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マジョリカブルーの彼方に

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どうしようもなく弱くて自信のない自分をどうやって愛していくか、謎の体調不良の中で瀕死になりながらも日々考えて綴ったエッセイ。
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SHINE! (女性はなぜ輝かなければならないの?)

女性はなぜ輝かなければならないのだろう。 元始、女性は太陽であったから? 男性はもう十分に輝いているから? 私にはそうは思えない。申し訳ないけど、男性にも輝きなんてない。 今まで一生懸命働いてきたのに「それでもお前には輝きが足りない」と言われてムチを打たれているような気がして、ニュースを見るたびに心がざわつく。 元気をなくした植物に肥料をただやみくもに与え続けても、元気にはならない。土壌の悪さを根本的に改良しなければならないのに、えらいおじさんたちはそこから目をそらそうとし

下ネタ戦記

世の中が無常であるということは12世紀からもうアホみたいにわかりきった事実で、じゃあその無常の中にどんな柱を立てて生きていきたいかを考えたとき、「どうせ流れていくのならおもしろい人生を歩みたい」と15歳の私は願った。 でも大概の男子は「女の子はおもしろくなくていい」と口を揃えて言う。 下ネタなんてもってのほかで、心の底に欲望を隠し持っていることを悟られまいとカモフラージュしていいにおいを発している、かわいい女の子たちにアリのように群がっていく。 なんで女子はおもしろく生き

パンツまる見え

書くことも仕事のうちという、線引きのあいまいな仕事をしていたことがある。ある日、女性の先輩と競合してPR文を書くことになった。 上司に提出する際に彼女は「スカートのすそをめくって、パンツが見えないギリギリに書きました」と妙なひとことを付け加えた。 京女である彼女はおそらく横にいた私に向かって「パンツ丸見えの文章」と遠巻きにディスり、宣戦布告してきた。「この人は私の存在がおもしろくないんだな」とその一言から十分に感じ取れた。仲が良かった男友達に「あの時おまえのことが好きだった

無敵のマリオ

織る羽がなくなった鶴だった私を見かねて、今までに何人もの人がアドバイスをくれたけど、弱っている私にはそれが全く頭に入らず、ただ流れていった。気に留めようとしても記憶できるメモリがなくて、流れていってしまう。友人にはあきれられて、避けられる始末だった。 弱い自分を肯定して受け入れて初めて、その言葉は1杯目のビールみたいに全身にしみわたる。生きづらい人や繊細すぎる人向けの本を読みあさってはいたけど、それは対症療法であって読んでも読んでも流れて実にならなかった。自分がなぜこうなっ

明日、もしかしたら

二十代の時に結婚してもいいくらい好きな人がいた。実家住まいだったため二人して親に嘘をつきまくって軽井沢を旅行し、塩沢湖でボートから小島に移ろうとした瞬間に、私はバランスを崩してマンガみたいに思いっきり湖に落ちた。 彼は怒りもあきれもせずに、「おまえ、やっぱりおもしろいヤツだなぁ」と爆笑しながら、ずぶぬれの私を背負って近くの温泉に連れて行ってくれた。その時にこの人となら何でも笑って乗り越えて行けるかもしれないと、自分の運動神経の悪さとマヌケさを省みもせずに自分に都合よく漠然と

家に帰りたくないキミへ

レベル15になりたてのころに、私はラスボスと直接対決に及んだ。 やくそうもどくけしそうも用意していなかったし、ぬののふくくらいの装備しかない。仲間はいないし、何度も何度も死んだけど逃げることはなかったし、逃げられなかった。末っ子らしく「誰かが代わりに倒してくれないかなぁ」と思いながらも、結局自分が倒しに行くしかなかった。 レベル45の現在の結論から言うと、悲しいかな人は結局変わることはない。人は自分に都合よく記憶を勝手に書き換えていく。でも、自分はそうはならないと今でも激

自分の弱さを肯定する作業

私は弱い。あれだけ戦って強くなってきたはずなのに、 グレーを抜け出したのに、やっぱり弱い。 柳のようなたおやかさが自分にもあると信じてはいるけど、思い出すことによって体力も頭も使った。 いざ書き上げてしまうと果たしてこの文章を世に送り出していいのかという葛藤も生まれている。これがフィクションならどんなに楽かと何度も思った。  ラスボスとの対峙は想像よりも長くなってしまったし、次から次へとよく書けるなと思ったけど止められなかった。でもこれからの自分にとって避けて通ることが

ラスボス

姉は結婚早々に「一生仕事をしていきたいから」という理由で当時流行していたDINKS(死語)という生き方を選択して、子どもを持たなかった。兄は父のようにはなりたくないとあえて子どもを作らなかった。二人とも配偶者はひとりっ子で、私が結婚しなければこれ以上家族は増えることなく、この先甥にも姪にも会うことはできない。 ドライな上の二人を見て育った私は二十代前半で卵巣に腫瘍ができて開腹手術をしている。そして「そろそろ限界だよ」と残り少ない卵子がささやきかけている。 姉兄と子どもを持

普通の人の「普通」と自分の「普通」

どうやら私の普通は、普通の人が言う「普通」とは違うものらしいということは、小学生の時からうっすらわかっていて、おぼろげな記憶のなかに小学校に入学直後に自分では普通だと思ったふるまいで先生に怒られて、「こんなくだらないところにあと6年も通うのか」とため息をついたことを鮮明に覚えている。きっと普通の人の倍の自由が必要な子どもだった。 習っていたピアノは指使いが決められていて譜面どおりに弾くことが苦痛だった反面、書道はとにかくフリーダムな先生で、書き初め時にストーブの上のお餅が膨

「東京には空が無い」と智恵子は言うけれど

小さいときから本だけはたくさん読んでいた。中学生になってからはそれに新聞が加わって、いつしか自分の中では読むことがあたりまえになっていたけど、きちんと自分の思いを整理して書くようになったのは三十代を少し過ぎたころからだ。 その頃は詩的で力にあふれたみずみずしい文章で、今書きたいと思ってももう書くことはできない。でも今の自分の文章はそれも内包していて、今まで出てこなかった「愛」という言葉が出てくるようになった。これが人としての熟成なのかもしれない。 振り返ると、大学に進学す

グレーのなれの果てに

白黒はっきりさせたい性分だ。姉は「世の中の95%がグレーなことで、何でも白黒つけたいあんたにとっては生きにくいから、グレーなことも受け入れた方がいい」と仕事や人間関係でうまくいっていなかった当時の私に言った。 社会で生きていくためにはグレーであることも必要だと数々の出来事で思い知って、結果的にグレーを受け入れた。そしてグレーの中でもがき苦しみ、取り込まれた。 この十年くらい周囲に忖度し続けて、あたりさわりなく接することを心がけて、相手にどれくらい気持ちよく仕事をしてもらえ

はじめに

45歳、独身、彼氏なし、実家住まい。それに無職と引きこもりを足すとあっという間に「無敵の人」のできあがり。それと吹けば飛ぶような少しの貯金。 団塊ジュニアと呼ばれ、女子高生ブームにも女子大生ブームにも乗れなかったスキマ世代で、厳しい受験戦争をくぐり抜けた先には就職氷河期が待ち構えていた。同級生のほとんどが結婚し、親となっている。生きているだけで少子高齢化と晩婚化に拍車をかけ続けているし、いつのまにか自分が社会に暗い影を落とす存在になっている。 4〜5年前から体調不良で、一