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Framed is between objectivity and subjectivity vol.2

額装は客観性と主観性の間で

vol.2 作品と最初に向き合う瞬間

 「作品を額に入れたい」
 まずはじめに、額を決めようとするとき、作品と対面するまでの視点のお話です。
 私の場合ですが、作品から受け取る第一印象は大切。だからこそ、その一歩目を
「少し距離をはなして主体(作品)をみる感覚」を片手に持ち、額へ入れる作品と向かい合います。
 どういうことかというと、作品が今から感覚をかき立てる想像力、集中力、この時間は限られている。それゆえ先入観や思い込み、つまり脳の主観の入力を避けたいためです。

美術館のエピソードに置き換えて話をします。
 美術館へ訪れます。対面するのは、目的の作品があったりとか
「初めまして」「ひさしぶり」とか色々ですね。
 あの瞬間、私はアートの世界観にじっくり向き合いこれから浸かるぞ、という時には先ず
 さぁーっと早足に展示室を周回します。
 途中でわぁ、と気になっても足はとめないで散歩のように。気になる作品も首をのこしつつ
「またあとでね。」と心の中で言い、次のページへと歩をすすみます。はやく鑑賞したい気持ちが膨らんでうずうずしてきたら、後半のほうはもう早足で。
 そんなことして順路を逆流する人は周りにあまり見かけていません。美術館では大半感覚を開放して気ままのペースにゆったり見るでしょう。なので、振り出しへ戻るまではなるべく気配を消しニンジャみたいに移ります。
 誰と行っても単独で行っても、最近はそういう方法で潜っていきます。

 この行動儀式は他に、温泉や試験のときと少し似ているかもしれないです。
 かけ湯したり洗浄してからいよいよ湯舟へ。
「開始。」の合図で名前を記入したらまず問題の全体を見てから解答をはじめる。このときって、はじめの問いから順に解きますか?私は軽めの好きな設問があればそれから解いてみてはじめへ戻ったりします。
 ある意味では運動前の体慣らしも同類かもしれません。

 作品と対峙しながら額装の案を出し決めていくには、それら行動と近い感覚のことをしているんです。

 美術館では空間を歩きながら以下のことを体感しています。
 建物の雰囲気。どれほどの数の、大きさの、絵や立体、人々の流れが、工夫をされた配置によりどういう経緯で一堂にこの空間で私と共にいま過ごしているのか。
 壁の色、照明の暗さ、人々の視線や思考。
 いま時刻は何時かな。
 どんな設営にしたのか、額は誰が用意してあるいはオリジナルか
 キャプションの注へは、すべて目を通したくて
 作品の年代、技法、そして所蔵主について。
 足早なときと、ゆっくりなときと感じはことなること。
 それらの中でどれが心地よい、気持ち良いと
うまく私の心まで届いたのか。

 なるべく消耗しないように心がけて、美術展なら10分程度でかけ湯みたいな行いをするのですね。
 まず焦点を景観的に捉えその中で漠然とひっかかった作品が有ればちょっと立ち寄りつつ、入り口の「はじめに」というキャプションへ戻ります。それからは、一周、体力があれば二周。
 この話を書いてて思い出したのですが、今の私の仕事に就く前の年に、美術館でいちばん長く過ごしたことがありました。
 開館から閉館の時間まで。話は長くなるのでそれは後の機に綴ってみたいです。
 記憶の糸玉を一本に解いて辿ったら、大切な体験の記憶の細部を思い出すことが出来ました。
 ふいに幸福な気持ちが蘇りました。

 「これから額におさめられて鑑賞される作品が
空間に掛けられ、長い時間どんなふうに人に見つめられ通り過ぎられるのかな」

 そんなふうに、めいっぱい想像を深呼吸しながら裸の姿をした作品へと近づいていきます。
 作品からはとりだせない情報もわかるなら興味をもって調べます。作品のタイトル、制作の思いだったり、絵の存在の背景や歴史文化。

「作品をより鑑賞しやすく同時に引きたて、飾れて保存できる方法を、記憶から取り出し提案する、あててみる」

 それが私の考えてたどり着いた額装というものです。


 自分の言葉ではかなり忠実に綴ったつもりですが伝わっているでしょうか。

 具体的な描写を取り上げると
 私は目を開いて見るだけじゃなくて、殆ど瞑ってるねっていう程細ーくして、額絵を眺めたりもします。

 ニンジャとかホソ目とか、けっこう挙動が‥変わってますよね。十代の頃から学校やアルバイトでは、変わってると人に言われてます。今の環境ではまったく言われなくなりました。!

 ここまで読んでくださる方
額装に関して気になってるテーマがもしあれば
メッセージをください。
 お読みいただき、ほんとにありがとうございました。

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