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康成の放った根来、雑賀の乱破素破が、風間晴明と妻は奈須の原へ落ちようとしていると、湯河原の陣に居る上総の介に知らせてきた。
「誠に奈須へ逃げたか?」

康成は探索が余りにも上手くいっているので、かえって疑った。
翌日、康成は江戸の湊に着いた、坂東に入った時から、なにやら結界が張られていているのを感じた、十分に気を察知できない。

それから数日で江戸の湊に集結した上総の介の直属軍と一緒に山伝いに奈須へ出ることにした。大軍を率いてはかかりが大きいと、上総の介が行ったためだ。
軍費をケチる上総の介を見て、康成は狩りの成果を案じた。 

上総の介についてきた残りの軍勢は小次郎将門に預かりになり、江の戸の原に布陣している。

上総の介にしてみれば、かかりを将門に押し付け、上手くやったつもりだったが。
彼らはやがて、小次郎に心酔し、小次郎の軍と成った。

上総の介の陣では、兵糧さえ制限され、やたらにがみがみ言われたのに、江戸では兵糧も豊富で、秋津、瑞穂に渡来人が入り混じり仲良く、皆が穏やかな話し方をした。

江戸の湊には風間家の蔵があり、米や穀類が豊富で、湊では新しい魚をふんだんに手に入れることが出来た、美味い物は心を和やかにする。

また、小次郎から振舞われる酒も豊富で、彼らは坂東まで物見遊山に来たような心持になった。 

康成は江戸から北上しながら狐の気を追った、狐の気は常ならず大きく、女狐のものだった、玉藻に違いないと彼は思った。

それは、奈須では無く、蚕の取れる秩父へ向かっていた。   
康成は根来の棟梁を呼び、乱破素破の全てに玉藻と思われる気を追わせた。

今一つ、乱破素破の報告通りの奈須にもかすかに玉藻の気が有る、ゆえに康成は上総の介の陣に残った。 

六つの連山を屏風のように立てた奈須の原、大きな岩がごろごろと転がり、硫黄の匂いが鼻を突く。夜だから大岩は見えないが、連山は大いなる妖しのように聳え立っている。

もともと火山で、そこかしこに毒の気が立ち上っている、ところによっては毒が強く、その上を飛ぶ鳥が落ちるほどだ。

晴明は足元に身体を擦り付ける狐を撫でた。

「母者(ははじゃ)、江戸から秩父まで気を放つ女狐の手配大義じゃった」
晴明は膝を折り、黄色い狐に微笑みかけた。
それは、あの晩夏、晴明が助けた母狐だった。

母狐は坂東の狐を指揮して、秩父へ向かった、まだ数百の狐が秩父で気を放っている。
母狐とあの折の仔狐が、奈須へ来て晴明たちの傍にいる。
「恩返しとは忝(かたじけな)い」

由良が伸ばした手にも母狐は身を任せた。
「ここにいては巻き込まれる故、気配を消して隠れておいで」

晴明の言葉に四匹の狐は八つの目で二人を見ると、そのまま踵を返し山の裾に広がる森へ向かった。 

「俺達も行こうか」
由良が頷く、向かったのは森の中にある出湯だった、そのそばに丸太の小屋がある。

満月の月明かりの中、二人は衣を脱ぎ岩間に湧く出湯に身を浸した。
「明日は、上総の介の軍勢が押し寄せよう」
「戦は怖い」

「すまぬのう、由良を逃がしたいのだが、むこうに康成が居るのでは、必ず気取られ、由良だけ追われる」
「怖いのは、晴明やカンナギの衆が傷つくこと」

「なるようにしかならん、想いのため血を流すこともある」
「伊賀や甲賀の衆まで巻き込んで」
「彼らは傭兵じゃ、銭で動く」
「雇ったのですか」
 由良は責めるように言った。

