見出し画像

ルワンダに渡ったスポーツチャンバラ7(別れと再会)

2013年、本業の国際協力の関係で、3ヶ月間、4ヶ月間と2回に分けてルワンダに行きました。2回目のルワンダ滞在には、2個の面と4本の小太刀を携えて、また、ベンジャミンが率いるカンフーチームとの出会いがあり、ルワンダにおけるスポーツチャンバラの稽古が始まりました。4ヶ月は長いようで短くもあり、以前のノートで述べたように色々な生徒達との出会いがあり、色々な人生を見ながら帰国の日は瞬く間に訪れました。帰国日には別れを惜しんで、ベンジャミンをはじめとする生徒達が空港まで見送りに来てくれました。もう、20年以上も国際協力の仕事をしている中で、恥ずかしながら、こんな見送りを経験したのは初めてでした。別れ際で、ベンジャミンはルワンダのスポチャンを続けてゆくので、もっと用具を送って欲しいと言いました。私は送ることを約束して、空港の中へと入って行きました。

帰国すると、まず、業務完了時の報告書を急いで書き上げ、一息ついたところで、面と小太刀を通販で入手し、ルワンダへ送りました。もう、正確な数は覚えていないのですが、面6個、小太刀10本程度だったと思います。数週間後に荷物を受け取った知らせのメールが来ました。そして、次の年(2014年)には第1回目のスポーツチャンバラ大会を企画しているので、是非、来て欲しいとの連絡も受け取りました。そして、実際、2014年7月にルワンダでスポーツチャンバラの試合が開催され、審判と運営の指導のために1週間ほど、自費でルワンダに渡りました。

半年ぶりのキガリ国際空港に到着すると、ベンジャミンをはじめとする主だった面々が迎えに来てくれました。そして次の日からは、朝夕の練習と大会準備の打ち合わせで大忙しでした。一人でホテルにいる時間には、昼間からひたすらゴロゴロして体力を温存することに努めました。ある時、ふと、ベンジャミンが「スポチャンの用具を送って欲しいと言ったものの、本当に送られてくるとは思っていなかった」と本音を漏らしていました。そこで、私も「大会を企画していると聞いたものの、本当に実施されるとは思わなかった」と言いました。まあ、私もアフリカでの生活時間が長いので、あまり、相手の言うことを本気にせず、もし、そうなればラッキーぐらいのアフリカ気質で対応していたことを自覚させられました。

大会は思いの外、上手く運営されました。まだ、参加選手の数が少なく、全部で十数名しかいなかったことが、その大きな原因だったと思います。また、選手の数の割には観客が多くいたことに驚きました。おそらく、キガリの中心地から離れた田舎を会場にしたことがその原因と考えられます。あまり、娯楽がないところなので、新しいスポーツの大会というのは、結構なイベントだったのでしょう。また、そんな田舎にも関わらず、観戦者の皆さんのマナーがとても良いので驚きました。とかく、格闘技や武道の試合を観戦中には、おかしな野次を飛ばしたり、アクシデントが起こったところで大笑いするなど、一部、見苦しい観戦者がいるものです。そんなことを予想していただけに、良い技が決まると拍手が起こり、試合終了時に戦った選手達を讃える拍手を忘れないなど、観戦者の優れたマナーに感動を覚えたほどです。こんな風に、予想外に整然と進んだ試合でしたが、全てが終わり閉会式が終わると、一つのイベントをやり遂げたという興奮が選手や運営者に伝播して、みんなで踊り始めました。私もその中に混ざって踊りました。最後は、アフリカちっくな締めくくりとなったところも何だかんだか憎めず、ルワンダのスポチャンとは今後も関わりを続けようと決心しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?