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誰かの願いが叶うころ。①

お花が好きです。

道に咲いているお花もお花屋さんも通るときも

うっとりしてしまいます。

インドやバリの祭壇にはいつも

摘みたてのフレッシュで鮮やかな

匂い立つお花が飾られます。

そんな光景を見るのが大好きなんですが...

個人としてはお花を活けたり

バランスよく飾ったりするセンスが壊滅的にない。

と長らく決めつけていました。

一輪ざしを飾ろうと思ってもまじでどこで切ったらいいかわからない。

ていうかもう怖いw

こんなに切っていいのか!と。

まあ、慣れの問題もあるのだろうけど…。

(ガーデンニング初心者の方も「間引く」という作業に慣れるまでは

躊躇するそうですね。生き物を切るわけだから...)

で、いつかお花の生け方を習ってみたいなーと思っていたけど、

そこまで駆り立てられるほどの興味もなく

個人でトライする事もなく。

おうちの祭壇にはすでにブーケで売られているものばかり買っていました。

死ぬまでに叶えたい「願い事100リスト」にも

”いつもお花のある生活をする
(自分で活けることができるという意味も含めて)”

と書いていました。

そして、時は過ぎ、

今の旦那さんに出会うのですが…。


ある日知り合って間もない頃、

彼は何気なくお花を買ってきてくれました。

どうやらお花が好きらしい。

私はとっても嬉しかったけど、

たいそう立派なユリで僕にはとても扱えないよう。

とひよっていたら、

「活けようか?」と彼が言ってくれました。

むわじすか!と思っておまかせしたら、

なんともまあキレイにしはるやないの!

彼は学生の頃は芸大生で卒業後、

ギャラリーでアルバイトをしていたそう。

その時にお花が活けられているのをずっと見ていて

なんとなく自分でもやっていたらしい。

もちろん、〇〇の花道家の方に習ったとかではないけど、

全く知識のない私からしたら、

こんなふうに高さを出すのか!とか

こんな色を組み合わすのか!とか

"活けられている状態"は知っているけど

"この材料たちがこんなふうになる”

の過程を生で見るのははじめて。

それから、彼もお花のある生活が夢だったらしく

お花を買ってきては活けてくれます。

その様子を見て

「願い事を叶えてもらっているな〜...」としみじみ思いました。

ただノロけたいのでなくて、

私はお花が好きだし、部屋に飾りたいっていう欲求もそうだけど、

「お花を祭壇に飾ってその面倒を見れる生活」

つまり「常にそんな精神状態の自分で暮らす」

という夢を叶えたかったのだなと思った。

でも、それは今その瞬間

1人で「今できること」で完結するのだ。

もちろん、お花を活ける練習を実際にしてもいいし、

習いにいってもいい。

ただ、その「在りたい状態」を自覚していれば、

同じ気持ちでお掃除をしたり、お料理をしたり、早起きしたりできる。

その精神状態であれば「現実の現象」は想像していない形でやってくる。

私の場合はギタリストの彼がギャラリーで働いていて

お花を活けてくれるとは

過去の自分では想像がつかなかった。

彼もこうしてお花のある暮らしをするのが夢だったけど、

あえて男の1人暮らしでしようとしなかったな〜と言っていた。

宇多田ヒカルさまは大尊敬で、歌詞も大大大好きだけど、

「誰かの願いが叶うころ」は

「別の誰かの願いも同時に叶う」世界に生きていきたいな〜。

今日も感謝。