創作:関口(1)

大勢が「もう行くぞ」と言い立てているにもかかわらず、深い穴に入ったまま、関口は一時間ものあいだ一向に出てこない。
「関口!おいもう行くぞ!」
「犬がいたら欲しいんだ。小脇に挟んで温もりを得たいもんだから」
口を開いたかと思うと、先ほどからこれしか言わない。みんな困り果てている。それを分かってなおも言い続けるのだから悪質なのだ。
「そこにいる連中に聞いてみてくれないか」
連中といっても今この場所にいる人たちはみんな見ず知らずの通りすがりだ。多くの人が利用する、本来であればこのようにも深く黒い穴などあってはならない場所。
単純な言い方をすれば、ここはイオンモールの駐車場だ。
消費活動をこれからするぞという人もいれば、もう終わったよという人たちもいて、両者が同時に存在している場所。この二元論でもって秩序が保たれている公共の空間において、どちらの立場に身を置くでもなく、純粋にただ「穴にいる人」として存在しているのが良いことな訳がない。
「関口!みんな怖がってるよ!お前、出てこいよ!」
「犬は見つかったのか?」
「関口!どうしてそうなったんだよ!」
実際、関口がどうしてこのような状態になったのか。心理的動機というより、そもそも原理が分からない。気づいたら目の前に穴があった。それも正しくはないだろう。本当を言えば、関口の家の庭で洗車していてイオンモールに行くことを思い立ったのと同時に、関口は穴の中にいて、僕はそれを見下ろし、周囲には多くの人が集まっていた。全てが同時に起こったから今パニックなのだ。関口はといえば、さほど慌ててもいないらしい。それよりも小脇に挟むための犬をなぜか所望している。
「関口!」
深く黒い穴の中へ呼びかける。もう日が暮れ始めたから関口の姿は駐車場のライトに照らされてやっと認識できるほどだ。
「そんなに犬が欲しいんなら買ってきてやるよ!」
返事がない。眠ったのだろうか。周囲の人たちは見物に飽きて帰ろうしている者もいる。
「関口!」
置き忘れられたかのような縄梯子が穴の縁に垂らされている。見物人の一人が見かねて買ってきてくれたのに関口が無視したのだ。
「関口!!」
見物人たちの苛立ちを感じ取り、呼びかける声に怒りの感情を誇張して織り交ぜてみる。彼らの募りつつある憤懣に同調するように振る舞うのは、その負の感情が関口にとどまらず、むしろ関口を貫通するほどの勢いでこちらに押し寄せてこないための予防、あたかも「俺もコイツにムカついてますから貴方がたと同じですよ」という態度を示して群衆の側についていることを、せめて格好だけでもアピールする意味合いがある。
「犬って、おまえ、犬種は!!」
犬種を尋ねるのに適切な剣幕というものがあるが、今は無視。
すると、これには返答があった。
「チワワ、それかティーカッププードル」
「パグしかいなかったら」
「パグでいい」
いいんだ、と思ったが。まあ、特にこだわりはないということだろう。
「じゃあ、おれペットショップ見てくっから!」
そう言って走り出した直後、背後からほとんど雄叫びといっていい声が聞こえ、駐車場一帯にこだました。
「できるだけ大ぶりの小型犬がいい!小脇に抱えたとき十分に存在感のあるやつであればなんでもいい!!温もりを得たいもんだから!!!」

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