心にギャルを飼う

前職は接客業だった。

鬱屈とした青春時代を過ごしてしまったタイプの人間なので、気分良く会話をスッススッス交わせるような居心地の良い人間関係に後ろ髪を引かれながら退職した。

接客業も色々だと思うが、私の前職のように、店頭に立つ従業員たるもの、単価の安からぬものを販売するのがミッション的な職場では、客とどういう会話をするかというのが最重要スキルであり、同僚間の人間関係の良し悪しなんていうのは前菜かデザートみたいなもので、間違っても胃もたれをもたらしてくるメインディッシュのようなものであるはずもなく、実際に責任感とか緊張感とか賃金をもたらしてくるのは、あくまでお客様対応、つまりは、まぁまぁな責任感と、加えて演技力が必要な行為である。

当然のことだが鼻毛や耳毛がビンビンに出ている状態で売り場に立つなどもってのほか、寝癖ボヨンボヨンもNGだし、不快感を与えないビジュアルと朝シャンの習慣を最低限備えて、出勤してからは卑屈すぎたり横柄すぎたりしない所作を意識し、声のトーンや言葉遣いまでを調整しつつ、説得力のある話をする。

それだけのこといえばそれだけのことであるであるが、自己管理能力に欠けるぐうたら界隈の人間にしてみたら、それを当たり前とされても困る。

私の接客業の経験は浅く、前職以前の接客業の経験は学生時代にオペレーションががっちりとマニュアル化されていた某世界チェーンの日本発衣料品店でバイトのみ、つまり当時も今も全くもってプロフェッショナルではないので、あーでもないこーでもない、と試行錯誤を繰り返していたある日のこと。

普段から接客対応するごとに一組一組のお客様に対して、いちいち一喜一憂する私をみて思うことがあったらしい先輩が、内心ぐったりしながらまた一組接客を終え、そのお客様の背中を見送った私の背後から忍び寄ってきてささやいた。

「ちょっと、心のギャルが出てるよ、そういうのって態度とかじゃなくてバイブスだから気をつけて」

私はそれまで、バイブスレベルでのフィードバックというのを受けたことがないので、あんまりピンとこなかったのだが、ギャルという単語には思い当たる節があった。

その当時、ただでさえ普段からチャーミングに愛想を振りまいたりするのが得意ではない上にセロトニン受容体の働きの悪すぎる自分を奮い立たせる手段の一つとして、私はただひたすらにYoutuberのけみおくんの動画を見漁っていたのである。

情報は栄養だ。

私が190cmなくても、Youtubeチャンネルで200万人近い登録者がいなくても、20歳でLAに移住した経験がなくても、私の脳には、音声と映像という形でけみおくんという存在から日々刺激を受けていた。

それは糖分取ったらめっちゃハッピーな気分になるとか、ニンニク食べ過ぎたら口臭くなるとか、焼肉食べたら次の日めっちゃ元気になるとか、そういう作用と同じで、私の脳に確実にギャルバイブスを日々注入していてくれたのだと思う。

Youtube動画を積極的に摂取しまくった私の背中は、時に口からでる言葉より雄弁に

「今@ぉ客、ナω、ぉ買レヽ上レナ″ιτ<れナょカゝっナニカゝら、ン欠カゞωレよ″зぅ」

とか

「ぇ余Φカゝら商品レニ⊃レヽτー⊂″ぅ言兌日月ιτレヽレヽカゝゎカゝらナょ<ナょっτ、最糸冬白勺レニ豆頁⊇ωカゞらカゞっちゃっτマ゙/″τ″無王里」

っていう空気を、雰囲気を、感情を、要はバイブスを放っていたのだと思う。

バイブスは目に見えない。だからこそ、バイブスは実際の肉体的な年齢や性別を越えたものを表現していても、注意しないと、なかなか気がつくことができないのだ。

でも、思い返せば、変わったのはバイブスだけではなかったと自覚している。

勤務開始直後は「御用の際はお声をおかけください」程度のかしこまった態度でしなくてもいいディスプレイを整理して所在なさげに売り場で無難にウロウロするのが限界だった私が、徐々に自分からお客様に最近どうですか〜?と馴れ馴れしく近づいていき天気の話をしたり、近場である良いお店の話をしたり、お客様のお召し物をとりあえず褒めるという技を覚え(自分は衣料品を売っているわけでもないのに!)、最終的に気が大きくなってアホほど目立つクソ高いピアスを買ってつけて出勤して「私それと同じの持ってる!!」っていうお客さんにも遭遇することもあった。

売る気があるんだかないんだかわからないけど、お客さんを話で楽しませようという心意気が生まれたのは、確実にけみおくんの影響である。

接客の職を離れた今、ただひたすらに在宅ワーカーとして家に篭りきりの私は、たまに接客される側の人間として買い物などをしたりするが、その際に客としての私は無理難題を押し付けない、口数の少ないアラサーの男性客の域を出ない。

しかしながら、心の片隅でちょっとだけ、ギャルバイブスで口から文化祭な接客をしてくれて、売っても売らなくてもいいような態度で喋り倒してくる心にギャルを飼ってる対応の店員さんとの邂逅への期待を、日々胸に抱えている私である。

必ずやコーヒー代にさせていただきます。よしなによしなに。