哲学とスカトロと緊縮政策
哲学は一定の状態を指し示す”既知”となる。
”既知”は哲学を支えるベースとなる。
既知は”未知”を指し示す道しるべ。
”未知”を既知の哲学を用いて証明し、既知に変えていく。
この過程を知らないと、哲学が突拍子もない変態行動に見える事がある。
スカトロが良い例だろう。食糞は哲学行動の下に成り立っている。
対象が出した排泄物にも愛情が湧く
それを食べ社会的理念とは著しく間違った行為(背徳感を性的欲求に)
対象と同一化したい欲求
排泄物というものが宇宙サイクルを基に循環して対象と自分が宇宙上に居ることを理解できる。
このようにスカトロは哲学が生み出した既知をベースに成り立っている。多くの人間はこれを理解できずに「変態」という言葉で彼らを排除する。
現日本政府も既知を積み重ねた結果、「プライマリーバランス黒字化・財政健全化」などという国民を見殺しにするセルフ経済制裁を繰り返す変態行動をとっている。
既知のベースが明らかに間違っていると、とんでもない結論に辿り着く。
途中で誰かが「やっぱウンコは汚いからやめようよ」と止めてあげる必要がある。
カニチャーハンはカニカマを入れると美味しくなる