[OJ私小説] 有無同然
がむしゃらに頑張り続けてきた。いっそ体を壊し立ち上がれなくなればよかったけど、体は丈夫だった。メンタルも想像以上にタフだった。でも心はいつもストレスまみれで苦しみに満ちていた。あんなにほしがったものも、手に入れると急に色褪せ、新しい苦しみが生まれるだけだった。有無同然を体現した。ではどうしたら?最低限の労働、思いやりのある毎日、静かに自然の中で一人生きる。これを隠棲というのか。成果競争や資金集めギャンブルは卒業だ。30年目にして気付いた。
幼少時、落ち着かなかったり、ぼんやりしてて、言葉も片言で知能検査を受けるほどに頭の中を心配されていた。自衛官の親父が必死に勉強を教えてくれたおかげで成績が上がって人並みくらいになった。覚醒する前、世界は狭かったけど、深くて、霧の中にいるようで、心地良かった。大きな木の生えた、いつも茶色くて霧がかかっている世界に生きていた。言葉もいらなかった。それがずっと追い求めている桃源郷なのだろう。
中3から2年くらい、また一瞬霧がかかった。先生には怒られ、親からは心配されて、喧嘩して入院したりタバコ吸ったり酒飲んだり問題を起こしていた。バンドをやり部活をやめ、仲間と遊んだ。最高とも言えなかったけど、不安や疲労感、無力感はなかった。やはり霧の中の森にいた。ある時大人たちにひきずり出された。霧の外は別世界だった。全てがクリアーで剥き出しだった。はっきりと先のレールが見えた。踏み外すとどうなるかも含めて。視界は明瞭だけど、争いや騙し合い、見栄と欲望にまみれていた。それも遊びと思えばそれなりに楽しかった。たまにかかる霧で心を保っていた。でもいよいよそれだけになると、心が悲鳴を上げ出した。霧のかかった森に帰れと。
あれから20年経つ。深い霧のかかった森に帰るべき時がきた。その霧のかかった森はこの世の中にぽっかり現れる。まだ消えていない。見えない人には見えない。認識できない人はずっと、見えない。もしかしたら物理的な空間ではなく、ヒモ理論の次元のように、心の次元が裏返されるように変化することで現れるのかもしれない。
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