一体化することを想像すると分かりやすいでしょう!

「神秘的な体験とは、元型の体験です。」『分析心理学』(ユング著、小川捷之訳、みすず書房)p266

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ここまで見てきたように、ユングの心理学はスピリチュアルに似た発想を多く含んでいます(もっともユングはただ「集合的無意識」「元型」の実在感が神秘的だっただけと言うかもしれませんが)。そしてこのように1人1人の心の広がりを極大と捉えるユング心理学は人間への抜群のリスペクトと癒しがあるでしょう。左図の白い部分は「意識」で中央縦ラインが「個人的無意識」で右半分が「集合的無意識」です。ユングにとって、人間は自我や人格さえ意識の世界では半分の本当しか生きていないのです!(作図は『ユング・コレクション13 夢分析Ⅰ』(C・G・ユング著、入江良平訳、人文書院)p83の図を引用し簡略化しています!)

📝ユング心理学のメジャーな元型たちを☑しましょう!

三つの元型、影、アニマ、老賢者は、直接経験されるばあいには人格化して現われる。(『元型論』(C. G. ユング著、林道義訳、紀伊国屋書房)p72から引用)

「元型」というものは人格化して現われるそうです(ここにユングが「悟り」を論じた数多の東洋思想家と異なる特質があると言えるかもしれません、心の超越的なものが私と対等に対話する存在とみなすのは!)。

☞まずユング的「シャドー」はこんな感じです!

自分自身との出会いはまず自分の影との出会いとして経験される。影とは細い道、狭き門であり、深い泉の中に降りていく者はその苦しい隘路を避けて通るわけにはいかない。(『元型論』(C. G. ユング著、林道義訳、紀伊国屋書房)p49から引用、ただし「隘路」の「あいろ」のルビを略)

これが元型的「シャドー(影)」。例えばふと自分の影をみつめる瞬間の心の揺れに、ユングは深い精神世界の入口をみます。みつめるまなざしの先に出会うのは「自我」が受け入れたくないような自分としての「シャドー」です。また、その精神世界を「深い泉」というようなイメージで語っていることも確認しましょう。「隘路(あいろ・狭くけわしい道、細道)」

☞次にユング的「アニマ(アニムス)」はこんな感じです!

ペルソナ、すなわちそうあるべきだという男性の理想像は内面では女性的な弱さを補償される。個人は外面では強い男性を演じ、内面では女性に、アニマになる。なぜならペルソナに立ち向かうのはアニマだからである。(『自我と無意識の関係』(C・G・ユング著、野田倬訳、人文書院)p120から引用)

これが「ペルソナ」&元型的「アニマ(アニムス)」。「アニマ(アニムス)」はざっくり言うと心の中の異性のこと。「私の中の、私以上の歴史を含んだ人格」として、本人の人格が男性人格の場合は「アニマ(女性の魂)」、女性人格の場合は「アニムス(男性の魂)」が内面にあるとされます。あと、「ペルソナ」は外的人格を意味するユング用語ですが、これはゲーム「ペルソナ」ファンにはおなじみでしょう。ちなみに「ペルソナ2」ファンには上の「老賢者」という元型も「フィレモン(ユングが自分のそれにこう名づけた)」という名前でおなじみなはずです!

☞ユング的「グレートマザー」も忘れてはいけません!

幼い子どもにとって母は巨人のように大きいが、元型としての「太母」、母なる自然、にも当然偉大という属性が付与される。(『変容の象徴(下)』(C. G. ユング著、野村美紀子訳、ちくま学芸文庫)p104から引用)

これが元型的「グレートマザー」。「シャドー」や「アニマ」が自分と対になる存在であるのに対して「グレートマザー」ははっきりと自分以上の存在です(生命を包むと同時に飲みこむものと説明され、無意識が「集合」するという本質を司る人格→神格の1人と扱っていいでしょう)。ユング心理学で「子ども」「トリックスター」など「元型」と呼ばれるものは他にもあります。ともかく、ユング心理学で「シャドー」「アニマ(アニムス)」「グレートマザー」の元型と向き合うことは、自分の枠組みをじょじょに組み替えながら「自分の本質」と出会う旅を意味するはずです!

