日記(2022/06/08)

「リミナルスペース座談会」読む。面白かった。(https://note.com/kansyo_maso/n/nc11d86b8e2af)
見たことも行ったこともない場所にノスタルジーを感じるという心の動きが何なのか、もっと考えていきたい。久しぶりに64やりたくなった。『007/ゴールデンアイ』。帰省したときピエリ守山行こうかな。ここで「帰省するとき」ではなく「したとき」と未来の予定を過去に起こったことのように言ってしまう、このことがもうすでに何かだ。

『失われた時を求めて』岩波7巻読み終わる。プルーストの主人公がゲルマント家の貴族に感じる幻滅と憧憬の揺れ動きは、憧れの映画を見たときに感じる自分の心の動き方と驚くほど似ている。程度の差こそあれ第一に幻滅があるが「いやしかし」といった調子でしばらく経つと「やっぱり傑作…」と思いさえする。幻滅と称賛を代わる代わる塗り重ねていく。油絵のように。それらがもはや判別できないくらいに重ね合わさった一つの印象としてしか語れないところがある。

プルースト全集の『ジャン・サントゥイユ』の巻を買った。あと日本の古本屋でヴィスコンティの『シナリオ 失われた時を求めて』を。このまえ漫画の全巻セット売って棚がごそっと空いたのにまた速攻で埋まりそう。

しかしピエリ守山はここ最近はまた盛り返しつつあると聞いたような。だとしたら活気のあるピエリを見ることで廃墟だった頃のノスタルジーが歓喜されるという逆説的な事態は、起こり得るんだろうか。

(今日は終わり)

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