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運動音痴だった私が世界最高峰のウルトラトレイルを制覇したストーリー9:世界一過酷なサハラマラソンへの挑戦!
それは2008年春、52歳の時でした。偶然と幸運が重なって、世界一過酷なマラソンといわれるサハラマラソンに出場することができました。
この出来事は、単に過酷な大会を経験したというレベルをはるかに超えて、それまでの比較的平凡だった私のランニング人生を変える、大きなインパクトをもたらしたのです。
サハラマラソンとは、時には気温50度をも越え、道もない灼熱のサハラ砂漠を、1週間分の食料や衣服などを入れた重いリュックを背負い、水以外は完全自給自足でおよそ250キロを走り切りる大会。
レースは7日間。毎朝同じ時間に全員がスタート、ゴール後は翌朝のスタート時間まで休憩となるステージレース。7日間の合計タイムで順位が決まります。
1日に走る距離は、平均40キロ前後ですが、10キロにもなる重い荷物を背負い、灼熱の中、しかも足元は足がめり込む砂地。当時フルマラソンでサブ3.5、ウルトラマラソンも何度も完走していた私でも、毎日7-8時間はかかりました。
そして7日間の4日目から5日目は、一昼夜で80キロを走るオーバーナイトステージ。多くのランナーが、途中で仮眠を取り、翌日にゴールする中、私は頑張って休みなく走り続け、その日の深夜、日付が変わるころにゴール。これが私の「日本人1位」獲得を決定的にしました。
私がサハラマラソンを知ったのは、2000年頃のTV放送だったかと思います。アイドルタレントが、サハラマラソンに挑戦、あきらめそうになりながらも完走を果たす。今も続く24時間TVで100キロ走るタレントのノリです。
ランニングをやっている方ならすぐに気づくと思いますが、24時間テレビの100kmランは大してすごいことではなく、演出です。普通、100キロウルトラマラソンの制限時間は14時間。24時間なら、歩き通しても完走できるからです。それはさておき、サハラマラソンは、それよりずっと厳しいのは言うまでもありません。
冒険好きの私は、サハラマラソンに惹きつけられたものの、出場のためには2週間の休暇が必要という点で、当時の勤め先の事情からは、不可能でした。
チャンスが来たのは2007年。南ドイツ駐在になりました。サハラマラソンの集合場所は新幹線(TGV)でわずか2時間のパリ。チャーター便の最終は木曜深夜。私は上司と掛け合い、金曜日と翌週一週間の休みをもらい、木曜日に仕事を終えてからパリに向かい、フランス人と共にチャーター便にのり、サハラ砂漠に入りました。
(つづく)
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