10%の琥珀色とイオンの良心に賭けるという幻想

・酒売り場にて

 イオン(旧ジャスコ)はどこにでもある。

 企業HPによると、子会社等も含めてだが現時点で21,996箇所のイオングループ店舗が日本中には点在している。単純に47で割っても、1つの都道府県当たり468店舗。向かいのホームと路地裏の窓以外には出店していると考えていい。

 そんなイオンの小売店舗にて絶対に存在するのが、同社のプライベートブランド、「トップバリュ」だ。価格帯によっていくつかのランク付けはされているが、イオンの日本における浸透具合と相まって、「誰でも一度は見たことがある」といっても過言ではない一大ブランド(ブランド力があるかどうかはあえて無視する)として存在感を発揮している。

 菓子・パン・飲料・冷凍食品・雑貨・食器・調理器具(食器と調理器具は「HOME COORDY」という別ブランドだが、イオンのPBであることに変わりはない)など、あらゆるイオンの売り場にトップバリュは遍在する。

 無論、酒売り場にもだ。

 そして、酒売り場にある商品棚の短辺部分、通路に面したいわば「ゴールデンゾーン」には店側、ひいてはイオンの売りたい商品が並べられる。

最近、そこを常宿にしているのはトップバリュのウイスキーだ。

・リアル「美味しんぼ」の衝撃


 https://www.topvalu.net/items/detail/4549741660532

 上記商品だ。

 画像の右下部分を見てもらえれば、このウイスキーの持つある種の「独自性」がわかるだろう。

モルト・グレーン 10%以上

 スピリッツ    90%未満

 そう、このウイスキーには720ml中72mlしかモルト・グレーンウイスキーが入っていないのである(「以上」「未満」の表記はあるものの、イオン側からしてみれば利益率を考え1:9の割合で調合しているのは自明である)。

 酒税法上問題はない。役所に言わせればモルト・グレーンウイスキーが10%以上入っていれば残りの9割がスピリッツでもそれは「ウイスキー」だ。

 昔、「美味しんぼ」でまさにこの「10%ウイスキー」について討論するページを見たことがある。「日本では10%モルト・グレーンが入っていればウイスキーと名乗れる。それはどうなんだ」といった論調であった。

 その時は「また雁屋哲が極論を……」と思っていたのだが、事実は創作よりも奇なり。本当に売る店が現れた。

 しかも、いうなれば日本最大の小売業者であるイオンリテールが行っているのである。

 初めてこの安っぽさ極まる酒瓶を見たとき、自分は一瞬思考停止した。

 「本気か?」と。


・対話はいつも一方通行


 数十本、整然と並べられている酒瓶。列に抜けはない。客は皆わかっているのだ――――――「これはヤバい」と。

 当然といえば当然だ。私も手の中の瓶を棚の先頭に戻す。興味本位で手にとってはみたが、あまりにも危険な臭いがしすぎている。

 国内外、大小さまざまの酒造メーカーがしのぎを削り、樽の年数やブレンドの配合比率によってそれこそピンキリのウイスキー業界に、9割スピリッツのウイスキー?「美味しんぼコラボ商品」の文字も見えない。

 しかし、この目立つ位置に数十本。

 「本気」なのだ。私は唾をのんだ。イオンは本気でこれを売る気だ。

 「やらかしたな~……」と心の中で苦笑しつつその場を去ろうとした私の腰辺りから、カサっという音が聞こえた。

 塩レモンビスケットだ。ブランドは眼前のウイスキーと同じトップバリュ(ベストプライス)。

 その瞬間私の胸に去来したのは、今まで様々口にしてきたトップバリュ商品群の記憶。

 アルフォートが高かった時に買ったパチモンのチョコビスケット。

 なぜか表面がわずかにパリパリしているマシュマロ。

 なめらかでなくざらついた感じが逆に新鮮で好きだった、形の不揃いなアーモンドチョコ。

 普通においしい歌舞伎揚げ。

 すべての風体と味、匂い、食感が蘇ってきた後で、私は気付き、放心する。

 記憶ではない。

 トップバリュは私の中にあり、すでに「思い出」に変わっていた。

 

 (――――――「良い」……のか......?)

 (――――――信じて、「良い」……のか……?)


