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《大学入学共通テスト倫理》のためのアダム・スミス

大学入学共通テストの倫理科目のために歴史的偉人・宗教家・哲学者を一人ずつ簡単にまとめています。アダム・スミス(日本でアダム=スミスとも表記される)(1723~1790)。キーワード:「共感」「道徳感情」「公平な観察者」「自由放任(レッセ・フェール)」主著『諸国民の富(国富論)』『道徳感情論』

これがアダム・スミス

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『諸国民の富(国富論)』で歴史的な分析、国際的な比較という学的スケールを最初に展開した古典派経済学の祖といわれるアダム・スミスです

📝スミスといえば『道徳感情論』『諸国民の富(国富論)』です!

いくつかの論文を除けば、著書は前記の2冊のみで、死の直前までその改定増補を続けた。(略)死の直前、草稿類をすべて焼却させたといわれる。(フリー百科事典「ウィキペディア」、アダム・スミスのページから引用)

書きためていた論考を「発表するに値しない」と焼き捨てさせたそうです。「もったいない!」と思うばかり。とはいえ『道徳感情論』と『国富論』に対する絶大な自信もうかがえるエピソードでしょう。

📝自信に満ちた『道徳感情論』をのぞいていきましょう!

♡まず、人間がいるところに「共感」が働くものと考えます!

いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえないものにするいくつかの推進力(プリンシパル)が含まれている。(略)哀れみや同情がこの種のもの(アダム・スミス『道徳感情論』(高哲男訳、講談社学術文庫)p30から引用)

これがアダム・スミスの「共感」。他人と自分のつながりを彼は人間の核と扱っていきます。

♡その「共感」を形容したぐっとくるフレーズがこれです!

私は、私の視力であなたの視力を、私の聴力であなたの聴力を、私の分別であなたの分別を、私の怒りであなたの怒りを、私の愛であなたの愛を判断するのである。そのような判断を下すための他の方法などないし、ありうるはずもない。(アダム・スミス『道徳感情論』(高哲男訳、講談社学術文庫)p48から引用)

アダム・スミスが意図したかは分かりませんが、共感を必死に働かせて人と生きていくのが「人間の本性」だと形容している感じがします。

↬そして一見愛におとるこころも、「共感」ゆえだと論じています!

人間が自分の富をひけらかして貧しさを隠すのは、悲哀よりも喜びに対して一途に共感する気質を、人間がもっているからである。(略)観察されること、注目されること、共感、同情および是認をもって特別に留意されること、これが、我々がそこから引き出すといわれる利益のすべてである。(アダム・スミス『道徳感情論』(高哲男訳、講談社学術文庫)p104-105から引用)

アダム・スミスは「道徳感情(モラル・センス)」が、虚栄心のようなものさえ生み出していると論じています。そのプロセスは結構細かく、「喜びへの共感をする人間」→「喜びへの共感を多く受ける人々の存在」→「そんな人になりたいという気持ち」→「そんな人のふりをする虚栄心」の流れで論証します。社会にある人々の感情が「共感」という一つの軸をもっているという話です。

♡アダム・スミスは「共感」の通った社会イメージを打ち立てます!

社会のさまざまな構成員の全体が、快適な愛と心的傾向の絆で束ねられている(アダム・スミス『道徳感情論』(高哲男訳、講談社学術文庫)p169から引用)

こんな風に、社会の核を確認するだけでなく、その健全な「道徳感情」が通用する社会を理想としています! いい社会!

「人間が自然に望むのは、愛されることだけでなく、愛らしく立派であること、すなわち愛の自然で適切な対象であることにある。」(アダム・スミス『道徳感情論』(高哲男訳、講談社学術文庫)p217から引用)

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アダム・スミスは、立派であろうとするこころを、人間の自然な感情とみなしています。この人間は他者とよりそって生き、じしんを実らせる果実のようにも感じられます。ちなみに、彼はこの著書で「自然の女神(ネイチャー)」という言葉をよく使いますが、自然かつ善なるものに人間が導かれているイメージをもっていることが分かります。

♡そして立派になりたいと思うひとは誰もが「公平な観察者」です!

他者がそれを眺める場合と同じように、眺めようと努力する必要がある。この光のなかで眺め、望みどおりにそれを見たら、我々は幸福であり、満足するだろう。(アダム・スミス『道徳感情論』(高哲男訳、講談社学術文庫)p218から引用)

これがアダム・スミスの「公平な観察者」。他人に共感し、共感される人間をめざすとき、他人に共感の得られる立派な人間になろうとする(激情をおさえたり、他人に貢献したりする)。共感的かつ一人一人の価値観に基づく善と幸福のありかを記述しています。

📝市場競争、利己心を肯定した『国富論』も同じ人間愛が通います!

自由貿易は、商人にとってはグレート・ブリテンが現在享受している独占よりも不利でも、全国民にとってはより有利なものである。(アダム・スミス『国富論 (三)』(水田洋監訳、杉山忠平訳、岩波文庫)p219から引用)

アメリカ独立の時期に書かれたこの書物は、不当な独占が悪であるばかりか、外部に拡大しない点で「富」を失うものだと考えています。イギリス人であり、アメリカ独立を支持していることも確認しましょう。

📝じつは有名な「(神の)見えざる手」も救済する手のことです!

彼はただ彼自身の儲けだけを意図しているのである。(略)このばあいにも、他の多くのばあいと同様に、みえない手に導かれて、彼の意図のなかにまったくなかった目的を推進するようになるのである。(アダム・スミス『国富論 (二)』(水田洋監訳、杉山忠平訳、岩波文庫)p303から引用)

これがアダム・スミスの「神の見えざる手」。自由競争が市場原理に調整されて社会全体の利益になることのたとえとして用いられています(⇒「自由放任(レッセ=フェール)」)。また、『道徳感情論』(高哲男訳、講談社学術文庫)ではよりはっきり「富者は、見えない手に導かれて、生活必需品のほぼ等しい分配――大地がその住人のすべてに等分されていた場合に達成したであろうもの――を実現する」(p341)とあり、みなが平等に生活できる「真の幸福」のための再分配であることを述べています。このことを言語学者のノーム・チョムスキーは2014年の来日講演で指摘しています。

後は小ネタを!

イギリスの古典派経済学の祖であるアダム・スミス。彼は親交のあった哲学者ヒュームを「独創的で人当たりの良い」人物と紹介している。その通りだが、人の良さそうな印象ではスミスも負けていないと思う。

アダム・スミスは『国富論』の出版で名声を得た。政府は名誉職就任を打診するが、スミスは父と同じ税関吏の職を希望している。亡父と同じ職業に就くことが、彼にとって大事な名誉だったのかもしれない。

スミスを生む直前に夫を失った彼女は、夫と同じ名前を息子に与え、夫と子どもの2人ぶんの愛情を注いで育てています。だからこそ、スミスはその母を失ったとき、母と妻の両方を同時に失ったようなダメージを受けたことも間違いないでしょう。

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