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煩わしさの大半

 夜勤休憩中。市販のレトルトカレーを水で5倍に薄めたようなカレーを食べた。こんなカレーでも社員食堂の4つあるメニューの中で最善の選択である。強いて良いところをあげるなれば3掬いに1回はスプーンの上に鶏肉が乗っているということ。そしてその鶏肉が劣悪すぎてパサついた繊維が朝まで奥歯の隙間にしがみつくということが悪いところだろうか。肉の繊維があまりにもしぶといのでプラマイ若干マイである。などと短期バイト最終日にこれまで散々食べてきたカレーの総評をしてみる。
 もはや食後の習慣となっている舌先に神経を集中させての歯間肉繊維除去に努めつつ、なにげなくスマートフォンの画面に目をやると圏外と表示されている。3ヶ月ほど前に通信会社を変えてからこんなことは一度もなかったのにと、画面を操作し原因を追求すると、どうやらアップデートを怠っていたことが原因のようである。こんな便利な板を使わせていただいている上にさまざまな機能が改善されるであろうシステムの更新を怠っていたのは悪かったかもしれないが、予告もなしに圏外にするなんてひどいことするじゃないか。ぼやいていても勝手にアップデートされるわけではないので、仕方ないが容量を確保するために写真やアプリを消してアップデートするに至った。5時間後の終業までには完了しているはずである。

 終業して建物を出る。親の仇の次くらいには憎い労働の場、名残惜しいことなど何もない。振り返らず帰りのバスが止まっている場所へ歩を進める。耳からの癒しを求めて音楽でも聴こうとアップデートが完了しているはずのスマートフォンをポケットから取り出すと、季節外れに食べるジャリジャリとした舌触りの水っぽいリンゴの次に憎いリンゴが目に入る。僕は「でた、無限リンゴじゃん」と思った。俗にいうリンゴループである。iPhoneを使わないイケてる少数派のための補足であるが、リンゴループとは、iPhoneに外的にしろ内的にしろ何かしらの問題があった際に再起動を繰り返す不具合のことである。通常は製造元のApple社のロゴが暗い画面に映され2、3秒もすれば見慣れたロック画面に変わるのだが、リンゴループに陥るとリンゴが映されては真っ黒の画面に戻り、またリンゴが表示され、それが電池が尽きるまで延々と続くのだ。
 家へ帰宅するまでに煩わしいと思うことが数回あった。音楽を聴こうと思ったとき、2パターンある電車乗り換えをどちらにするか迷ったとき、コンビニでの会計時、サウナの営業時間を調べるとき、メモを取ろうと思ったときまで。僕は一般的に見てそこまでデジタルへの依存が強い方ではないと思うがそれでもやはりこの小さな薄い板は生活に密に繋がりすぎているようであった。
 帰宅して、玄関からまっすぐに薄型で折り畳み式の便利板のもとへ向かう。無限リンゴの解決策を模索し、あらゆる手段を尽くしたがついには叶わず、諦めた。
 こういう場合、新たなスマートフォンを購入、バックアップからデータを復元した薄便利板には、音楽も友達も金も情報も世界までもがあり、また何も煩わしいことのない元の日常へ戻りハッピーエンドとなるのが常である。しかし今回は結構手を尽くしても良い具合にいかなかったために、鶏冠にきていた。

“デジタルデトックス”などと仰々しいことは言わないし、悲しいかな、この便利板は現代社会をサバイブするにあたっては非常に重要なものというのも事実である。しかし極論ではあるが生きることに焦点を当てるのであれば、スマートフォンがなくても生きていくことは可能であるし、持っているだけでも忙しなさを増幅させられている気もするし、そしてなにより“ないと不便”という感覚に便利さを上回る煩わしさを感じたので、僕は新たなスマートフォンの購入をボイコットする。

 こんなバカ板なんも便利ではない。釘が打てるわけでも交通手段になるわけでも美味いわけでもない。充電やシステムの更新を怠ってはいけないという追われてるという精神面の負担など害悪でしかない。喫煙がストレスの解消になるという意見に対する反証としてそもそも喫煙で解消できるストレスはニコチン切れから発生しているので最初から吸わない方が良い、と見たか聞いたかしたことがあり、もし対面で言われたら僕は事実と自分の正義の間で発狂してしまうだろうが、スマートフォンにも同じことがいえるだろうと思うし、それに関して異論はない。食物を味わうこともエロいことも発音することも果てには歯間にしぶとく居座る肉の繊維を除去することまでできる舌の方がよっぽど人生の役に立っている。五感、生身こそがリアルなのだ。

 無職の時期でもあるし、便利板から離れるのもたまにはいいだろう。と血走った目で薄型折り畳み式の便利板を見つめ、文字盤を叩くのであった。

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