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足すより、引くこと。

昨今、自分の部屋をふとみて思うことがある。
いつの間に、こんなに部屋が物で溢れてるんだろうかと…。

自分の性格上、興味も趣味も尽きないタイプです。だからこそ、ふと振り返ると曖昧な理由で所持しているものの何と多いことかと。これは必要なものだと言い聞かせてるか、勝手に思い込んでいることさえあるかもしれない。

もう一点は、これらのすべては自分にとって必要不可欠な物なのかどうか。いや、そりゃまあすべては突き詰めると自己満足でしかないんだけどね。自慢にもならんよーなことだろうし。

当たり前なのかもしれないけれど、なかなか出来ないんですよねー。いわゆる断捨離という手放す行為。

意識そのものの未練がましさというか、離して後悔したくないという囚われたような、ある種の願望ですよ。むしろ「手放したら後悔するよ絶対に」と思い込んでいる。

得ればこそ失っていくけど、失うことで得るものもある。

こういうことを考えていると、思い切った勇気と覚悟が時折超重要なんだろうなあ。そして結果が中途半端なのは、思い切らなかった場合のツケとしてグズった結果しか残らないんじゃなかろうか。メリハリをつける、オンオフを切り替える、なかなかどうして難しいもんだなあ。

物には需要と供給なんてあるけれど、やっぱり多めを見越してるから、なんでもかんでも供給過多なんじゃなかろうか。ないものねだりで溢れ返ってやしないだろうか。もしも見方を変化できるとすれば、自分だけだろうし。今の環境・状況でも実はまるで悪くないなと納得してみることかもしれない。

そんなにお金ってなければいけないのか、それは誰のためなのか、もっといえば自己水準の見積もりを今一度精査してはどうだろうか。これは自分に対して言っておりますけれども。

俯瞰してみると、いまの自分だから言えることもあるけど、いまにも満足・いまにも充実・いまにも幸福といった、小さかろうとよい出来事にひたすら感謝して噛みしめないと、なにか見失うよーな気がしてる。

あらゆるもの手にしていれば、本当に幸せなのかなあ。出来もしない大口叩いて大風呂敷見せびらかせても、畳めないまま未完成とか尻すぼみ、なんてことにならないかなあ。失礼、これはまた違う物に対しての意見でした。

はい、まあ、あれです。足すよりも引くことです。そのひとつとして、わたしは現在禁欲中の身の上です。ぼんのうぼんのう。以上で。

ではまた〜。

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