📝ユングは非科学的な不思議を「元型」に対する営みとみなします!

錬金術師たちにとって物質の真の性質は未知だったのである。彼らはそれを暗示の形でしか知らなかった。彼らはそれを探求しようとして、物質の未知の闇を照らし出すためにみずからの無意識をその未知の闇に投影した。(『心理学と錬金術 Ⅱ』(C・G・ユング著、池田紘一・鎌田道生訳、人文書院)p32から引用)

これがユングの「錬金術」。たとえば錬金術を、占星術を、神話を、空想的な夢を、およそあらゆる不思議なものをユングは「集合的無意識」の「元型」に対する接近として捉えました。

ユング教授――その通り。それからミトラ儀礼ではどうか?
聴講者――ミトラは火の神、若者の神として現われる。右手で牛の肩を揺すっている。これは大熊で、北極星の回りを回っている。
ユング教授――だからその牛の肩は極点との結びつきを表わしている。神はそこで天全体を支え、世界をそこから回している。だから極点は、超越的なものの非常に重要な象徴である。それは、宇宙軸が通っている場所で世界の中心なのである。少年の意識は、この意味についてもちろん何も知らない。(『ユング・コレクション8 子どもの夢Ⅰ』(C・G・ユング著、氏原寛監訳、李敏子/青木真理/皆藤章/吉川真理訳、ただし「世界の中心」の傍点を略)

これがユングの夢解釈。具体的には、子どもの夢に登場した「北極星」の解釈です。世界中の神話から「北極星」のモチーフの意味をシンボルハントしながら、その核の「宇宙の軸」の意味を読み取っていきます。神話同士の共通点があるのは誰もが知るところ。そして、夢の中にも神的な感触があるでしょう。ユングはこんな「何か奥深いものに触れた感じ」は全て「集合的無意識」の「元型」に接近しているという解答を与えました。そして「不思議」同士のつながりを上記のように意欲的に読み解きます。ところで、引用した本はかつては分析家だけが読めたゼミの記録ですが、「聴講者」の反応が抜群です(きっとユング心理学の専門家なんでしょうね!)

📝「集合的無意識」達が現実的影響の可能性を探ります!

共時性原理が仮定していることは、ある意味が人間の意識への関係の中で先験的に存在していること、そして明らかに人間の外部に実存しているということである。(『自然現象と心の構造』(C・G・ユング、W・パウリ著、河合隼雄、村上陽一郎訳、海鳴社)p117から引用)

これがユングの「シンクロニシティ」。偶然だが運命と感じさせるような意味を帯びた出会いや出来事などをいう言葉です。ユングのいうように「集合的無意識」を1人1人が抱えているとすれば、その「集合的無意識」にとっての必然が人間や世界を動かすようなこともあるはず。それどころか「集合的無意識」がもうこの現実に影響を与えるような実在性があるのではないか。こんな方向にユングの思索は向かっているようです。人間の1人1人の心に「集合的無意識」という広大なフィールドをみて、それへの冒険の価値を繰り返し説いた心理学者それがカール・ユングです!

あとは小ネタを!

「内向型」「外向型」の性格診断。この2つの語はユングが用いたことで世に広まった。彼の用い方は、例えば「内向型の人間には、客体がつねに決定的な役割をはたすなどということが不可解に思われる」(『心理学的類型』)という感じ。

↪最後の知識事項ですが、これがユングの「内向型・外向型」。「内向型(内面を掘り下げる、交際がせまい)」「外向型(外に活動的で、社交性がある)」などの分類で、現在も「両向型もいる!」などの切口でも人気の性格分類のはじまりに位置するのがユングです。ちなみに、ユングにとって現実世界も「集合的無意識」世界も等しく価値があるので、人間はそのどちらかにエネルギー(リビドー)が向くものだという発想がこの分類にはあります。蛇足ですが、ユングはこの対となる語句をファーノー・ジョーダン『身体と血統に見られる性格』の性格論から学んだそうなので、「はじめて性格分類に用いた」という表現は不適当になるでしょう。


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