 つい30秒前まではただの薄茶色だったウイスキーの液面が、今は慎み深い琥珀色に見えた。

 そして、その奥底に浮かび上がる、眼鏡を掛けた四角めの顔。

 

 イオンリテール株式会社代表取締役社長、井出武美。

 

 85年入社の後、水産商品開発部長をキャリアの始点として数々の商品開発部長を歴任してきた、イオンリテールのナンバー2。

 この人の上にはもう会長しかいない。

 そんな彼が微笑みかける。微笑みながら、私を見ている。

 屈託のないそのスマイルに気おされながらも、私は彼の目をきっと睨みつけた。

 私の脳内が作り上げた幻想であるという事。一度も会った事が無い処か声も聞いた事が無い事。それらすべての要素を味方につけ、私は彼の目を見据えた。

「いかがですか」

 優しい声。この声もあくまで想像だ。だが想像であるがゆえに、私の心にその声色は容易く染み渡った。

「……何が、ウイスキーだ」

 精一杯の虚勢。

「ウイスキーは10%しかないじゃないか。その10%もどこのものとも分らない。よくこんなものを売り出そうと思ったな。商品開発で飲みすぎたんじゃないのか?え?」

「ええ、でもこれは『ウイスキー』。ほかの何物でもない」

 私の中の井出は笑みを崩さない。あくまでも恵比須顔だ。

「ふざけるな!倫理的にどうなんだ、こんな配合比率!いくらトップバリュだからって、いくら500円ちょっとだからって、客を舐めてる!」

「……『トップバリュだから』?」

 しまった、と思った。買い物かごの中で、塩レモンビスケットが動いた気がした。

 さっき、ついさっき私は思い出にしたばかりじゃないか。私の生活と共にあったトップバリュ菓子の数々を。はじめは期待していなくとも、いつしか4日に一回は歌舞伎揚げを買っている。安さから始まった関係でも、今、確かに私とトップバリュの間には安さ以外の何かがある。

 トップバリュ「だから」なんて、もう私には言えないのだ。

 絡め捕られた。逃れられない。ウイスキーの中に井出を見出した時点で、私の結末は決まっていたのだ。

 詰まされた事への忸怩たる思いと共に、しかし、安堵が川底の砂金のように顔を覗かせていることもまた私は自覚していた。動けないという事は、安定しているという事でもある。もしかしたら、私は最初から井出にこうして貰いたかったのかも知れない。トップバリュに組み敷かれたかったのかも。


 ……だが。


 ……だが、それでも。
 それでも私は自由意志を持ついち消費者だ。

「……信じて、良いんだな……⁉」

 最後の最後まで、疑うことは捨てない。

 それしか、今の私には残っていないから。

 それだけが私のできる「選択」だから。

 井出は表情を崩さない。

 

 言ってほしい。「おすすめですよ」、「美味しいですよ」。「俺を信じろ」なんて、力強い100点の言葉なんかじゃなくたっていい。80点、いや70点の、トップバリュみたいな言葉でいい。

 でも、井出はほんの少し悲しそうな陰りを恵比須顔の眉に混ぜ、たった一言、言の葉を置いた。


「WAONカード、お持ちですか。」

 

 何時だってそうだ。何時だってイオンはそればっかり聞いてくる。私たちの間にはそれ以外に何もない。売買契約と、WAONカードの受け渡し以外には何もない。後に残るのは2ℓのペットボトルが入ると重みで破ける無料のレジ袋と、それより薄くて脆い記憶だけ。

 私が馬鹿だったのだ。最後の後押しを井出にしてもらおうだなんて。責任までおっかぶせようとするなんて。井出はそんなことお見通しだったんだ。

 だって代表取締役だもの。21,996店舗の上に立つ存在だもの。

 「でも」、と、私はうつむき加減だった顔を上げる。

 井出は何もしてくれなかったわけじゃない。私をレジの前まで、WAONカードを出す所まで持ってきてくれた。

 立場もあるだろう、言えないこと、出来ないこともあるだろう。

 そんな中で井出にできる最大限の顧客満足、それがあの一言だったんだ。

 井出の、優しさだったんだ。


 右手のかごに酒瓶を放り込み、私は悪戯っぽく琥珀色の中の井出に人差し指を突きつける。


 「不味かったら、流しに捨てるからねっ!」


 井出は何も言わない。でも私はもう気にならなかった。

 井出の優しさを知っていたから。そして、その優しさが私を立たせてくれたことも、もう井出が居なくても生きていけることを今、知ったから。

 家のキッチンでグラスに注がれた琥珀色の液体を見つめ、私は微笑む。

 もう、迷わない。



 

 


 迷わずウイスキーは流しに捨てた。


 

 




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