"Yes" means Nothing

 衆議院を全会一致で通過した刑法改正案は、「"Yes" means "Yes"」を実現するものではなく、「"Yes" means nothing」を目指すものですね。

 相手方が改正176条1項各号のいずれかに該当する場合、そのことを知って相手方と性的関係を結んだ男性は、その相手方から「Yes」との合図をもらっていたとしても、不同意わいせつ罪、不同意性交罪を犯したとして、処罰されることになります。一応、「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態…にあることに乗じ」云々という限定は付されてはいますが、改正176条1項各号のいずれかに該当する場合、「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」にあることが強く推定され、これを覆すことは困難だと思います。
 つまり、この刑法改正は、国家が刑法を用いて「性的関係を結んではいけない相手」を設定することを目的としたものということができます。性交同意年齢の引き上げも同様です。これは、性犯罪に関する考え方を根本から覆すものです。刑法典が定められた当時、強姦罪等は社会的法益に関する罪と位置づけられてきましたが、戦後人権思想の隆興とともに、これを性的自己決定権という個人的法益に関する罪と位置づけられるのが一般的になってきました。ところが、今度の刑法改正で、性犯罪は、「社会的に望ましくない性的関係の排除」を目指すものとなるわけで、再び「社会的法益に関する罪」に戻ることになります。
 では、刑法改正推進派が排除しようとしている「 社会的に望ましくない性的関係」とは何なのでしょうか。推進派の議論を見ている限り「格差のある男女間の性的関係」こそが「社会的に望ましくない」ものと捉えられているように思われます。
 そのことにより実現される社会は、強者と強者とが結ばれ、弱者が排除され、世帯間格差が拡大する社会なんだろうなと思います。そういう意味では、今回の刑法改正は、日本がとことん保守化したことの表れなのだろうと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?