「江戸湊の蔵ひとつ、彼らのものになった」
「カンナギとはそういうもの?」
「そういうものじゃ」
「友だからではなく、銭で動く?」

「友だからこそ、銭を払う」
「どうして銭など」

「それは、銭を悪しきものと思う瑞穂の考えじゃ、銭は力だ、無いより有った方が良い、命がけの仕事をさせるのに銭すら払えないのは切ない。 秋津の考え方だな。そして銭を使うは楽しい幸せだと思うから、稼ぐのに命を懸けるのも一つの生き方、銭は使うもの、使われなければよい」
「こんなに深く結ばれていても、私にはまだ晴明のなかに分らないところが有った」

「それは俺も同じじゃ、わかってしまったなら、生まれて来た甲斐が無い、一生かけて分かり合うから面白い」
晴明と由良は笑いあった。湯に白い月が映り込んでいる。
不意に月がゆがんだ。

「睦まれる前にお邪魔を」
女の声がかかって、由良ははっとして胸を隠した。
いつの間にか湯殿の中にすらりとしたカンナギの女が二人。

「如月、葉月」
二人は由良ににっこりとほほ笑んだ。

「つつがなきようお見受けいたします、祝着至極、由良様」
「二人は射られたのでは」
「なんの根来や瑞穂のひょうろく矢、何ということもありませぬ」
「康成の放った矢であれば危なかったがの」

晴明が笑った。
「二人は晴明の式神では」

「式神だが、勝手に動いているのだ」
「式神が勝手に動く、何故?」
「俺にもわからん」
「我ら、由良様を含め縁の濃い思いのもの、ゆえにこうして、身体を持ち互いに助け合います」

「互いに?」
「あい、生まれるときと場所によっては由良様がこちらにいらっしゃることも、晴明がこちらに居ることも」
由良には理解が及ばなかった。

「して、どうした」
晴明が二人に聞いた。

「由良様と早く睦みたいからと、私どもを邪魔になさいますな」
葉月が笑った。

「用が済めば、早々に立ち去りまする」
如月も合わせる。

「用は、陣立てが整ったと言うことだろう」
「晴明、せっかちな、いけず」

如月の口調がくだけて笑う。
「敵陣に玄翁和尚(げんのうわじょう)が居ます」
如月の言葉に晴明の顔色が変わった。

「源翁心昭(げんのうしんしょう)が」
平氏とは別の降家した嵯峨源氏の術者だ、晴明は腕を組んだ、厄介だと思った。

「奴の術は力技じゃ、気を見るのは不得手なので俺達を見つけることは出来ぬだろうが、気を見る康成と組まれると厄介だ」

「いえ、上総の介の陣に居り、安部康成と連携しておりませぬ」
「源が安部と組まず平と居るか」
晴明の端正な顔が満月に白く映される。

「あいわかった」
「陣立ての変更は?」

「無い、ただ、伊賀甲賀、我が風魔にも、いつにましてまずいと思ったら逃げよと、尻に帆をかけ遁走せよと触れ回れ、狩られるものは生きているのが勝ちよ」
「承知」

二人の美女は湯殿から出た、両名がちらりと由良を流し目で見て微笑み立ち去った。 

「見て行った、私の胸」
 由良は胸の前で両腕を交差させた。

「あはは」
晴明が由良を持ち上げた、丸太小屋へ運んで行く。

「俺はこの美しいかわいい胸が好きだと言っておろうが」
 その夜二人は、この世の名残とばかりに思いを残さないくらい睦んだ。

「愛しい、由良」
 搾り出すように晴明が言った。

「嬉しい由良に戻れた」
 肩で息をしながら由良は抱きついた。

「おまえはずっと由良だ」
「私のせいで、このように追われることになったのに、はる、怒っていないのか」

 自分が白鷗を焚き付け、白鷗親政をさせようとしなければ、坂東まで騒乱が及ぶことは無かったと、聡明な由良は理解していた。

「全て、なる様にしかならん、これもまた楽しいではないか、運が悪くば死ぬだけだ」
「死ぬな、はる、私の産むややこを風呂に入れるのであろう、大きく育てぬうちは死んではならぬ」

「わかった」
晴明の力強い腕に抱きしめられ、由良は溶けそうだった。

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