言葉について①

 7月ももう終盤。最近はあまり退職してからもう〇か月経った、など考えなくなってきた。今はまだ時間があって、こうしてずっと考え事をしたり行きたい場所に行けたりしているけど、そろそろそれも終わりかもしれない。働かないといけないとは思いたくないけど、現実は労働をして対価を貰っていかないと暮らしが立ち行かなくなる。けどここから状況が変わっても、自分のための余白は、なんとしてでも守っていきたい宣言をここにしておく。

 昨日から、「口の立つやつが勝つってことでいいのか」(頭木弘樹さん著/青土社)を読み始めた。頭木さんのことは、私の愛読書、「思いがけず利他」の中で取り上げられていて知っていたし、この本もタイトルの良さに惹かれて出版されたときから、そのうち買う!と思っていた。
 先週、大竹まことさんのラジオに頭木さんがゲストで出ていて、この本についてのお話をされていたのを聞いて、翌日すぐ本屋に買いに行った。何かの購入を決める時、そもそもそれを認知していることによって最後の一押しをするのはこういう事だなと身をもって感じた。自分が物を作って、手に取ってもらう、ワークショップなら体験を売る、という時に”知ってもらう”や”気になり続けてもらう”ことの大切さを改めて。

 まだ数十ページしか読んでいないけど、「言葉にしないとわからない」×「うまく言葉にできない」の序章からグッときている。あと、”同じことをぐるぐる言っている作家さんの文章を、編集さんの手で理路整然となおしたら、その本だけ売れなかった”というエピソードが良い。分かりやすいものを遠ざけようとしていても、人に何かを伝えようとする時に無意識に分かりやすく(=理路整然)を気にしている自分もいる。あと、こうして毎日noteを書いてみて、自分で「また同じようなことを書いている。同じようなところに行きついてしまった」と思うことがよくある。それでいいのかもしれないと思えた。

 昨晩寝る前に、甥っ子との対話を試みた。小学二年生の彼は、今”勝負”がものすごく好きで、何かにつけて周りの人に「勝負しよう」と戦いを挑んでいる。小さい頃は(というかわりと今もだけど)、ぼんやり穏やかボーイだったのに、いつの間にか”強いオレ”を主張してくるようになった彼に「何でたたかいが好きなの?」と聞いたら「ドラゴンボールの悟空みたいに強くなりたいから。」と返ってきた。よくありそうな答えだなと思いつつ、質問を重ねてみた。

「何で悟空なの?」
「ドラゴンボール界で最強じゃないところがいい。優しいところがある。」
「何で最強じゃないところがいいの?」
「最強だと目立つから。目立つのはイヤだ。それに負けるから強くなるじゃん。」

 戦いとか勝負が苦手な伯母は、”強さ”を主張してくる彼を勝手に心配していたけど、ゆっくり話せば彼らしい言葉が出てきてこれまた勝手に安心した。
 とは言え、実際の勝負では負けたくない気持ちが出てきて、大騒ぎしたり勝てる相手にだけ勝負を挑んだりしているけど、内面にそういう気持ちがあることを知っているのと知らないのとではこちらの受け止め方は変わる。どこまで彼が心の中を言葉にできているかは分からないけど、せっかく一緒に居られる時間があるので、この夏はたくさん対話をして記録をしてみたい。

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